神奈川県立美術館葉山館で開かれている、「ベン・シャーン クロスメディア・アーティスト―写真、絵画、グラフィック・アート―」展に行って来ました。遠い。初めて。車で行く方が早い。首都高から横浜横須賀道路を逗子で降り、逗葉新道を通って御用邸のそば。こんなところだったのか。海から相模湾の向こうに富士山が良く見える。(写真では良く撮れないけど。)
(入口近くにある李禹煥の作品)
ベン・シャーンって誰だ?という人も多いと思います。 1月号の「芸術新潮」がベン・シャーンを特集していて、昨日は買わなかったんだけど気になって今日買ってしまいました。素晴らしい特集ですが、そこでもグラフページの最初に「ベン・シャーンを知っていますか?」とあります。僕にはすごく大切な画家で、何しろ1970年に国立近代美術館で開かれた、日本で最初の本格的なベン・シャーン展を見に行っているのです。僕が自分のお金で見に行った初めての本格的な美術展。その頃映画も見始めて、「イージーライダー」「明日に向って撃て!」などをロードショーで見てるんですが、そういう時期にとても大きな影響を受けました。その時のカタログを引っ張り出して来たら、チケットと絵はがきが一緒になっていました。今回も出ている絵画の代表作「スイミング・プール」の絵はがき。


そのチケットに「アメリカの詩と哀感」とあります。僕も当時はそんな感じで見ていたと思います。ホッパーやワイエスなんかもそうだけど、世界で一番経済的に発展した、移民で作られた国の中にある、孤独と憂愁。リースマンの「孤独な群衆」とかテネシー・ウィリアムズやアーサー・ミラーの演劇、シャーウッド・アンダーソンやスタインベックの小説なんかの、絵での表現。いや、中学生だったから、そんな難しいことは判らなかったけど、小説や映画にひかれ始めていた自我の目覚めの時期の自分の気分にあっていました。
と同時に、むしろベン・シャーンは社会的な画家と思われていて、冤罪事件のサッコとヴァンゼッティ事件を描いたり、大恐慌下の農民、労働組合や反ナチスのためのポスターなどが出ていました。歴史が大好きで、文学や映画と同時に社会問題への意識が芽生え始めていた自分の中で、ベン・シャーンのように芸術を通して社会的メッセージを伝えるのはとても魅力的に見えました。こういう、左翼でありながら左翼勢力とぶつかる、具象でありながら抽象的なグラフィックに近づく、絵だけでなく写真、ポスター、版画、絵本などいろいろ手がけるという姿が、僕はとても好き。
ということで、「ずっと好きだったんだぜ」(©斉藤和義)というベン・シャーン。だから見に行くわけだけど、その行為は「僕の中のベン・シャーン像」を再確認するということになってしまいます。そういう意味では、僕にはあまり発見がないわけ。これは他の有名な画家の場合も大体同じようなもんで、よほど好きな画家でない限り見なくてもいいかなということになります。今回の発見は、写真がいっぱい出てること。そして写真を絵に再構成した作品が、両方展示されていること。特に恐慌中に政府の仕事で各地の様子を写真に撮っていて、それを絵にしています。両者の構図や人物イメージが少し違う。絵の方が哀愁というか、人物の奥行きが深い感じ。
もう一つ、レコード・ジャケットが出ています。(これに関しては、「芸術新潮」を参照。)シュバイツァー(あの「アフリカの聖者」でノーベル平和賞受賞者です)の弾くバッハ、ベートーヴェンの第九、ジャズやクルト・ワイルの「三文オペラ」などなど。これが素晴らしい。また、これは70年のカタログに載ってるけど全く忘れていたのが、リルケ「マルテの手記」の版画集(リトグラフ)。これが素晴らしいんで、リルケを読み直したくなりました。20世紀前半のドイツの詩人ですね。リルケなんて、今も出てるのか?今日、本屋で探したら、新潮文庫で「リルケ詩集」「マルテの手記」「神さまの話」、岩波文庫で「リルケ詩集」「ドゥイノの悲歌」「マルテの手記」がちゃんと生き延びていました。(読み直したいと思います。)
ところで、この版画集「マルテの手記」、「芸術新潮」の「ベン・シャーンからのメッセージ 3・11後の福島で考える」という荒木康子さん(福島県立美術館)の文章を読むと、震災を経て再開した福島県立美術館の常設展示に選ばれました。テーマは「ふるさと・祈り・再生」。「人々、草花、動物、星、海、街、出会い、別れ、再生、生、死、様々な物事の先に一篇の詩が生まれる。」「この版画集は、観る者に、これまでのいろいろの出来事を思い起こすこと、そしてこれから先に思いを馳せることを同時に促す。」
そして、ベン・シャーンは良く知られているように、「ラッキー・ドラゴン」シリーズを描いた人です。ラッキー・ドラゴン、なんだか判りますか?「第五福竜丸」です。それでも知らない人もいるかな。1954年3月1日、世界最初の水爆実験で、アメリカの設定した禁止海域外で被害を受けた焼津の漁船です。久保山愛吉さんが亡くなることになります。原水爆禁止運動が始まるきっかけになりました。第五福竜丸の船体は、保存運動がおこり東京都の「夢の島公園」に展示館ができました。「無言歌」でも書いたように、自国の間違いを直視する勇気と誠実を学びたい。
ベン・シャーンと言う人は、実はアメリカ生まれではなく、1898年にロシア帝国(現リトアニア)に生まれたユダヤ人で、父親はシベリアに流刑となり、一家はバラバラにアメリカを目指し、1906年にアメリカに移住しました。貧しい移民で画家を目指すことはできず、石版画製作所で徒弟修業をしながら夜間高校をへて大学に通ったという経歴の人です。そうした、繁栄するアメリカではなく、底辺の労働者階級から出てきた画家なのです。東欧出身のユダヤ人的な文化背景が、都会の中の孤独を描く画風にも表れ、また「マルテの手記」にもにじみ出ているように感じました。1969年に死去。
今、「3・11後の日本」でベン・シャーンを見ることの意味を考える展覧会でした。
葉山館は、1月29日まで。その後、名古屋市美術館(2.11~3.25)、岡山県立美術館(4.8~5.20)、福島県立美術館(6.3~7.16)と巡回します。福島で再見しようかな。


ベン・シャーンって誰だ?という人も多いと思います。 1月号の「芸術新潮」がベン・シャーンを特集していて、昨日は買わなかったんだけど気になって今日買ってしまいました。素晴らしい特集ですが、そこでもグラフページの最初に「ベン・シャーンを知っていますか?」とあります。僕にはすごく大切な画家で、何しろ1970年に国立近代美術館で開かれた、日本で最初の本格的なベン・シャーン展を見に行っているのです。僕が自分のお金で見に行った初めての本格的な美術展。その頃映画も見始めて、「イージーライダー」「明日に向って撃て!」などをロードショーで見てるんですが、そういう時期にとても大きな影響を受けました。その時のカタログを引っ張り出して来たら、チケットと絵はがきが一緒になっていました。今回も出ている絵画の代表作「スイミング・プール」の絵はがき。


そのチケットに「アメリカの詩と哀感」とあります。僕も当時はそんな感じで見ていたと思います。ホッパーやワイエスなんかもそうだけど、世界で一番経済的に発展した、移民で作られた国の中にある、孤独と憂愁。リースマンの「孤独な群衆」とかテネシー・ウィリアムズやアーサー・ミラーの演劇、シャーウッド・アンダーソンやスタインベックの小説なんかの、絵での表現。いや、中学生だったから、そんな難しいことは判らなかったけど、小説や映画にひかれ始めていた自我の目覚めの時期の自分の気分にあっていました。
と同時に、むしろベン・シャーンは社会的な画家と思われていて、冤罪事件のサッコとヴァンゼッティ事件を描いたり、大恐慌下の農民、労働組合や反ナチスのためのポスターなどが出ていました。歴史が大好きで、文学や映画と同時に社会問題への意識が芽生え始めていた自分の中で、ベン・シャーンのように芸術を通して社会的メッセージを伝えるのはとても魅力的に見えました。こういう、左翼でありながら左翼勢力とぶつかる、具象でありながら抽象的なグラフィックに近づく、絵だけでなく写真、ポスター、版画、絵本などいろいろ手がけるという姿が、僕はとても好き。
ということで、「ずっと好きだったんだぜ」(©斉藤和義)というベン・シャーン。だから見に行くわけだけど、その行為は「僕の中のベン・シャーン像」を再確認するということになってしまいます。そういう意味では、僕にはあまり発見がないわけ。これは他の有名な画家の場合も大体同じようなもんで、よほど好きな画家でない限り見なくてもいいかなということになります。今回の発見は、写真がいっぱい出てること。そして写真を絵に再構成した作品が、両方展示されていること。特に恐慌中に政府の仕事で各地の様子を写真に撮っていて、それを絵にしています。両者の構図や人物イメージが少し違う。絵の方が哀愁というか、人物の奥行きが深い感じ。
もう一つ、レコード・ジャケットが出ています。(これに関しては、「芸術新潮」を参照。)シュバイツァー(あの「アフリカの聖者」でノーベル平和賞受賞者です)の弾くバッハ、ベートーヴェンの第九、ジャズやクルト・ワイルの「三文オペラ」などなど。これが素晴らしい。また、これは70年のカタログに載ってるけど全く忘れていたのが、リルケ「マルテの手記」の版画集(リトグラフ)。これが素晴らしいんで、リルケを読み直したくなりました。20世紀前半のドイツの詩人ですね。リルケなんて、今も出てるのか?今日、本屋で探したら、新潮文庫で「リルケ詩集」「マルテの手記」「神さまの話」、岩波文庫で「リルケ詩集」「ドゥイノの悲歌」「マルテの手記」がちゃんと生き延びていました。(読み直したいと思います。)
ところで、この版画集「マルテの手記」、「芸術新潮」の「ベン・シャーンからのメッセージ 3・11後の福島で考える」という荒木康子さん(福島県立美術館)の文章を読むと、震災を経て再開した福島県立美術館の常設展示に選ばれました。テーマは「ふるさと・祈り・再生」。「人々、草花、動物、星、海、街、出会い、別れ、再生、生、死、様々な物事の先に一篇の詩が生まれる。」「この版画集は、観る者に、これまでのいろいろの出来事を思い起こすこと、そしてこれから先に思いを馳せることを同時に促す。」
そして、ベン・シャーンは良く知られているように、「ラッキー・ドラゴン」シリーズを描いた人です。ラッキー・ドラゴン、なんだか判りますか?「第五福竜丸」です。それでも知らない人もいるかな。1954年3月1日、世界最初の水爆実験で、アメリカの設定した禁止海域外で被害を受けた焼津の漁船です。久保山愛吉さんが亡くなることになります。原水爆禁止運動が始まるきっかけになりました。第五福竜丸の船体は、保存運動がおこり東京都の「夢の島公園」に展示館ができました。「無言歌」でも書いたように、自国の間違いを直視する勇気と誠実を学びたい。
ベン・シャーンと言う人は、実はアメリカ生まれではなく、1898年にロシア帝国(現リトアニア)に生まれたユダヤ人で、父親はシベリアに流刑となり、一家はバラバラにアメリカを目指し、1906年にアメリカに移住しました。貧しい移民で画家を目指すことはできず、石版画製作所で徒弟修業をしながら夜間高校をへて大学に通ったという経歴の人です。そうした、繁栄するアメリカではなく、底辺の労働者階級から出てきた画家なのです。東欧出身のユダヤ人的な文化背景が、都会の中の孤独を描く画風にも表れ、また「マルテの手記」にもにじみ出ているように感じました。1969年に死去。
今、「3・11後の日本」でベン・シャーンを見ることの意味を考える展覧会でした。
葉山館は、1月29日まで。その後、名古屋市美術館(2.11~3.25)、岡山県立美術館(4.8~5.20)、福島県立美術館(6.3~7.16)と巡回します。福島で再見しようかな。
