今日、スポーツ紙に浦和DF山田暢久選手の戦力外が載っていました。確かにレギュラー候補ではないですが、どこでもできてベンチに置いておけば重宝する選手だけに残念です。山田暢久の思い出は数知れません。ちょうどレッズの歴史が山田暢久の歴史と言ってもいい、長いキャリアを誇る選手です。
山田暢久の思い出のトップは、2006年のリーグ優勝時のキャプテンだったことです。翌年のACL優勝時もキャプテンでしたが、負傷欠場して優勝杯は鈴木啓太が掲げたので、山田暢久が優勝皿(マイスターシャーレ)を掲げたのはこれ一回です。このときの写真は今でも我が家に飾ってあります。
山田暢久は良質な筋肉に恵まれた選手です。筋トレはほとんどしたことがないと言うほどで、マッサージを受けなくても体が回復した選手です。肉離れもACLを戦った32歳までしたことがなく、当時の野崎アスレチックトレーナーは「肉離れにどう対応するかのノウハウがないので、精神的に落ち着かせることに気をつけた」と話していました。
また、山田暢久は独身時代に朝が弱く、朝食を食べないことや、NACK5の公共の電波で大野勢太郎氏から「暢久、起きなさい」と言われたり、練習に遅刻してオジェックに「帰れ」と言われたなど、最初の頃はプロで長くプレーできる選手には思えませんでした。
山田暢久は、結婚が早く中学時代の同級生と結婚して、今は上は中学生の子供がいます。早いうちに自己管理をサポートしてくれる存在を得たことが、彼の長い現役生活の大きな要因だったと思います。
プレー面では、GK以外ならどこでもできる柔軟性が売り物です。本気で全試合プレーすれば代表100試合の選手になれたと惜しまれる存在で、抜かれると諦めが早く追わないなどの欠点があり、「タリーさん」という呼び方をサポーターからはされていました。
ギドが監督だったときに念願のトップ下に座れたのが、彼にとっては最高の時期だったと思います。ワシントンを1トップに置いて、動き回ってポンテからいいボールを引き出した、新しいトップ下像を見せました。
クラブからはスタッフ入りを打診されている情報ですが、本人は現役続行に自信を持っているらしいです。オファーがあって現役ができるなら、寂しいですが他チームに行って勝負しても、個人的には応援したいと思います。
山田暢久の思い出のトップは、2006年のリーグ優勝時のキャプテンだったことです。翌年のACL優勝時もキャプテンでしたが、負傷欠場して優勝杯は鈴木啓太が掲げたので、山田暢久が優勝皿(マイスターシャーレ)を掲げたのはこれ一回です。このときの写真は今でも我が家に飾ってあります。
山田暢久は良質な筋肉に恵まれた選手です。筋トレはほとんどしたことがないと言うほどで、マッサージを受けなくても体が回復した選手です。肉離れもACLを戦った32歳までしたことがなく、当時の野崎アスレチックトレーナーは「肉離れにどう対応するかのノウハウがないので、精神的に落ち着かせることに気をつけた」と話していました。
また、山田暢久は独身時代に朝が弱く、朝食を食べないことや、NACK5の公共の電波で大野勢太郎氏から「暢久、起きなさい」と言われたり、練習に遅刻してオジェックに「帰れ」と言われたなど、最初の頃はプロで長くプレーできる選手には思えませんでした。
山田暢久は、結婚が早く中学時代の同級生と結婚して、今は上は中学生の子供がいます。早いうちに自己管理をサポートしてくれる存在を得たことが、彼の長い現役生活の大きな要因だったと思います。
プレー面では、GK以外ならどこでもできる柔軟性が売り物です。本気で全試合プレーすれば代表100試合の選手になれたと惜しまれる存在で、抜かれると諦めが早く追わないなどの欠点があり、「タリーさん」という呼び方をサポーターからはされていました。
ギドが監督だったときに念願のトップ下に座れたのが、彼にとっては最高の時期だったと思います。ワシントンを1トップに置いて、動き回ってポンテからいいボールを引き出した、新しいトップ下像を見せました。
クラブからはスタッフ入りを打診されている情報ですが、本人は現役続行に自信を持っているらしいです。オファーがあって現役ができるなら、寂しいですが他チームに行って勝負しても、個人的には応援したいと思います。