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万能型トップ下(松井大輔)

2015-07-19 17:49:36 | 他チーム
今日は、埼玉スタジアムの広島戦に行くので、即日更新ができなかった場合に備えて穴埋めネタを用意して出かけます。昨日日本代表のカンボジア戦のチケットを無事確保したので代表の思い出から、毎度恒例ベテランサポの昔話で、岡田ジャパン時代の日本代表左MF松井大輔選手の思い出です。

松井大輔は今はJ2の磐田に在籍して現役ですが、埼玉スタジアムには今季は来ません。しかし、彼の名前は鹿児島実業でプレーしていた高校時代から知っていました。4-2-3-1で、1トップの田原をサポートしたトップ下でしたが、ボールタッチのうまさとキープ力は当時から光っていました。

松井大輔といえば、フランスリーグ2部のルマンという無名チームに加入して、そのチームをチームごと1部に上げて有名になった活躍が思い出せます。当時、京都とは「海外チームに移籍する場合は移籍金をゼロにする」という契約を結んでいたので、その抜け道を突いたステップアップでした。

ただ、もちろん2部のチームは日本人に通訳を用意してくれるようなチームはないので、リスクは大きな挑戦でした。松井大輔の場合は語学力堪能な夫人がいたからできましたが、海外に行くことは必ずしも正解ではありません。

松井大輔はルマンでの活躍で、同じフランスの強豪サンテチエンヌからオファーが届き代表入りも果たします。当時の岡田ジャパンのサッカーは中村俊輔、松井大輔の両サイドハーフの力を最大限に活かすもので、テクニックとパスの中村俊輔、ドリブルで相手を抜ける松井大輔と、タイプが違ったのも代表定着の理由だったと思います。

思い出の試合は2008年の3次予選、オマーン戦です。当時、オシム前監督が急病で倒れ、代役で指揮を執っていた岡田監督は、当初はオシム氏のやり方を引き継ぐ予定でした。しかし、アウェイのバーレーン戦で敗れ、後がなくなった岡田監督はオシム流を捨て、自分のやり方を使うことにしました。

この試合は印象的だったので、後で何度もネタにすると思いますが、この転機で代表に呼ばれたのが松井大輔でした。彼の活躍以来、海外での活躍から代表を目指す選手が増えた、大きなパイオニアでした。
コメント
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