ブリジストン美術館で「パリへ渡った「石橋コレクション」1962年、春」という展覧会をやっています。昨日が開館記念日で無料でした。適度の混み具合。1951年に開館したブリジストン美術館の名品が、1962年にパリで公開され大好評を博したといいます。その様子は映画に残されていて、中で上映されているから必見です。その時パリへ渡った作品を集めて展示するというのが今回の企画ですが、なんと2つほど所在不明作品があります。つまり50年前には、西洋美術館の松方コレクションや他の個人コレクションが少し含まれていて、50年間に行方がわからなくなってしまったというわけです。クールベとセザンヌの絵ですね。それを含めて今回は借りられなかった作品はパネルで展示されています。
パリへ行ったのは「コローからブラックまで」と題されて、コロー、ドラクロワ、ドーミエ、クールベ、ピサロ、マネ、ドガ、シスレー、セザンヌ、モネ、ルノワール、アンリ・ルソー、ゴーガン、ボナール、マティス、ルオー、ヴラマンク、デュフィ、ドラン、ピカソ、ブラック、ユトリロ、シャガール等々の作品が並んでいます。いやあ、そうそうたる顔ぶれですね。しかも、いかにも「らしい」作品が選ばれています。マティスが5つ、セザンヌ、モネ、ボナールが4つで、特にセザンヌやマティスの絵は素晴らしかった。ピサロやシスレーなども良かったです。日本で印象派以後をどのように受容し、紹介していったのかが判る気がします。マティスが多いのに対し、ピカソやブラックは「らしくない」作品になっているのも興味深い感じです。
こうしてみると、フランスが近代の文化に持った特別な位置の凄さを感じます。文学、思想、映画、ファッションなども含め、ある時期まで日本ではフランスを読む、見る、論じることがとても大きな意味を持っていました。明治以後、日本ではドイツやイギリスに軍事や経済で大きな影響を受けるけれど、文化ではフランスが大きかった。「ふらんすへ行きたしと思へども ふらんすはあまりに遠し」(萩原朔太郎)という時代ですね。それは「革命を起こした国」ということでもあったんでしょう。「自由と平等の国」というイメージですね。カミュ「異邦人」を学生なら皆読んでいたけど、「アルジェリア問題」を読み取ることができなかった時代でした。でも、今になると、フランスの作家とか画家とか、現存の人で誰か知ってますか?という感じですね。ノーベル賞を取った作家ル=クレジオくらいかな。イヴ・サン=ローランが亡くなってデザイナーも知らない。画家は誰も知らない。
そういうフランスが特別な意味を持っていた時代には、多くの画学生がパリを目指しました。1927年(昭和2年)に美校(現在の芸大)を出て25歳で渡仏、戦時下を除きずっとパリへ住んだ画家が、荻須高徳(おぎす・たかのり)でした。戦後も許可が出てすぐに渡仏、結局パリで客死しました。その生誕110年記念で、三越日本橋本店新館で「荻須高徳展」が開かれています。(16日まで)。パリの街角を描き続けた画家ですね。文化勲章。今回はヴェネツィアを描いた絵もたくさん出ています。ほとんど「二都物語」という展覧会ですね。パリやヴェネツィアの街角風景はすごくいいです。家に飾っておきたい。でも、どうなんだろう。今の僕たちにとって、ヨーロッパがそんなに特別な存在ではないと思う。見るならアジアの街角が見たいという感じも。そうなると、すごくうまいタッチで、紛れもない荻須自身の絵なんだけど、ユトリロや佐伯祐三でいいじゃないかという気がしないでもない。ということを感じてしまったのでした。
パリへ行ったのは「コローからブラックまで」と題されて、コロー、ドラクロワ、ドーミエ、クールベ、ピサロ、マネ、ドガ、シスレー、セザンヌ、モネ、ルノワール、アンリ・ルソー、ゴーガン、ボナール、マティス、ルオー、ヴラマンク、デュフィ、ドラン、ピカソ、ブラック、ユトリロ、シャガール等々の作品が並んでいます。いやあ、そうそうたる顔ぶれですね。しかも、いかにも「らしい」作品が選ばれています。マティスが5つ、セザンヌ、モネ、ボナールが4つで、特にセザンヌやマティスの絵は素晴らしかった。ピサロやシスレーなども良かったです。日本で印象派以後をどのように受容し、紹介していったのかが判る気がします。マティスが多いのに対し、ピカソやブラックは「らしくない」作品になっているのも興味深い感じです。
こうしてみると、フランスが近代の文化に持った特別な位置の凄さを感じます。文学、思想、映画、ファッションなども含め、ある時期まで日本ではフランスを読む、見る、論じることがとても大きな意味を持っていました。明治以後、日本ではドイツやイギリスに軍事や経済で大きな影響を受けるけれど、文化ではフランスが大きかった。「ふらんすへ行きたしと思へども ふらんすはあまりに遠し」(萩原朔太郎)という時代ですね。それは「革命を起こした国」ということでもあったんでしょう。「自由と平等の国」というイメージですね。カミュ「異邦人」を学生なら皆読んでいたけど、「アルジェリア問題」を読み取ることができなかった時代でした。でも、今になると、フランスの作家とか画家とか、現存の人で誰か知ってますか?という感じですね。ノーベル賞を取った作家ル=クレジオくらいかな。イヴ・サン=ローランが亡くなってデザイナーも知らない。画家は誰も知らない。
そういうフランスが特別な意味を持っていた時代には、多くの画学生がパリを目指しました。1927年(昭和2年)に美校(現在の芸大)を出て25歳で渡仏、戦時下を除きずっとパリへ住んだ画家が、荻須高徳(おぎす・たかのり)でした。戦後も許可が出てすぐに渡仏、結局パリで客死しました。その生誕110年記念で、三越日本橋本店新館で「荻須高徳展」が開かれています。(16日まで)。パリの街角を描き続けた画家ですね。文化勲章。今回はヴェネツィアを描いた絵もたくさん出ています。ほとんど「二都物語」という展覧会ですね。パリやヴェネツィアの街角風景はすごくいいです。家に飾っておきたい。でも、どうなんだろう。今の僕たちにとって、ヨーロッパがそんなに特別な存在ではないと思う。見るならアジアの街角が見たいという感じも。そうなると、すごくうまいタッチで、紛れもない荻須自身の絵なんだけど、ユトリロや佐伯祐三でいいじゃないかという気がしないでもない。ということを感じてしまったのでした。