里村専精師の「浄土真宗にようこそ No14」をお届けします。
浄土真宗にようこそ(014)
仏教には、仏教自体の本質というものがあります。
誰かの解釈や判断などは、参考にはなってもそれは人の思索に過ぎないものです。
ブッダが語り、それを聞いた人々が頷いた本質は、ダルマの確実さでした。
世に三宝という寶がありますが、ブッダ・ダルマ・サンガの三つが三位一体のはずです。
なのに、たとえばサンガを大切に見つめる人々はほとんど稀です。
ダルマについても、解説された理解しか採用されていないのが現実ではないでしょうか。
ブッダが語ったダルマは、サンガによって確実に歴史を貫いて伝達されました。
サンガは、初めは比丘だけでしたが、すぐにそれは四衆という規模に展開し始めます。
比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷、とそれは呼ばれています。
これを大別すれば、出家の男女と在俗の男女です。
一つの光が、菩提樹の下でともりました。
やがてミガダーヤ(鹿野苑)で、その光は六つに展開しました。
そして更に、この町ヴァーラーナスィーで三十の光に展開しました。
ついでブッダガヤに戻られた世尊のもとで、三カッサパを含む三十人が出家しました。
光は61に展開したのです、成道からわずか半年のうちのことです。
この61人が、そろってラージャガハ(王舎城)へ乗り込みます。
このラージャガハで、世尊はビンビサーラ大王から竹林精舎の寄進をうけられます。
苦行という無駄な方法を必要としないで、ダルマによって人々に真実を示されるのです。
ラージャガハで、このサンガはたちまちに500人からになったと言われています。
500の光ある人々が、実際に存在していたのです。それがサンガの始まりです。
この500に伴って、その倍数の在俗の帰依者がいました。
祇園精舎を寄進する給孤独長者も、その一人です。彼らもサンガなのです。
世尊が45年のブッダとしての働きを終わられたのは、80才になられてからでした。
45年間の化導によって、ブッダの教えはその本質のままに見つめられていたのです。
そしてブッダなき後にも、サンガはブッダがなされるであろうほどの業績をあげます。
さまざまなアビダルマ(論説)が生まれましたし、大切な経典(ダルマ)も生産されました。
そのようにしてサンガは、歴史を切り開いていったのです。
やがて大乗の時代、日本にも伝えられている多くの経典が産出されます。
すべて三宝の成果なのです。この寶としての意味を、改めて見つめたいものです。
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