一昨日から、この夏の課題図書である多田富雄の一冊を読んでいる。
カウンセリング(臨床心理)や仏教で説くところの「自己」と免疫学で説くところの「自己」との差違について興味のあるところ。
免疫・「自己」と「非自己」の科学
多田 富雄 著 日本放送協会 2001年3月 第1刷発行
本書は、1998年春に放映されたNHK教育テレビ「人間大学」の『免疫・「自己」と「非自己」の科学』の12回の講義に、加筆・改訂を行ったものだそうだ。
理数系が全く駄目な私には手強い。イメージももてないし理解も出来ない。
まあ、「繰り返して読むしかないか・・・」と泣きっ面。
身近で、免疫についてレクチャーしてくれると有難いのだが・・・。
で、幼稚な読書であるが、次のような一節が目にとまった。
胸腺は、文字通り胸腔の中にある小さな腺状の臓器で、人間では最大となる10代でもたかだか35㌘ていどの臓器である。10代後半からすでに退縮を始め、40代では10㌘以下、老人では痕跡ていどになってしまう。
胸腺の存在は、すでにギリシャ時代から知られていたが、胸腺の持つ重要な役割が分かったのはごく最近、1960年代のことである。それまで胸腺は、何の役にも立たない無意味な臓器と考えられていた。生理学や病理学はもとより、専門の免疫学の教科書にも名前さえ現われなかった。
1960年代に胸腺の免疫学における意義が解明されて以来、胸腺が作り出すT細胞の免疫系における役割が明らかにされ、予想を超えたT細胞の機能が次々に発見されるにおよんで、免疫学が現代の生命科学のリーダーの一つになったのである。(本書 p97~)
「何の役にも立たない無意味な臓器」と考えられていた胸腺に注目されてまだ半世紀。
胸腺は、「さまざまな機能分担を持つ成熟したT細胞を作り出し、その中で免疫システムにとって有用な細胞だけを選び出し、他の不要な細胞や有害な細胞を消去してしまうという、免疫の中枢的な働きをする臓器」だそうだ。
中国三国時代の思想家・荘子の言葉。
「人みな有用の用を知りて、無用の用を知るなきなり」
「有用の用」を知ることも大事であるが、「無用の用」にも開かれていたいものだ。