写真は昨日の散歩で見つけた、道満河岸公園の桜の紅葉です。雨に降られるちょっと前の写真です。浦和敗戦でレッズの現役選手は取り上げられず、立見席でマニアック分析ができるほどはよく見ていなかったので、穴埋めネタの昔話で浦和レッズOBのCB、田口禎則さん(現なでしこリーグ専務理事)を取り上げます。
田口は1994年、前年度最下位に終わった浦和の守備を再建すべく、広島から移籍加入して浦和の一員になります。当時の田口は高い身体能力を誇っていましたが、まだ荒削りなところがあり、カードの多さもあって不安定なCBという印象がありました。そんな田口が変わったのはオジェック監督に出会ってからでした。
オジェックの指導は、「ポジショニングとカバーリングだけでディフェンスはできる」というものでした。今までそういう指導を受けていなかった田口は、「この年(29歳)になってようやくDFの面白さがわかった」と感激し、オジェックも開幕前の記者会見で「田口は変わります」と公言したほどでした。
また、田口といえばセットプレーの強さも魅力的でした。今の那須のように、細かく動いて相手をうまく外すタイプではありませんが、当時はバインといういいキッカーがいて、身体能力で少し競り勝った田口のゴールで勝った試合も記憶にあります。三菱のチームという理由の「自動車パフォーマンス」も覚えています。
サポーターへの暴行という不祥事で、謹慎処分を食らった後は残念ながら目立った活躍はできないまま終わってしまいましたが、田口は指導者としても結果を出します。浦和レッズレディースの前身、さいたまレイナスで県会議員と兼任で監督をした田口は、当時のLリーグで優勝という結果を出し、浦和レッズの優勝パレードに一緒に参加したことを覚えています。
その後は県会議員は1期で退き、日本サッカー協会専属の指導者になりましたが、今はなでしこリーグの専務理事という責任ある地位にいます。クラブW杯の女子版、国際女子クラブ選手権の開催に奔走したことが、最近田口の名前を聞いたニュースで、ああ頑張っているんだなという知らせが聞けたことは良かったです。
田口は1994年、前年度最下位に終わった浦和の守備を再建すべく、広島から移籍加入して浦和の一員になります。当時の田口は高い身体能力を誇っていましたが、まだ荒削りなところがあり、カードの多さもあって不安定なCBという印象がありました。そんな田口が変わったのはオジェック監督に出会ってからでした。
オジェックの指導は、「ポジショニングとカバーリングだけでディフェンスはできる」というものでした。今までそういう指導を受けていなかった田口は、「この年(29歳)になってようやくDFの面白さがわかった」と感激し、オジェックも開幕前の記者会見で「田口は変わります」と公言したほどでした。
また、田口といえばセットプレーの強さも魅力的でした。今の那須のように、細かく動いて相手をうまく外すタイプではありませんが、当時はバインといういいキッカーがいて、身体能力で少し競り勝った田口のゴールで勝った試合も記憶にあります。三菱のチームという理由の「自動車パフォーマンス」も覚えています。
サポーターへの暴行という不祥事で、謹慎処分を食らった後は残念ながら目立った活躍はできないまま終わってしまいましたが、田口は指導者としても結果を出します。浦和レッズレディースの前身、さいたまレイナスで県会議員と兼任で監督をした田口は、当時のLリーグで優勝という結果を出し、浦和レッズの優勝パレードに一緒に参加したことを覚えています。
その後は県会議員は1期で退き、日本サッカー協会専属の指導者になりましたが、今はなでしこリーグの専務理事という責任ある地位にいます。クラブW杯の女子版、国際女子クラブ選手権の開催に奔走したことが、最近田口の名前を聞いたニュースで、ああ頑張っているんだなという知らせが聞けたことは良かったです。