Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

埼玉育ちのMF(原口元気)

2016-02-22 21:22:23 | ワールドサッカー
先日、結果はスコアレスドローと知っていましたが、ドイツブンデスリーガのヘルタ対ドルトムントのビデオを見ていました。香川真司は残念ながらベンチ外でしたが、ヘルタMF原口元気はスタメン出場して左MFに入っていました。もっとも、2位と3位の対戦ではありますが、ヘルタは格下戦術を取って4-4-1-1気味に引いており、原口も守備的な仕事が多くなる我慢の展開でした。それで思い出したので、原口元気の思い出を書きます。

原口は浦和史上初めて、高校を卒業する前にプロ契約を結んだ選手です。高校3年生のシーズン、当時のフィンケ監督に見いだされ、鹿島との開幕戦で17歳で左MFのスタメンを勝ち取ります。当時、ユースと掛け持ちする二種契約も検討されましたが、ユースの試合に出られなくなってもいいからプロ契約を結びたいと、当時のフロントが判断しました。

当時から変わらない武器は、左サイドから内側に切れ込んでくるドリブルです。原口はまだまだ、ブンデスリーガのレベルではフィジカルが弱く、この日のドルトムント戦でもそのドリブルは潰されていましたが、それでも思い切ってドリブルを狙う意欲は見られたと思います。

彼の武器はそのサッカーセンスの高さです。その開幕戦の鹿島戦で、既に当時のトップ下ポンテのサッカーセンスについていけるだけの動きの質を見せていました。「ロビーにはよく怒られた」と当時を振り返る原口ですが、この時点で将来の海外進出、日本代表という期待はあり、今はそれに見事応えています。

日本人のMFが評価されるには、攻撃以外の時間でも貢献できる、その休みない動きでアピールするのが近道です。日本人ではありませんが、韓国代表MF朴智星が評価されたのもそんな動きの質でした。この試合では、ヘルタの格下戦術で守備に回る時間が増えた原口ですが、少なくとも局面では守れていた印象です。

あとはゴールです。点を取る、これは常に大きなアピールポイントなので、原口のゴールで勝った試合を是非見たいと思います。
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一瞬早く触る(佐藤寿人)

2016-02-21 21:08:09 | 他チーム
昨日のゼロックススーパー杯のヒーロー、先制点の広島FW佐藤寿人選手を取り上げます。昨季、佐藤寿人に代わって浅野が出てくる起用がはまって、佐藤寿人12点、浅野8点と二人でリーグ得点王の大久保の23点に匹敵する出来でした。今季は浅野がさらに成長するであろうから、佐藤寿人の出場機会が減るのではと考えていましたが、ゼロックス杯では当たり前のように佐藤寿人が1トップでスタメン出場していました。

佐藤寿人が広島の1トップに定着する以前、3-6-1の1トップはポストプレーヤーを置くのが定石と思っていました。過去にそのシステムだったC大阪で、ポストプレーヤーの小松が1トップだったからです。このシステムは2シャドーを生かすための布陣で、1トップでキープしてシャドーが追い越していく、そんなイメージでした。

そんなイメージを変えたのが、当時の広島監督、ミハイロ・ペトロビッチ(現浦和監督)でした。当時、スピード型の佐藤寿人の1トップ起用は、本当に機能するのかと懐疑的でした。それが知りたくて、埼玉スタジアムに敵としてやってきた広島のことを、何度か観察を試みています。

結論から言えば、佐藤寿人にキープはほとんど期待されていませんでした。ボールを収めるのは2シャドーの柏木陽介、森崎浩司、高萩あたりで、佐藤寿人は常に相手オフサイドラインと駆け引きして抜け出す役割に特化していました。FWにいろんな役割を期待しがちな日本のサッカーに異彩を放つサッカーで、佐藤寿人は点を取る動きだけに専念していました。

それが許され、今でも佐藤寿人が広島の1トップを張っていられるのは、少し抜け出して相手より一瞬早く触る動きが優れているからです。ゼロックス杯での先制点もまさにその形です。佐藤寿人は当時のミランFWインザーギに憧れており、当時は「何度オフサイドにかかっても一度抜け出せば点は取れる」を哲学にしていました。

今は監督も森保監督になり、起用法にも柔軟性が出て1トップにポストプレーヤーの皆川などを置くこともあります。それでも、Jリーグ最多得点記録を誇る佐藤寿人に、まだ死角は見当たりません。浅野の挑戦を、今季は跳ね返すのでは、そんな期待を持っています。
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早春の別所沼公園

2016-02-21 20:47:01 | 埼玉
今日は風の強い、寒さを感じる一日でしたが、河津桜が満開になるなど春を感じたので散歩に出ていました。まだまだ、別所沼公園のメタセコイヤは冬枯れのままですが、いろんな花を見つけてきたので、写真の羅列になりますが載せます。



ノースポールです。



パンジーです。



葉ボタンです。







西洋サクラソウです。



梅です。



キンカン?らしいです。



梅です。







河津桜が満開になりました。



菜の花?らしいです。



なでしこです。



水仙です。



パンジーです。
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シドニーFC戦プレビュー

2016-02-20 22:59:40 | 浦和レッズ
いよいよ、今度の水曜日の夜、浦和レッズの今季初戦、ACLのシドニーFC戦が埼玉スタジアムで開催されます。シドニーFCとは、2007年のACLで対戦し、ホーム0-0、アウェイ2-2と両方とも引き分けでした。映像で見た機会は、それだけです。当時の印象は、激しいプレスに来て浦和を圧倒しようとしたものの、動きが落ちてくるので耐えれば戦える、そういう相手でした。

今回のチームは、豪州ということでおなじみの名前もいるかもしれないと検索したところ、代表で聞いたことがあるのは元城南一和(韓国)DFサーシャ・オグネノブスキ、元清水MFアレックス・ブロスケがいました。彼らはかなりのベテランですが、アレックスがキャプテン、オグネノブスキが副キャプテンであることを考えるとチームの主力と考えられているようです。

また、未知のチームを想像するときは、外国人枠の選手もチェックします。セルビア人のDF、MF、イラク人のMF、セネガル人のDF、MFの5人です。外国人FWがいないことを考えると、攻撃陣は豪州人の選手が出てきます。ここでチェックした選手が、そのまま豪州代表となる確率は低いですが、それでもACLに出てくるような相手ですから、技術的にはしっかりしていると思います。

対する浦和は、今季は課題のDFを底上げする補強ができました。新戦力の遠藤航は、DF候補のようで、韓国の蔚山との練習試合では遠藤航、槙野、新外国人イリッチの3バックでした。去年のように、槙野、那須、森脇のうち一人でも欠けると戦力が低下するといった危うさは薄れています。

もし、イリッチが出場するとすれば、チェックしたいのはスピードです。テクニックは相当のレベルらしく、選手からの信頼はつかんでいる様子ですが、DFなら相手のFWにスピード勝負を挑まれる可能性はあります。そこで負けるようだと、戦力として考えにくくなってしまうので、それができるかどうかがチェックポイントです。

また、練習試合で石原が好調なのも楽しみにしています。昨年は武藤の大ブレイクで穴埋めできましたが、石原の離脱は相当の大きなピンチを予感した出来事でした。今回、石原がトップ下で得点を量産できれば、最も贅沢なポジション争いになれる可能性も秘めます。まずは、映像を見て楽しみたいと思います。
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1999年の浦和

2016-02-20 18:06:34 | 浦和レッズ
今日はゼロックススーパー杯の広島対G大阪でしたが、午前中に健康診断を受けていたので疲れて寝てしまい、正確な印象は書けないので、またもオフネタで降格した1999年の浦和の記憶です。当時、浦和は前年2ndステージ3位と躍進した原博美監督の2年目でしたが、開幕前のインタビューで決して優勝を口にしなかったことに一抹の不安がありました。

もっとも、前年に新人だった小野伸二の活躍で躍進した浦和は、新人として大学No.1ストライカーの盛田を獲得していました。当時、盛田への期待は大きく、レッズフェスタではサインを求める行列ができていました。今思えば、新人に過度な期待をすることは危険だったと振り返ることになります。

開幕戦を勝利した浦和ですが、その盛田が点を取れない事態になります。盛田は当時はフィジカルが不足しており、相手DFと競り勝てる強さを十分に備えていなかったのが原因でした。また、岡野をアヤックス(オランダ)、永井雄一郎をカールスルーエ(ドイツ)にレンタル移籍させておりFWの層も厚いとは言えませんでした。

低迷した浦和は、原監督を解任して、後任にオランダ人のア・デモスを呼びます。当時海外サッカーに興味を持ち始めた私は彼の評判が良くないことを知っていました。デモスはドイツのブレーメンの監督をしたことがありますが、前任の名将レーハーゲルが13年かけて作ったチームをめちゃくちゃにしてしまった監督という評価でした。しかも、浦和の前はスペイン2部のヒホンまで落ちていた監督でした。

それでも、その降格の原因は他にありました。それは浦和のサッカー以外の組織の未熟さでした。デモスはオランダ人ですから、普通はオランダ語←→日本語の通訳を用意するはずです。しかし、浦和の手筈のまずさで通訳がおらず、仕方なく英語のできる田村コーチが臨時通訳になり、デモスは英語で指導することになる急場しのぎで対応しました。

もちろん、デモスにとってはオランダ語で指導した方がいい指導はできたでしょう。そんな不自由さを強いてしまった組織では、降格という結果もやむを得なかったと思います。今だから話せる、浦和の苦い過去の記憶です。
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速攻だけでは苦しい(ドルトムント対ハノーバー)

2016-02-19 23:51:18 | ワールドサッカー
今日は、ドイツブンデスリーガのドルトムント対ハノーバーを見ていました。ドルトムント2位、ハノーバー18位(最下位)という対戦である以上、ホームのドルトムントが圧倒的にボールを支配するのは必然という試合になりました。結果は1-0とドルトムントが辛くも勝ち点3を取りましたが、ドルトムントにとっては課題の残る試合になりました。

その理由は、ドルトムントが一方的にボールを支配していた割にはチャンスの数が少なかったことです。もちろん、ハノーバーGKが再三好セーブを見せていたこともありますが、ドルトムントはなかなかハノーバーが低い位置に引いた2ラインを崩すことができませんでした。唯一の得点も、相手がカウンターで攻めたタイミングで繰り出した「逆カウンター」からのムヒタリアン(10番)のミドルシュートでした。相手を崩し切った形はなく、ミドルシュートとセットプレーで攻めるもののチャンスにならない展開でした。

もちろん、サッカーは勝ち点3を得ることが大事ですから、それだけは良かったとも言えますが、バルセロナのように細かいパスや圧倒的な個人技を発揮することは、少なくともこの日のドルトムントにはできていなかったと指摘します。相手が2ラインを低い位置に引くときに崩すには、その間でボールをキープするのが有効ですが、この日のドルトムントにはエースストライカーのオバメヤン(17番)が不在だった影響もあります。

オバメヤンはスピード型ですが、ブンデスリーガ得点ランキングトップの20得点を取っています。そのオバメヤンが負傷欠場し、代役の1トップが本来MFのロイス(11番)では、FWが目立ちにくい展開にされてしまいました。速攻の形はドルトムントはいいので、それ以外のオプションを増やすことが、首位バイエルン追撃に必要でしょう。

対するハノーバーは、4-1-4-1をやりたいように立ち上がりは見えましたが、次第に前の4人が下げさせられて、2ラインを低い位置に引いて守っているように見えてきました。おそらく、相手の圧倒的なボール支配で、そうせざるを得なかったのでしょう。攻撃サッカーはやりたくてもできるとは限らない、それがこの日のハノーバーだったと思います。
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東京タワー

2016-02-18 19:04:24 | 雑記
スマホからの写真投稿のテストですが、うまく行ったので記事にします。写真は浜松町駅から撮った東京タワーです。東京タワー、私が生まれる前からこんな巨大な建築物を作れた、日本の技術力を誇りに思います。少年時代、東京タワーに連れて行ってもらうことは、楽しみでした。200円入れると眺められる、大きな双眼鏡も思い出です。

今では、これと同等の高さを持つビルも現れ、スカイツリーのように2倍近い高さの建築物も表れていますが、東京タワーには東京の誇りとして、可能な限り鎮座して欲しい、それが私の願いです。
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秋ヶ瀬公園の冬散歩

2016-02-17 21:23:47 | 埼玉
日曜日、季節外れの暑さの中を散歩して、体調を崩す要因になった秋ヶ瀬公園の散歩です。カメラ小僧としては、この時期しか撮れない写真もあったので散歩したかったのですが、まさか半袖Tシャツ1枚で十分という暑さは想定外でした。それでも、写真は何枚か撮ってきたので、ブログのネタにはします。



ムクドリ?でしょう。



秋ヶ瀬公園の入り口です。



松林です。どうしても、この2月の時期は冬枯れなので、常緑樹が中心になります。



オオイヌノフグリです。



こどもの森の一番深いところです。ここは鳥の鳴き声以外に何も聞こえない場所なので、精神的に苦しくなるとよくここに来て、耳を澄まして鳥の声を聞いています。



ラジオの電波塔です。



田園風景です。最近は家から離れたところに行かないと見られなくなりましたが、もともとさいたま市は田園風景だったと少年時代を振り返ります。



スカイツリーです。
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冷たい冬の雨(2000年浦和対山形)

2016-02-17 16:53:14 | 浦和レッズ
今日は病気で会社を休んでいます。こんな日は、PCのある部屋は寒く体に良くないので、携帯メールで更新できる、記憶だけで書けるオフネタにします。その中では、今でもよく思い出す浦和のJ2時代の記憶で、2000年10月末の対モンテディオ山形戦の記憶です。

当時、一年でのJ1復帰を目指していた浦和ですが、首位札幌からは遠く離された2位で、最後の二つ目の昇格の椅子を、3位大分と争う展開でした。大分とのアウェイの直接対決を制して少し余裕ができた浦和ですが、この山形戦は相手が下から二番目の10位だったことを考えると、確実に勝っておきたい試合でした。

当時、私は母方の祖母の四十九日法要を終えた帰り道でした。外は冷たい雨が降る、サッカー観戦には厳しい環境でしたが、なんとかJ1に上がる浦和を自分の目で見ておきたいという思いで駒場スタジアムに向かっていました。

当時、浦和の降格で見ることになったJ2は、J1とは全然違うサッカーでした。浦和相手には引いて守り、カウンターで攻めるチームばかりでした。最初は圧倒して勝てた浦和でしたが、次第に動きが落ちて、この山形戦の頃は思うようには勝てなくなっていました。

山形をスタンドで見たのは初めてでしたが、やはりというべきか、10人で守る極端なチームでした。浦和はボールをキープして攻めましたが、トップ下の永井がトラップミスをしたタイミングで一気にカウンターを仕掛けた山形に先制されます。

浦和も福永の直接FKで追い付いて試合は延長戦にもつれ込みますが、最後はDF西野のクリアミスがGK西部の背中に当たるという信じられないミスでVゴール負けとなりました。昔の話なので、戦術的なことは覚えていませんが、心まで寒くなった悔しい負けは、今でも覚えています。
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本田→アバーテライン(パレルモ対ミラン)

2016-02-16 21:56:53 | ワールドサッカー
日曜日、セリエAのパレルモ対ミランを見ていました。ミランは本田圭佑を右MF、ボナベントゥーラを左MFに置いた、ボックス型の4-4-2でした。この布陣でミランがやりたいことは明確でした。なぜなら、2トップが両方ともスピード型のバッカとニアンだったからです。両MFがサイドを崩して低くて速いクロスを入れて、そのボールにニアンとバッカが飛び込む形がミランの狙いでした。

左のボナベントゥーラは個人技でサイドを崩す場面もありましたが、本田圭佑はもともとトップ下でウイングタイプではありません。それでも、本田圭佑はミハイロビッチ監督の信頼を勝ち取り、9試合連続のスタメン出場です。その答えはこの試合にありました。

それは、右SBアバーテの攻撃参加です。アバーテは本田圭佑のキープ力を信頼しており、本田圭佑を追い越して上がることにまったくためらいがありません。本田圭佑が内寄りでキープして、アバーテにつながったクロスがバッカの先制点につながりました。

アバーテがフォローしてくれることは、本田圭佑にもいい影響がありました。それは、本田圭佑が得意な内寄りからミドルシュートを狙えたことです。昨日、スポーツニュースで見た、ジェノア戦の今季初ゴールもそのミドルシュートです。また、本田圭佑は守備でも効いており、相手カウンターにプレッシャーに行って遅らせる、地味な動きを何度もしていました。

日本人選手が海外で通用するとすればこんな動きかなと感じています。今、イングランドのレスターで大活躍の岡崎慎司も、そういう地味な動きを評価されていると聞きます。瞬間的なスピードではかなわなくても、頭を使うことで貢献する道はあるということでしょう。

また、本田圭佑が出場することで、ミランが勝っていることもいい傾向です。勝つことで、監督はさらに本田圭佑を信頼し、日本代表にもいい影響があるだろうと期待しています。
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