天守閣広場の大銀杏
加藤清正公が植えたという
西南戦争で燃えたものの
新芽が出て大きくなり現在
西南戦争以前 強風で折れたらしいが
これがそうなんだろうか?
説明を見逃してしまった…
大銀杏の脇から
本丸御殿前から
大天守
城は 2面が見える角度が カッコいい
ズデンと!
△ △
南 東
東側に広場があり 右手に小天守が並ぶ構図で 皆さん撮影
小天守の意味は 私は、よくわかっていなくて…
小天守のある城は 大天守に直接入ることはできず
だいたい小天守から入る門がある
天守の入り口を守る 櫓が 小天守
なのかな~ と そのぐらいにしか
この角度から 足元 これ以上下がれない
広角レンズ ほしい
近づくと迫力が出るのだが 入り切れなくなる
歪はないが やや平凡
35mm換算28mm相当
天守を入れると 土台が切れる
タテ位置で撮ると 小天守が切れる
あ~もどかしい
足元の 植え込みに 入るわけにはいかない
し
これ以上 下がると 枝も入る
大天守 南面 土台を見てみよう
△
大天守を 400年 支えてきた
どーだい!
土台
ここは 地震によるダメージは 少なかったかと
だが かなり 揺れたから ズレてないことはないだろう
考え方によったら 隙間があるから ズレるが 崩れない
そんな気もする
矢穴
どこの城に行っても 撮る
これが いちばん 石工の存在の証
を感じる
大きな石を切る
まず 玄翁で マメできてからやね
土台の上は
熊本城大天守は 石落としはない
そのかわり
頑丈な 軒 出ている
これは 登る敵を見ることはできないが
これ 越えれる? ムリだろ!
ロッククライマー みたいに 手をかけたとして
顔出したら
窓から 一斉攻撃 受ける
こう考えた時に
日本の城は 石垣が末広がりになっている
中国や欧州では 塀は だいたい 垂直だ
土台の 強度 の問題もあろうが
敵が 登り始めの段階で 上から 見やすい
攻撃しやすい
というのも あるのではないだろうか?
大天守1階 右脇 出口の2階
桔梗軒丸瓦 は 加藤家紋
滴水瓦
樋が無い時代
拡大してみよう
慶
長
四
年
吉八
日月
出土した瓦を復刻
風の文様に
〇の中は 私にはわからない
大天守を 見上げる
鯱は 見えない
南面 展望楼には 唐破風がある
北側にもあるが 東西にはない
市役所前電停から 長塀通りから
長塀越に見えた 大天守
その間には 連続桝形
折れ雁木 折れ雁木
また
折れ雁木 折れ雁木
つまり 南側を 強固に防衛している
東は 阿蘇の方角なんですが 崖です
西は 二の丸 その北側が 三の丸
そこから天守北側も 崖…
南が 城下町ですし
本丸御殿も南にある
南が正面か?
御殿から 天守を見るというのは
城主としては 格別であったろう
う~~ん
実は 西 と 思っていたのだが…