憲法施行70年 先駆性を考える 第2部 基本的人権掲げて⑪ 絶対主義的天皇制と戦争に反対
たたかいが自由の礎に
日本国憲法は19条で思想・良心の自由、21条で言論、表現の自由、23条で学問の自由を規定し、31条から40条まで世界的にみても非常に厳格な刑事手続きを定めるなど、国民の自由を詳細に保障しています。ここには、戦前の絶対主義的天皇制のもと、国民の自由が徹底的に奪われたことへの厳しい反省と同時に、迫害に抗して侵略戦争に命がけで反対した人びとの“たたかいと抵抗の歴史”が刻みこまれています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/6d/d525cff01240b8f29b4397ec77efcf7b.jpg)
治安維持法の制定に反対する大集会(1925年2月)
国民の内側から人権尊重の動き
安倍首相ら改憲派は、連合国軍総司令部(GHQ)に押し付けられた憲法だと攻撃を繰り返しています。
村井敏邦一橋大学名誉教授(刑法)は「治安維持法などによる思想弾圧のうえに、軍部が有無を言わさず権力を握り侵略戦争に突入していった。その反省から人権に厚い憲法をつくる動きが起こるが、それは占領軍だけの問題ではなく、日本国民の内発的な要求があった」と反論します。
治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟の増本一彦会長は、「憲法は、国民を不当に捕まえて拷問した暗黒政治と侵略戦争を繰り返さないという決意の表明であり、抑圧されたすべての国民の総意なのです」と強調します。
1925年、天皇制政府は、侵略戦争反対、国民主権を掲げた日本共産党の弾圧のために治安維持法を制定。その弾圧は徹底的で、28年3月15日には、全国で1600人の共産党員と支持者を検挙して野蛮な拷問を加えました。
政府は緊急勅令で同年6月に治安維持法を大改悪し、死刑とともに「目的遂行罪」を導入。共産党員でなくとも弾圧を可能としました。45年8月にポツダム宣言を受諾して終戦を迎えるまで、逮捕、投獄、獄死など同法による犠牲者は数十万人に上りました。
個人の尊厳擁護「市民革命」進む
ポツダム宣言第10項は、「日本政府は日本国国民における民主主義的傾向の復活を強化し、これを妨げる一切の障害は排除するべきであり、言論、宗教及び思想の自由並びに基本的人権の尊重は確立されるべきである」(現代語訳)としました。
増本氏は、「反ファシズムの国々が支持したポツダム宣言が『民主主義的傾向』という表現で、侵略戦争の原動力となった天皇制に対する日本国民の抵抗を高く評価し、治安維持法は『一切の障害』を代表する悪法として排除されたのです。歴史的な意義がある」と語ります。
いま安倍政権による、9条破壊と国民の自由を抑圧する動きの強まりに対し、多くの市民が立憲主義回復と個人の尊厳を掲げ、広く草の根から立ち上がっています。自由を国民自らがつかみなおし、個人の尊厳を擁護する新しい「市民革命」が進みます。(つづく)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2017年5月1日付掲載
日本国憲法は、GHQから押し付けられたものではなく、戦前からの侵略戦争反対、国民主権を求めた運動が営々とあったからつくられた。
たたかいが自由の礎に
日本国憲法は19条で思想・良心の自由、21条で言論、表現の自由、23条で学問の自由を規定し、31条から40条まで世界的にみても非常に厳格な刑事手続きを定めるなど、国民の自由を詳細に保障しています。ここには、戦前の絶対主義的天皇制のもと、国民の自由が徹底的に奪われたことへの厳しい反省と同時に、迫害に抗して侵略戦争に命がけで反対した人びとの“たたかいと抵抗の歴史”が刻みこまれています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/6d/d525cff01240b8f29b4397ec77efcf7b.jpg)
治安維持法の制定に反対する大集会(1925年2月)
国民の内側から人権尊重の動き
安倍首相ら改憲派は、連合国軍総司令部(GHQ)に押し付けられた憲法だと攻撃を繰り返しています。
村井敏邦一橋大学名誉教授(刑法)は「治安維持法などによる思想弾圧のうえに、軍部が有無を言わさず権力を握り侵略戦争に突入していった。その反省から人権に厚い憲法をつくる動きが起こるが、それは占領軍だけの問題ではなく、日本国民の内発的な要求があった」と反論します。
治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟の増本一彦会長は、「憲法は、国民を不当に捕まえて拷問した暗黒政治と侵略戦争を繰り返さないという決意の表明であり、抑圧されたすべての国民の総意なのです」と強調します。
1925年、天皇制政府は、侵略戦争反対、国民主権を掲げた日本共産党の弾圧のために治安維持法を制定。その弾圧は徹底的で、28年3月15日には、全国で1600人の共産党員と支持者を検挙して野蛮な拷問を加えました。
政府は緊急勅令で同年6月に治安維持法を大改悪し、死刑とともに「目的遂行罪」を導入。共産党員でなくとも弾圧を可能としました。45年8月にポツダム宣言を受諾して終戦を迎えるまで、逮捕、投獄、獄死など同法による犠牲者は数十万人に上りました。
個人の尊厳擁護「市民革命」進む
ポツダム宣言第10項は、「日本政府は日本国国民における民主主義的傾向の復活を強化し、これを妨げる一切の障害は排除するべきであり、言論、宗教及び思想の自由並びに基本的人権の尊重は確立されるべきである」(現代語訳)としました。
増本氏は、「反ファシズムの国々が支持したポツダム宣言が『民主主義的傾向』という表現で、侵略戦争の原動力となった天皇制に対する日本国民の抵抗を高く評価し、治安維持法は『一切の障害』を代表する悪法として排除されたのです。歴史的な意義がある」と語ります。
いま安倍政権による、9条破壊と国民の自由を抑圧する動きの強まりに対し、多くの市民が立憲主義回復と個人の尊厳を掲げ、広く草の根から立ち上がっています。自由を国民自らがつかみなおし、個人の尊厳を擁護する新しい「市民革命」が進みます。(つづく)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2017年5月1日付掲載
日本国憲法は、GHQから押し付けられたものではなく、戦前からの侵略戦争反対、国民主権を求めた運動が営々とあったからつくられた。