昨日の地震は仕事中に起きました。最初はすぐ収まると思って、無視して仕事を続けようとしましたが、直後の停電で事の重大さを理解しました。私の会社は停電すると困る装置を多く抱えていて、海外進出の際も「無停電電源を提供できること」にこだわったほどです。
それほど無停電にこだわる会社が停電を出したことは、並大抵の事態ではないと自覚しました。幸い、夜ではなかったので、職場の様子は見えました。避難訓練を実際にやっていたように、整然と避難は完了しましたが、中には現場から直接避難して、作業着のままの人もいました。
私の仕事はPCを使う仕事なので、停電はすなわち、仕事にならないことを意味します。職場の先輩も、「帰れる人は帰れ」という雰囲気だったので、私も最寄り駅は電車が動いていないという情報は得ていたので、隣のターミナル駅を目指して30分の距離を歩きました。
しかし、この道中で、事態の重大さをさらに自覚することになります。信号機が全てストップしていて、警察官が手旗信号で車を通し、マクドナルドや松屋などもすべて営業を休止していました。唯一、駅のコンコースだけが電気が通っていたので、とりあえず買えるものは買っておこうと、ペットボトルのお茶や和菓子なども買っておきました。
電車は動いていませんでした。歩いて帰れるような距離ではない我が家に帰る道は、これでほぼ断たれました。それでも、線路の点検をしているという場内放送を信じ、しばらく待っていましたが、近くの高校の避難所に移りました。たぶん食べ物などは十分行き渡らないだろうと思っていたので、和菓子が効いてくるかもしれないと思っていました。
夜を迎え、JRが本日中の運行再開を断念するという連絡が入ったのは、その避難所でした。これで、たとえ残る私鉄が運行を再開しても、家には帰れません。また、避難所の電気は自家発電なのですが、燃料が4時間分しかないという連絡も受けました。これでは避難所は真っ暗になってしまいます。トイレにも思うように行けなくなると思った私は、30分の道を逆にたどり、会社に戻る道を選択しました。
この帰り道が、「大停電の夜」を痛感することになります。停電ですから、ありとあらゆる電源が入っていません。街灯も信号機も、周囲のマンションもすべて真っ暗です。それでも、車は普段のように走っていましたから、ヘッドランプの明かりで一瞬だけ見渡せます。普段はまぶしくて迷惑な存在のように見えた車の光を、初めてありがたく思いました。
道が真っ暗だと、向こうから来る通行人も思うようには見えません。慌ててよけることもあったので、もし無灯火の自転車が突っ込んできたら轢かれると思ったくらいです。幸い自転車は皆明かりが付いていたので、暗い道でいつもよりはっきり見えるオリオン座の勇姿に目をやりながら、会社に戻ることができました。
会社では、帰宅困難者を集めて、厚生施設で休憩していました。直接の同じ会社ではありませんでしたが、系列会社のよしみで、よそ者の私を受け入れていただき、ピザやフライドポテトなどを食べさせてもらいました。ここで朝まで過ごせば、翌日はきっと帰れると、人の温かさに感激していると、浦和方面の人がいたら車に乗せて行くという話があり、なんとこの夜に自宅に帰ることができました。
いろいろな人に助けてもらって、家に帰ってニュースを見ると、東北地方の被害状況は深刻で、私はこんなもので済んでよかったと言うべきです。普段明るい街が、突然暗くなるとどうなるか、地震の恐ろしさを痛感した夜でもありました。
それほど無停電にこだわる会社が停電を出したことは、並大抵の事態ではないと自覚しました。幸い、夜ではなかったので、職場の様子は見えました。避難訓練を実際にやっていたように、整然と避難は完了しましたが、中には現場から直接避難して、作業着のままの人もいました。
私の仕事はPCを使う仕事なので、停電はすなわち、仕事にならないことを意味します。職場の先輩も、「帰れる人は帰れ」という雰囲気だったので、私も最寄り駅は電車が動いていないという情報は得ていたので、隣のターミナル駅を目指して30分の距離を歩きました。
しかし、この道中で、事態の重大さをさらに自覚することになります。信号機が全てストップしていて、警察官が手旗信号で車を通し、マクドナルドや松屋などもすべて営業を休止していました。唯一、駅のコンコースだけが電気が通っていたので、とりあえず買えるものは買っておこうと、ペットボトルのお茶や和菓子なども買っておきました。
電車は動いていませんでした。歩いて帰れるような距離ではない我が家に帰る道は、これでほぼ断たれました。それでも、線路の点検をしているという場内放送を信じ、しばらく待っていましたが、近くの高校の避難所に移りました。たぶん食べ物などは十分行き渡らないだろうと思っていたので、和菓子が効いてくるかもしれないと思っていました。
夜を迎え、JRが本日中の運行再開を断念するという連絡が入ったのは、その避難所でした。これで、たとえ残る私鉄が運行を再開しても、家には帰れません。また、避難所の電気は自家発電なのですが、燃料が4時間分しかないという連絡も受けました。これでは避難所は真っ暗になってしまいます。トイレにも思うように行けなくなると思った私は、30分の道を逆にたどり、会社に戻る道を選択しました。
この帰り道が、「大停電の夜」を痛感することになります。停電ですから、ありとあらゆる電源が入っていません。街灯も信号機も、周囲のマンションもすべて真っ暗です。それでも、車は普段のように走っていましたから、ヘッドランプの明かりで一瞬だけ見渡せます。普段はまぶしくて迷惑な存在のように見えた車の光を、初めてありがたく思いました。
道が真っ暗だと、向こうから来る通行人も思うようには見えません。慌ててよけることもあったので、もし無灯火の自転車が突っ込んできたら轢かれると思ったくらいです。幸い自転車は皆明かりが付いていたので、暗い道でいつもよりはっきり見えるオリオン座の勇姿に目をやりながら、会社に戻ることができました。
会社では、帰宅困難者を集めて、厚生施設で休憩していました。直接の同じ会社ではありませんでしたが、系列会社のよしみで、よそ者の私を受け入れていただき、ピザやフライドポテトなどを食べさせてもらいました。ここで朝まで過ごせば、翌日はきっと帰れると、人の温かさに感激していると、浦和方面の人がいたら車に乗せて行くという話があり、なんとこの夜に自宅に帰ることができました。
いろいろな人に助けてもらって、家に帰ってニュースを見ると、東北地方の被害状況は深刻で、私はこんなもので済んでよかったと言うべきです。普段明るい街が、突然暗くなるとどうなるか、地震の恐ろしさを痛感した夜でもありました。