先程、熟柿庵「歎異抄」勉強会から帰宅しました。
今晩は、「歎異抄」第十八章の最初の部分を教えていただきました。
熟柿庵のご住職・武田智亨師が、師匠の武田寛弘先生の講義記録を作ってくださり、皆さんに教えて下さいます。
今晩、配布いただいたレジュメの中から、次の箇所を拾わせていただきました。
感動する随喜する。ご恩報謝の念仏。ご恩報謝の念仏というふうに思った時には、感動があるわけですよね。その感動の念仏にならなきゃならないのです。思わず知らず知らず「なんまんだぶ」と称えさせていただく。頭で考えているうちは論理なんですけれど、「なんまんだぶ」と口で称えるのは論理じゃないんですよね。ですから観念の念仏に対して口称の念仏、口で称える念仏を大事にされるのです。
共に、まず自分の命のうえに成就しているもの、その大きさを本当にありがとうと受け止めて、受け止められるような生き方をしていくと共に、やっぱり時々刻々の命を大事に生きていきたい。
論理・理屈で行う念仏。
自然に口からこぼれる報恩感謝の念仏。
どちらにしても、法に連なるお念仏に生きて行くことが大事だと体解(信行)したいと思います。