夏場所のときに、何枚か撮っていた土俵下の勝負審判の親方衆から、元大関千代大海の佐ノ山親方の思い出です。千代大海は優勝3回、大関在位65場所の最長タイ記録を持つ、歴史に名を残した大関でした。
ただ、素直に千代大海が強かったかというイメージかといえば、そんなことはありません。千代大海のような突き押しの上位は、当時はいなかったので、格下に強く序盤を8連勝や7勝1敗で乗り切ることが多く、はまれば快進撃もありましたが、ワースト記録のカド番13回をどう評価するかは意見が分かれると思います。
大関としては不名誉な、カド番の7勝7敗(把瑠都に勝って辛くも脱出)や、皆勤した大関のワースト記録の2勝13敗もあります。それでも、大関が最高位の力士は、どうしても晩年のカド番の連続のイメージが強くなってしまうもので、強かった時期は確実にあった大関だと思います。
一番印象に残っているのは、初優勝のときです。当時、関脇だった千代大海は、千秋楽を前に横綱若乃花を星の差一つで追う展開でした。運命のいたずらで、千代大海と若乃花の一番は千秋楽に組まれました。千代大海は、本割、決定戦を連勝すれば逆転優勝できる条件でした。
当時はラジオ中継を聴いていたので、残念ながら取組内容までは覚えていませんが、本割を勝った千代大海は、決定戦に勝負を持ち越します。その決定戦、立ち合いから押し込んだ若乃花の完勝のような内容でしたが、土俵際でもつれて物言いがつき、協議の結果取り直しになります。
その取り直し一番を勝利した千代大海は、見事優勝と大関昇進を勝ち取ってみせました。少年時代は不良で、九重部屋に入門したときは頭に剃り込みが入っており、九重親方(元千代の富士)は「そんな頭では入門は許さない」と言い、千代大海が坊主頭に剃ってようやく入門が許されたエピソードがあります。
しかし、ただの不良ではなく、大相撲の激しい稽古に耐えられる根性があった、強い男でした。おそらく、千代の富士の定年後は九重部屋を継ぐと思いますが、弟子を育てることを期待したいですね。
ただ、素直に千代大海が強かったかというイメージかといえば、そんなことはありません。千代大海のような突き押しの上位は、当時はいなかったので、格下に強く序盤を8連勝や7勝1敗で乗り切ることが多く、はまれば快進撃もありましたが、ワースト記録のカド番13回をどう評価するかは意見が分かれると思います。
大関としては不名誉な、カド番の7勝7敗(把瑠都に勝って辛くも脱出)や、皆勤した大関のワースト記録の2勝13敗もあります。それでも、大関が最高位の力士は、どうしても晩年のカド番の連続のイメージが強くなってしまうもので、強かった時期は確実にあった大関だと思います。
一番印象に残っているのは、初優勝のときです。当時、関脇だった千代大海は、千秋楽を前に横綱若乃花を星の差一つで追う展開でした。運命のいたずらで、千代大海と若乃花の一番は千秋楽に組まれました。千代大海は、本割、決定戦を連勝すれば逆転優勝できる条件でした。
当時はラジオ中継を聴いていたので、残念ながら取組内容までは覚えていませんが、本割を勝った千代大海は、決定戦に勝負を持ち越します。その決定戦、立ち合いから押し込んだ若乃花の完勝のような内容でしたが、土俵際でもつれて物言いがつき、協議の結果取り直しになります。
その取り直し一番を勝利した千代大海は、見事優勝と大関昇進を勝ち取ってみせました。少年時代は不良で、九重部屋に入門したときは頭に剃り込みが入っており、九重親方(元千代の富士)は「そんな頭では入門は許さない」と言い、千代大海が坊主頭に剃ってようやく入門が許されたエピソードがあります。
しかし、ただの不良ではなく、大相撲の激しい稽古に耐えられる根性があった、強い男でした。おそらく、千代の富士の定年後は九重部屋を継ぐと思いますが、弟子を育てることを期待したいですね。