昨日、さいたま市議会議員選挙の緑区選挙区で、元浦和レッズGK都築龍太氏が当選していました。前回、県会議員選挙で落選した都築は、入念に地元回りを続けて、今回の市議会は無事当選を果たしました。政治の話は得意ではないので、彼の政治的ポリシーはわかりませんが、当ブログは都築の現役時代の思い出を書きます。
都築は高校サッカーの名門、国見高校を出てガンバ大阪に入団しました。日本代表にも早くから呼ばれ、2001年のコンフェデ杯ブラジル戦(カシマ)で代表キャップを得ました。当時、西部と山岸が正GKを争っていた浦和が、即戦力のGKが欲しいという理由で獲得したのが都築でした。
その後、西部は鹿島に去り、山岸と都築が正GKを賭けて争う構図になります。2004年のCS、2006年のリーグ優勝は山岸がゴールを守っていましたが、2007年のACL優勝とクラブW杯3位は都築でした。当時の犬飼社長は、「優勝するためには代表クラスのGKが二人いなければならない」という発想で、この争いで弾かれた方への、他チームのオファーは常に断っていた過去があります。
都築の思い出といえば、精度の高いゴールキックと、2007年クラブW杯3位決定戦エトワールサヘル戦、2009年W杯最終予選の豪州戦でのプレーです。サヘル戦では、相手のチュニジア代表FWシェルミティに、キープしていたはずのボールを蹴り落とされて決められた苦い思い出だと思いますが、それを審判が採ってくれないのも世界標準と、いい経験になったことと思います。
2009年の最終予選は、楢崎の負傷でチャンスが回ってきた都築が、ケーヒルのいる豪州の攻撃を抑え切って価値あるスコアレスドローに持ち込んだ試合です。この引き分けで、日本がW杯に近づいた、重要な守備でしたが、一番覚えている場面は、後半終了間際に闘莉王が、点を取りたくて上がりたがっていた場面がありました。
しかし、ここは引き分けでいいというのは明らかだったので、都築は中澤佑二と二人で闘莉王を説得し、折れた闘莉王が上がらなかった場面はよく覚えています。浦和でチームメイトの都築だから、闘莉王を説得できたのだろうと、今思うと重要な場面だったと思います。
都築は高校サッカーの名門、国見高校を出てガンバ大阪に入団しました。日本代表にも早くから呼ばれ、2001年のコンフェデ杯ブラジル戦(カシマ)で代表キャップを得ました。当時、西部と山岸が正GKを争っていた浦和が、即戦力のGKが欲しいという理由で獲得したのが都築でした。
その後、西部は鹿島に去り、山岸と都築が正GKを賭けて争う構図になります。2004年のCS、2006年のリーグ優勝は山岸がゴールを守っていましたが、2007年のACL優勝とクラブW杯3位は都築でした。当時の犬飼社長は、「優勝するためには代表クラスのGKが二人いなければならない」という発想で、この争いで弾かれた方への、他チームのオファーは常に断っていた過去があります。
都築の思い出といえば、精度の高いゴールキックと、2007年クラブW杯3位決定戦エトワールサヘル戦、2009年W杯最終予選の豪州戦でのプレーです。サヘル戦では、相手のチュニジア代表FWシェルミティに、キープしていたはずのボールを蹴り落とされて決められた苦い思い出だと思いますが、それを審判が採ってくれないのも世界標準と、いい経験になったことと思います。
2009年の最終予選は、楢崎の負傷でチャンスが回ってきた都築が、ケーヒルのいる豪州の攻撃を抑え切って価値あるスコアレスドローに持ち込んだ試合です。この引き分けで、日本がW杯に近づいた、重要な守備でしたが、一番覚えている場面は、後半終了間際に闘莉王が、点を取りたくて上がりたがっていた場面がありました。
しかし、ここは引き分けでいいというのは明らかだったので、都築は中澤佑二と二人で闘莉王を説得し、折れた闘莉王が上がらなかった場面はよく覚えています。浦和でチームメイトの都築だから、闘莉王を説得できたのだろうと、今思うと重要な場面だったと思います。