私はセリエAに二度行き、トヨタカップやクラブW杯にも何度か行っているので、ワールドクラスの選手をスタンドで見た経験は結構あります。その中で、世界一の身体能力の選手は誰だろうと思索すると、Rマドリードに長く在籍したブラジル代表左SB、ロベルト・カルロス(以下ロベカル)だと思います。
ロベカルは1998年、2002年、2006年の3度のW杯を経験した、息の長い選手でした。私が生で見たのは1998年のトヨタカップ(国立競技場)ですが、高い身体能力で何度でも上がることができて、長い助走をつけたライナーのFKなど、思い出は強烈です。Rマドリードに11年在籍し、Rマドリードの外国人最多出場記録とDFとしては異例の66得点を誇ります。
ロベルト・カルロスのサッカーネームは、母国ブラジルの有名な歌手にあやかった名前ですが、今はその歌手よりロベカルの方が有名になりました。彼のプレーで一番印象的なのは、親善試合のフランス戦で見せた、物理学を無視しているのではと思うほどの急カーブを描いてゴールになったFKです。
ロベカルは貧しかった少年時代に、日本人に世話になったことがあって、親日家です。オフにはよく、スポーツ用品の宣伝で来日することもありました。そのため、Jリーグ入りの噂が何度か出たことがありますが、Rマドリードを気に入っていたらしく実現はしませんでした。
筋肉の柱とでも形容される、太ももの筋肉美でも知られる選手でした。その左足は強烈なクロスやシュートを生み出し、ロベカルの速いクロスをラウルが合わせるのがRマドリードの勝ちパターンだった時代は長いです。そのため、当時は攻撃的なSBのことがよく彼に例えられ、FC東京の鈴木規郎選手(現大宮)はそのキックの強烈さから「ノリカル」と呼ばれましたし、なでしこジャパンの安藤選手が右SBにコンバートされたときも「右のロベカルになれ」と当時の大橋監督から送り出されています。
この記事を書くために調べたので、昨年にロシアリーグのアンジで引退した39歳まで現役だったことを知りました。身体能力を武器にする選手としては驚異的な選手寿命の長さで、彼の自己管理のうまさを表すものだと思っています。
ロベカルは1998年、2002年、2006年の3度のW杯を経験した、息の長い選手でした。私が生で見たのは1998年のトヨタカップ(国立競技場)ですが、高い身体能力で何度でも上がることができて、長い助走をつけたライナーのFKなど、思い出は強烈です。Rマドリードに11年在籍し、Rマドリードの外国人最多出場記録とDFとしては異例の66得点を誇ります。
ロベルト・カルロスのサッカーネームは、母国ブラジルの有名な歌手にあやかった名前ですが、今はその歌手よりロベカルの方が有名になりました。彼のプレーで一番印象的なのは、親善試合のフランス戦で見せた、物理学を無視しているのではと思うほどの急カーブを描いてゴールになったFKです。
ロベカルは貧しかった少年時代に、日本人に世話になったことがあって、親日家です。オフにはよく、スポーツ用品の宣伝で来日することもありました。そのため、Jリーグ入りの噂が何度か出たことがありますが、Rマドリードを気に入っていたらしく実現はしませんでした。
筋肉の柱とでも形容される、太ももの筋肉美でも知られる選手でした。その左足は強烈なクロスやシュートを生み出し、ロベカルの速いクロスをラウルが合わせるのがRマドリードの勝ちパターンだった時代は長いです。そのため、当時は攻撃的なSBのことがよく彼に例えられ、FC東京の鈴木規郎選手(現大宮)はそのキックの強烈さから「ノリカル」と呼ばれましたし、なでしこジャパンの安藤選手が右SBにコンバートされたときも「右のロベカルになれ」と当時の大橋監督から送り出されています。
この記事を書くために調べたので、昨年にロシアリーグのアンジで引退した39歳まで現役だったことを知りました。身体能力を武器にする選手としては驚異的な選手寿命の長さで、彼の自己管理のうまさを表すものだと思っています。