世の中が地震と津波で大変なときにこんなことを言うのはあまり好ましくないかもしれませんが、今日計画停電で薄暗い家でぼんやり考えていたのは「そういえば不祥事や地震がなければ今頃大相撲春場所の5日目なんだな」ということでした。大相撲春場所がない寂しさは少しずつ出てくるかもしれないと不祥事のときに思いましたが、正直禁断症状気味です。
今は予想もしていなかったオフ状態なので、ブログもネタ不足の頃ですが、困ったときは昔の大相撲から掘り出すということで、引退直前は250kgを超える巨体だった元大関、小錦(現タレント)の思い出です。小錦は、高見山を輩出したハワイ出身の力士で、高見山と同じ高砂部屋に入門して驚異的な速さで出世します。
しかし、ハワイ出身の力士の中には、序の口を圧倒的な強さで優勝しながら、その翌場所はやめていたというような力士もいて、育て方が難しいことがあとで明らかになります。小錦が優れていたのは、相撲界の理不尽さに多少は呆れながらも、勝って結果を出せば誰も何も言わなくなる世界だということを十分理解していたことです。
前頭上位に上がったとき、初めて対戦した大横綱、千代の富士は小錦のことを「あの突っ張りは普通の人が足で蹴飛ばしているようなもの」とたとえていましたが、その圧倒的パワーだけでなく、的に当てる能力も高かった力士でした。立ち合いで小錦の突っ張りをまともに食らったら勝てないと言われていました。
当時は、こういうパワーを前面に出す力士は初めてで、相撲界の「黒船襲来」とマスコミに恐れられたほどです。正直、私も当時は日本の大相撲がパワー相撲に破壊されるのではと、何となく恐れを感じていたのも確かです。こういう力士は江戸時代にもいたらしく、当時無敵と言われた雷電為右衛門が今の力士で言えば把瑠都くらいの体型だったという伝説を聞きます。
今では把瑠都より大きい琴欧州がいますから、「何が黒船襲来?」と思われる方もいらっしゃるでしょうが、当時は日本人の平均身長が150cm台だった時代ですから、そこに197cmの把瑠都を持ってくれば、それは当時の力士にとっては恐るべき存在だったはずです。
そんなインパクトを、上を目指していた小錦には感じていました。その勢いで横綱にもなるだろうと多くの人が思っていたと思います。しかし、小錦は北尾との対戦で、相手の「さば折り」(決まり手の名前です)でひざを負傷してしまい、その後の相撲にも響く大きなハンディを負ってしまいます。
しかし、それでもそれを克服して大関に昇進して、長く大関を張りますが、どうしても負傷がちになってしまい、かど番の回数の多い大関というありがたくない記録(当時)も作ってしまいました。そのまま負傷なしで力士生活を送っていたらどんな力士になっていたのだろうという、永遠の謎を残したまま、小錦は最後は平幕で引退します。
そのパワーの威力は、後の曙で実感することになるのですが、小錦が出現したときは未知との遭遇だったので、余計に驚いた印象はあり、今でも印象的な力士です。
今は予想もしていなかったオフ状態なので、ブログもネタ不足の頃ですが、困ったときは昔の大相撲から掘り出すということで、引退直前は250kgを超える巨体だった元大関、小錦(現タレント)の思い出です。小錦は、高見山を輩出したハワイ出身の力士で、高見山と同じ高砂部屋に入門して驚異的な速さで出世します。
しかし、ハワイ出身の力士の中には、序の口を圧倒的な強さで優勝しながら、その翌場所はやめていたというような力士もいて、育て方が難しいことがあとで明らかになります。小錦が優れていたのは、相撲界の理不尽さに多少は呆れながらも、勝って結果を出せば誰も何も言わなくなる世界だということを十分理解していたことです。
前頭上位に上がったとき、初めて対戦した大横綱、千代の富士は小錦のことを「あの突っ張りは普通の人が足で蹴飛ばしているようなもの」とたとえていましたが、その圧倒的パワーだけでなく、的に当てる能力も高かった力士でした。立ち合いで小錦の突っ張りをまともに食らったら勝てないと言われていました。
当時は、こういうパワーを前面に出す力士は初めてで、相撲界の「黒船襲来」とマスコミに恐れられたほどです。正直、私も当時は日本の大相撲がパワー相撲に破壊されるのではと、何となく恐れを感じていたのも確かです。こういう力士は江戸時代にもいたらしく、当時無敵と言われた雷電為右衛門が今の力士で言えば把瑠都くらいの体型だったという伝説を聞きます。
今では把瑠都より大きい琴欧州がいますから、「何が黒船襲来?」と思われる方もいらっしゃるでしょうが、当時は日本人の平均身長が150cm台だった時代ですから、そこに197cmの把瑠都を持ってくれば、それは当時の力士にとっては恐るべき存在だったはずです。
そんなインパクトを、上を目指していた小錦には感じていました。その勢いで横綱にもなるだろうと多くの人が思っていたと思います。しかし、小錦は北尾との対戦で、相手の「さば折り」(決まり手の名前です)でひざを負傷してしまい、その後の相撲にも響く大きなハンディを負ってしまいます。
しかし、それでもそれを克服して大関に昇進して、長く大関を張りますが、どうしても負傷がちになってしまい、かど番の回数の多い大関というありがたくない記録(当時)も作ってしまいました。そのまま負傷なしで力士生活を送っていたらどんな力士になっていたのだろうという、永遠の謎を残したまま、小錦は最後は平幕で引退します。
そのパワーの威力は、後の曙で実感することになるのですが、小錦が出現したときは未知との遭遇だったので、余計に驚いた印象はあり、今でも印象的な力士です。