イーヴリン・ウォー「回想のブライズヘッド」上下(岩波文庫)を読む。
(表紙左が26歳のウォー、右が有名な邸宅ワデスドン・マナー)
最近イギリス文学を続けて読んでいる。6月はグレアム・グリーンを読んでたんだけど、まだ途中なのでいずれ書くことにしたい。ジョン・ル・カレを読んだら、グリーンの「ヒューマン・ファクター」を読み直したくなり、そこからカトリックつながりでイーヴリン・ウォーへ。このままロンドン五輪までしばらくイギリス文学を読んでようと思う。
イーヴリン・ウォー(1903~1966)と言っても知らない人が多いと思うけど、ブラック・ユーモアやシニシズムが基調のちょっと高踏的な文学と言われていて、僕も今回初めて読んだ。日本ではあまり翻訳もないけど、吉田健一なんかが訳していて、ちょっと似ているかもしれない。吉田茂の子にして、母方を通して牧野伸顕の孫、大久保利通のひ孫だった吉田健一の、上流を知ってる人特有の不思議な皮肉とユーモアの世界。それにもっと毒をまぶしたのがウォーの世界らしい。
「らしい」というのは、第1作の「大転落」(岩波文庫、「ポール・ペニフェザーの大冒険」の名前で福武文庫から昔出たものを読んだ)しか、今他に読める本がない。この小説は、オックスフォードの学生が不運に次ぐ不運でどんどん「転落」していくさまを描く「悪漢小説」(ピカレスク・ロマン)である。なかなか面白いけど、当時のイギリスでは大学を退学になると、どこかの私立学校の教師になれるらしいのが面白い。
これに対して「回想のブライズヘッド」は、ウォーとしては異色らしいけど、ロマンティックでノスタルジックなムードに全編があふれている大傑作である。第一次世界大戦後の「西欧の没落」を時代背景としながら、戦間期の青春の知的彷徨を描いている。政治的には著者本人も主人公も「保守反動」で、イギリスでは貴族階級の立場で保守党支持、労働党の台頭を嫌う立場である。でも、面白いものは面白い。ロマンティシズムというのは、本質的に保守的な心性と結びつくものなんだろう。
第二次世界大戦で中年となりつつ軍務につき部隊の移動である大邸宅に着いたチャールズ・ライダー。部下がこんなすごい家は見たことがないでしょうというと、いや、ここには昔来たことがある…、ということで青春の甘く、苦い思い出が次々と語られていく。そこはオックスフォードで知り合った一番の友、侯爵の次男だったセバスチアンの実家だった。そこを何度訪れただろう。この一家には「問題」があり、カトリックの信仰篤い母親はその邸宅にいるが、父親はそれを嫌って愛人とヴェネツィアに邸宅を構えているのだ。一家には兄と、今年社交界にデビューした妹ジューリア、さらに下の信仰心の深い妹がいる。チャールズはこの一家とも知り合いになり、夏休みにはヴェネツィアを訪れて夢のような生活を送る。
しかし友人セバスチアンはどうしても飲酒をやめられず、学生生活も続かなくなり、やがて外国で放浪の生活へ入ってしまう。チャールズも大学を辞め、昔からの夢である画家の勉強を始めることになる。イギリスの有名な邸宅を専門に描く画家としてやがて成功を収める。セバスチアンの行方は不明だが、母親の死期が近くなり、モロッコにいるらしいから訪ねて欲しいと言われて、すさんだ友人の生活を見る。病気の友は英国に帰ることは出来ない。こうしてブライズヘッド一家との交わりも終わったかと思われる。
ところでこの後、運命的なジューリアとの再会と既婚者どうしの恋愛が始まり、甘美な思い出と苦しみはこの一家の思い出とともにまだまだ続くという、愛と友情の精神史がこの小説。一家に一人はいる「もてあまし者」が美しきセバスチアンで、一家に一人いる「真面目で信仰篤き者」が容姿に少し恵まれなかった末妹コーデリアである。美貌で社交界を虜にするジューリアは、カトリックで両親が別居しているという条件から、国教会の貴族の長男とは結婚できない。野心家のカナダ出身の政治家と間違った結婚をしてしまう。こういう英国貴族の「偽善」と「信仰のゆらぎ」を一身に引き受けるのが、セバスチアンの破滅主義で、太宰の主人公のような「人間失格」の道を歩むが、もちろん美しきセバスチアンの破滅的飲酒こそ、もっとも「神に近い」「神に愛される」生き方である。
こうしてすべて失ったチャールズの下に、ヒトラーの台頭と戦争の始まりがきて、古きよき時代、わが青春の甘美な思い出はすべて過ぎ去っていった。藤原審璽の、そして吉田喜重が岡田茉莉子主演で映画化された「秋津温泉」のムードと少し似てる。過ぎ去った青春の思い出というようなムードは、「グレート・ギャツビー」などとも似てるけど、滅びゆく貴族の世界というような点が貴族のないアメリカでは大受けしたらしい。
現代では、イアン・マキューアン「贖罪」(映画化名「つぐない」)という大傑作が21世紀になって書かれている。現代としてはそちらの方が「政治的に正しい」んだけど、「上流階級の滅びの美学」みたいな、ウォーの小説も忘れがたい。イギリスらしい小説を読みたい人は文庫で出てるから読んでみるといい。でも小説をあまり読んでない人には関係ない。全員が読むようなものでもない。しかし、こういうのが「読書の喜び」であるのも間違いない。

最近イギリス文学を続けて読んでいる。6月はグレアム・グリーンを読んでたんだけど、まだ途中なのでいずれ書くことにしたい。ジョン・ル・カレを読んだら、グリーンの「ヒューマン・ファクター」を読み直したくなり、そこからカトリックつながりでイーヴリン・ウォーへ。このままロンドン五輪までしばらくイギリス文学を読んでようと思う。
イーヴリン・ウォー(1903~1966)と言っても知らない人が多いと思うけど、ブラック・ユーモアやシニシズムが基調のちょっと高踏的な文学と言われていて、僕も今回初めて読んだ。日本ではあまり翻訳もないけど、吉田健一なんかが訳していて、ちょっと似ているかもしれない。吉田茂の子にして、母方を通して牧野伸顕の孫、大久保利通のひ孫だった吉田健一の、上流を知ってる人特有の不思議な皮肉とユーモアの世界。それにもっと毒をまぶしたのがウォーの世界らしい。
「らしい」というのは、第1作の「大転落」(岩波文庫、「ポール・ペニフェザーの大冒険」の名前で福武文庫から昔出たものを読んだ)しか、今他に読める本がない。この小説は、オックスフォードの学生が不運に次ぐ不運でどんどん「転落」していくさまを描く「悪漢小説」(ピカレスク・ロマン)である。なかなか面白いけど、当時のイギリスでは大学を退学になると、どこかの私立学校の教師になれるらしいのが面白い。
これに対して「回想のブライズヘッド」は、ウォーとしては異色らしいけど、ロマンティックでノスタルジックなムードに全編があふれている大傑作である。第一次世界大戦後の「西欧の没落」を時代背景としながら、戦間期の青春の知的彷徨を描いている。政治的には著者本人も主人公も「保守反動」で、イギリスでは貴族階級の立場で保守党支持、労働党の台頭を嫌う立場である。でも、面白いものは面白い。ロマンティシズムというのは、本質的に保守的な心性と結びつくものなんだろう。
第二次世界大戦で中年となりつつ軍務につき部隊の移動である大邸宅に着いたチャールズ・ライダー。部下がこんなすごい家は見たことがないでしょうというと、いや、ここには昔来たことがある…、ということで青春の甘く、苦い思い出が次々と語られていく。そこはオックスフォードで知り合った一番の友、侯爵の次男だったセバスチアンの実家だった。そこを何度訪れただろう。この一家には「問題」があり、カトリックの信仰篤い母親はその邸宅にいるが、父親はそれを嫌って愛人とヴェネツィアに邸宅を構えているのだ。一家には兄と、今年社交界にデビューした妹ジューリア、さらに下の信仰心の深い妹がいる。チャールズはこの一家とも知り合いになり、夏休みにはヴェネツィアを訪れて夢のような生活を送る。
しかし友人セバスチアンはどうしても飲酒をやめられず、学生生活も続かなくなり、やがて外国で放浪の生活へ入ってしまう。チャールズも大学を辞め、昔からの夢である画家の勉強を始めることになる。イギリスの有名な邸宅を専門に描く画家としてやがて成功を収める。セバスチアンの行方は不明だが、母親の死期が近くなり、モロッコにいるらしいから訪ねて欲しいと言われて、すさんだ友人の生活を見る。病気の友は英国に帰ることは出来ない。こうしてブライズヘッド一家との交わりも終わったかと思われる。
ところでこの後、運命的なジューリアとの再会と既婚者どうしの恋愛が始まり、甘美な思い出と苦しみはこの一家の思い出とともにまだまだ続くという、愛と友情の精神史がこの小説。一家に一人はいる「もてあまし者」が美しきセバスチアンで、一家に一人いる「真面目で信仰篤き者」が容姿に少し恵まれなかった末妹コーデリアである。美貌で社交界を虜にするジューリアは、カトリックで両親が別居しているという条件から、国教会の貴族の長男とは結婚できない。野心家のカナダ出身の政治家と間違った結婚をしてしまう。こういう英国貴族の「偽善」と「信仰のゆらぎ」を一身に引き受けるのが、セバスチアンの破滅主義で、太宰の主人公のような「人間失格」の道を歩むが、もちろん美しきセバスチアンの破滅的飲酒こそ、もっとも「神に近い」「神に愛される」生き方である。
こうしてすべて失ったチャールズの下に、ヒトラーの台頭と戦争の始まりがきて、古きよき時代、わが青春の甘美な思い出はすべて過ぎ去っていった。藤原審璽の、そして吉田喜重が岡田茉莉子主演で映画化された「秋津温泉」のムードと少し似てる。過ぎ去った青春の思い出というようなムードは、「グレート・ギャツビー」などとも似てるけど、滅びゆく貴族の世界というような点が貴族のないアメリカでは大受けしたらしい。
現代では、イアン・マキューアン「贖罪」(映画化名「つぐない」)という大傑作が21世紀になって書かれている。現代としてはそちらの方が「政治的に正しい」んだけど、「上流階級の滅びの美学」みたいな、ウォーの小説も忘れがたい。イギリスらしい小説を読みたい人は文庫で出てるから読んでみるといい。でも小説をあまり読んでない人には関係ない。全員が読むようなものでもない。しかし、こういうのが「読書の喜び」であるのも間違いない。