今さらですが、日曜日に出かけた川崎フロンターレのアウェイ戦の、道中の写真です。等々力は何度も出かけたおなじみのアウェイ戦ですが、今回はコンパクトデジカメを持っているので、撮りたい写真があればいつでもシャッターを切る、カメラ小僧ぶりを発揮してきました。
武蔵中原の駅を降りると、一番最初に見かけた被写体はこれでした。
等々力のメインスタンドが改築され、私は記者席仕様のテーブルシートで観戦したのですが、フラッグを出すほど宣伝に力を入れているのは知りませんでした。また、武蔵中原から等々力までの道は、ちょうど「中原街道」という古くからの街道に沿っての道なので、何か歴史を感じるものがあればと、カメラを向けてみました。写真のお地蔵さんはまさにそれでしょう。
泉沢寺の山門です。以前、敵地の神社仏閣にお賽銭を入れて、浦和レッズの必勝祈願をしたこともありますが、敵地の神社は敵のサポーターなのか、ご利益はほとんどなかったのでお参りはせず門の写真だけです。
八重桜、カイドウの写真です。春を締めくくる花たちの姿も、カメラ小僧には刺激的です。
二ヶ領用水の文字がわかるように、転落防止柵だけ撮ってみました。このあたりは江戸の初めの家康時代、多摩川からこの二ヶ領用水を引いてきたことによって農業ができる土地になりました。案内板には、「農民が手伝った」とさらりと書いていましたが、このあたりの高低差はほとんどないはずで、相当の難工事だったはずです。日本の土木技術には誇りを持っていい一つの例です。
入り口の楠(くすのき)です。
春日山部屋の力士たちが来て、「春日山部屋塩ちゃんこ」の宣伝をしていました。
旅の目的地が、ここ等々力でした。試合については過去の記事を参照してください。
武蔵中原の駅を降りると、一番最初に見かけた被写体はこれでした。
等々力のメインスタンドが改築され、私は記者席仕様のテーブルシートで観戦したのですが、フラッグを出すほど宣伝に力を入れているのは知りませんでした。また、武蔵中原から等々力までの道は、ちょうど「中原街道」という古くからの街道に沿っての道なので、何か歴史を感じるものがあればと、カメラを向けてみました。写真のお地蔵さんはまさにそれでしょう。
泉沢寺の山門です。以前、敵地の神社仏閣にお賽銭を入れて、浦和レッズの必勝祈願をしたこともありますが、敵地の神社は敵のサポーターなのか、ご利益はほとんどなかったのでお参りはせず門の写真だけです。
八重桜、カイドウの写真です。春を締めくくる花たちの姿も、カメラ小僧には刺激的です。
二ヶ領用水の文字がわかるように、転落防止柵だけ撮ってみました。このあたりは江戸の初めの家康時代、多摩川からこの二ヶ領用水を引いてきたことによって農業ができる土地になりました。案内板には、「農民が手伝った」とさらりと書いていましたが、このあたりの高低差はほとんどないはずで、相当の難工事だったはずです。日本の土木技術には誇りを持っていい一つの例です。
入り口の楠(くすのき)です。
春日山部屋の力士たちが来て、「春日山部屋塩ちゃんこ」の宣伝をしていました。
旅の目的地が、ここ等々力でした。試合については過去の記事を参照してください。