鯱の門 から 西
御殿の すぐ北側に 天守台
天守台から 右手に 土塁痕の様になってるのが
鯱の門まで続いています
天守台 南面 鯱の門側から
桜の木ですが
花も咲いてませんし
葉も出てませんから
石垣の様子が見れます
天守台 南面 西側から
これは 築城当初の 石積みのままだと
とすると 400年もの
🔻角
この 算木の積み方だと
関ケ原後 間もなくの頃
🔺 一段低い 附櫓台
西に 続いている
⇩
🔺 南側の石垣
🔻 こちら側は 土塁?
高さが揃っているということは 門櫓があったのか?
🔻 門
附櫓台南面石垣
割り石の 打込み接ぎ
で良いのでしょうか…?
ちょっと 落とし込みに なりつつ あるような?
門 の 向こう…
スコーーーン!
広いぞ 佐賀城
門 左手 南側
角は きちんとした 算木
中は 打込み
好きなパターンです
大きさは このくらい 人の背丈の 二倍
二間?
角石 大きいです
この 櫓台のような 石垣の 外側は
なんと
まっすぐ 石垣で ありました
石垣の 外側には 犬走り?
その外側(画面切れてる⇨)堀
小学校跡 というのは 尋常小学校か?
本丸内に あったのでしょう…
本丸内に あったのでしょう…
ここでまた 疑問
石垣の内側は 武者走りで 広いものの
外側 犬走りは 攻め手が不利になるように
狭いのですが…
けっこう 広い
🔺附櫓台 やたら広い犬走り 🔺
鯱の門 から 西へ 天守台の下を 通り
本丸 西門
とあります
もちろん これは 昭和 平成 の門だと
天守の向こう 東に 堅牢な 鯱の門 があるのですが
ここには どんなもん が あったのでしょう
立派な 形のいい 松
もちろん 櫓台の上に あるはずが ありません
ふしぎな 木が たくさん
根が張って 石垣が崩れないことを 願うばかりです
天守台の方にも ありますね~
附櫓台から 天守台に 上がる石段
なんだか 神社的ですが
ワクワク
行ってみましょ
なんだか 神社的ですが
ワクワク
行ってみましょ
本丸 西門 出て 北側に 廻ります
どうなってるでしょう…
御殿跡と門だけのイメージの佐賀城ですが、思ったより広くて大きいですね。
さすが薩長土肥の一角(笑)
って感じで使い放題使ってる感じがします。
博物館の学芸員さんと話しましたが、、
土地の広さからして、石高が少ないんじゃないですか?と質問したら、、
「当時は、湿地が多くて、たんぼに使えなかった」ということでした。
その名残が、れんこん畑なのかな~と思いましたデス。