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仰木さんの快挙(1989年西武対近鉄)

2008-12-21 14:19:02 | 他スポーツ
今日はクラブW杯決勝で横浜に行くので、即日更新は勘弁して下さい。穴埋めネタは、たまに出る野球ネタです。私はJリーグがなかった頃はプロ野球ファンで、森監督が指揮を執っていた西武を応援していました。

あの当時の西武の強さは、巨人のV9に次ぐインパクトがあります。森監督は9年指揮を執って、パリーグ優勝8回、うち日本一6回と、これ以上はないほどの結果を残しました。しかし、私は唯一優勝できなかった1989年のことが一番記憶に残っています。

その前年、ロッテとの壮絶なダブルヘッダー(10.19の名前で有名)の末、優勝を逃した近鉄の1989年に賭ける気持ちは相当のものがあったはずで、西武は開幕から低迷して、近鉄が上位だった年でした。

このまますんなり近鉄が優勝していたら、おそらく今では覚えていないでしょう。しかし、目立ちたがり屋で演出が好きだった仰木さん(当時近鉄監督)らしく、野球の神様はとんでもない大舞台を用意していました。

西武は6月を終えたあたりでも勝率5割前後をうろうろしていましたが、そこから怒涛の反撃を見せて、ペナントレースを近鉄、オリックスの三つ巴に持ち込みました。その結果、わずかに近鉄に対してリードを奪って、ホーム西武球場での近鉄とのダブルヘッダーの直接対決を迎えました。

この対決は2連勝はもちろん、一勝一敗でも西武が優勝に近づくという状況で、近鉄が逆転優勝を果たすにはこのダブルヘッダーを連勝するしかありませんでした。しかし、近鉄にはホームランバッターのブライアントがいました。

ブライアントといえば、中日の第3の外国人として来日し、当時のルールでは二軍に置かざるを得なかった選手でした。しかし、近鉄の外国人選手が不祥事を起こしたことで解雇になり、空いた外国人枠にブライアントの譲渡を持ち掛けたことで、彼の運命は変わりました。

このダブルヘッダーは、第1戦が接戦になり、何としても先に勝っておきたい西武が、その年は一本もブライアントにホームランを打たれていない渡辺久信をワンポイントで出してきたところが、勝負を分けました。

しかし、先発要員の渡辺久信はこういう役割は初めてでした。しかも、速球が得意の渡辺久信は、ブライアントにとっては狙いを絞りやすい投手でした。結果は最悪のホームランで、ブライアントは第2戦でも打ちまくり、ダブルヘッダーに連勝した近鉄は優勝を果たします。

仰木さんといえば、オリックスのイメージが強いでしょうが、この王者西武を倒した優勝は今でもライバルながらも、私の中で光っています。
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