こんな大地震で、しかも関東地方も余震が次々襲う不安定な状況ながら、ちょっとこんなネタはどうかとも思いますが、Jリーグどころではない現状なので、海外サッカーがらみのオフネタにします。
1999年頃、セリエAで地方チームのビチェンツァが躍進し、一時首位に立ってリーグを沸かせたことがあります。地方チームのことを「プロビンツァ」というイタリア語で言うため、このビチェンツァの躍進でプロビンツァということばを覚えた方もいらっしゃると思います。
当時のビチェンツァのメンバーは、エースストライカーのオテロこそ当時の現役ウルグアイ代表と、ワールドクラスの選手でしたが、それ以外の選手はキャリアのほとんどがセリエB以下という選手ばかりでした。4-3-3のシステムを引いたビチェンツァのサッカーは、引いて守るスタイルの多いイタリアでは異例の、運動量を多くしたプレッシングサッカーでした。
今でもウディネーゼで指揮を執っている名将グイドリン監督が指揮した当時のビチェンツァは決して若手ばかりのチームではなく、3ボランチの真ん中のディ・カルロのように30歳を過ぎて初めてのセリエAというベテランもいましたが、そんな選手にもハードワークを要求した、面白いチームではありました。
ビチェンツァといえば、かつての大スターR・バッジオが16歳のときにプレーしたプロデビューのチームです。当時はセリエCだったのですが、ビチェンツァがセリエAに上がり、R・バッジオも長く現役を続けたので、ボローニャの一員としてビチェンツァのホーム、ロメロ・メンティスタジアムに乗り込む、夢の対決が実現しました。
残念ながら、イタリアだとこういう努力と工夫でのし上がってきた地方チームがあると、主力をビッグクラブに引き抜かれてしまいます。毎年のように主力選手を引き抜かれたビチェンツァは、さすがに穴を埋めきれずセリエBに降格して、未だに復帰を果たしていません。
そんなチームでも、イタリア杯を優勝したり、欧州カップウイナーズカップで4強に入ったりと、あの当時は夢のような時間だったかもしれません。こういうチームがまた現れて欲しいと、たまにセリエAの映像を見ると思ったりします。
1999年頃、セリエAで地方チームのビチェンツァが躍進し、一時首位に立ってリーグを沸かせたことがあります。地方チームのことを「プロビンツァ」というイタリア語で言うため、このビチェンツァの躍進でプロビンツァということばを覚えた方もいらっしゃると思います。
当時のビチェンツァのメンバーは、エースストライカーのオテロこそ当時の現役ウルグアイ代表と、ワールドクラスの選手でしたが、それ以外の選手はキャリアのほとんどがセリエB以下という選手ばかりでした。4-3-3のシステムを引いたビチェンツァのサッカーは、引いて守るスタイルの多いイタリアでは異例の、運動量を多くしたプレッシングサッカーでした。
今でもウディネーゼで指揮を執っている名将グイドリン監督が指揮した当時のビチェンツァは決して若手ばかりのチームではなく、3ボランチの真ん中のディ・カルロのように30歳を過ぎて初めてのセリエAというベテランもいましたが、そんな選手にもハードワークを要求した、面白いチームではありました。
ビチェンツァといえば、かつての大スターR・バッジオが16歳のときにプレーしたプロデビューのチームです。当時はセリエCだったのですが、ビチェンツァがセリエAに上がり、R・バッジオも長く現役を続けたので、ボローニャの一員としてビチェンツァのホーム、ロメロ・メンティスタジアムに乗り込む、夢の対決が実現しました。
残念ながら、イタリアだとこういう努力と工夫でのし上がってきた地方チームがあると、主力をビッグクラブに引き抜かれてしまいます。毎年のように主力選手を引き抜かれたビチェンツァは、さすがに穴を埋めきれずセリエBに降格して、未だに復帰を果たしていません。
そんなチームでも、イタリア杯を優勝したり、欧州カップウイナーズカップで4強に入ったりと、あの当時は夢のような時間だったかもしれません。こういうチームがまた現れて欲しいと、たまにセリエAの映像を見ると思ったりします。