尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「夏・南方のローマンス」とBC級戦犯裁判

2013年04月21日 00時53分33秒 | 演劇
 木下順二作、劇団民藝「夏・南方のローマンス」の26年ぶりの再演を見た。(紀伊國屋サザンシアター)。23日まで。この芝居を見ると、現時点で木下順二を演じることは難しいなあと思った。まあまあの出来かなという感想になるけど、内容について書いておきたいことがある。
 
 それは「BC級戦犯」という概念の問題である。今では、戦争責任を論じる人ならば、「A級戦犯」が「責任(罪)が重い戦争犯罪人」だと間違えている人はさすがにほとんどいないだろう。でも一般には、「WBC3連覇を逃したA級戦犯」と見出しにうたう週刊誌があったぐらいで、今でも「A級」は責任重大の意味だと思っている人がいるのである。赤坂真理の評判作「東京プリズン」を読むと、この問題も出てくる。15歳の少女が知らないのは当然だと思うが。

 今では多くの人が知っていると思うが、ABCというのは「罪の内容」を仮に分類した区分である。A級は「平和に関する罪」で、侵略戦争を始めた罪に問う。それが戦争理解、裁判の報復性、罪刑法定主義違反などの問題をはらんでいることは間違いない。その問題に関してはいろいろな考え方があるが、ここでは書かない。B級は「通常の戦争犯罪」C級は「人道に対する罪」

 C級は主にナチスのユダヤ人虐殺を裁くための概念だった。ドイツがユダヤ人と戦争していたわけではないので、ユダヤ人強制収容所は通常の戦争犯罪では裁けない。そういう事情が日本にはなかったから、日本軍の戦犯裁判はすべてA級とB級だった。(後に問題化する「731部隊」や「慰安婦」などは、当時正面から問題にされていたら、「C級」にあたったかもしれない。ソ連が行った「731部隊」関係者のハバロフスク裁判などは、ある種の「C級戦犯裁判」だったかもしれない。)

 そういう理解からすれば、木下順二のセリフに「B級は現地の下士官クラス」「C級は命令で実行した兵クラス」とあるのは、間違いである。この劇に登場するのは全員「B級戦犯」である。この劇の中では、ある島を米軍が包囲する中、島民のスパイ組織があるとにらんだ陸軍中佐の脅迫で一大スパイ事件がねつ造され、島民66人が死刑にされたとされる。似たような事件はインドネシアで実在しているので、「いかにもありそうな話」だ。

 しかし、実は「死刑」にしたときに正式な裁判をやってないのである。だから本質は「虐殺事件」である。それでは大問題になるので、中佐が中心になって「軍律審判」を開いたという虚偽を裁判直前に打ち合わせた。「戦犯裁判のいい加減さ」というのはどこでもつきまとった問題だけど、この劇では「日本軍被告側に組織的偽証があった」のである。その結果、実質的責任者の陸軍中佐が助命され、過酷な取り調べを担当した兵が「実行犯」とされて重罪を課される。

 ムチャクチャな取り調べで島民を虐殺した事件は(劇の中で)事実であり、その責任は陸軍中佐の参謀にある。その中佐が奸計をろうして責任を下の者に押し付けてのうのうとしている。それがこの裁判の一番追求すべき問題だと思う。戦犯裁判そのものの理不尽性、連合国と島民の間にあったカルチャ-・ギャップなど、描くべき大きな問題はいくつもある。だが、当時の日本軍に言っても仕方ないことを考えるよりも、「戦争犯罪の責任を取るべき人物が罪を部下に押しつけた」という点を問題にした方がいいのではないか。

 僕は木下順二の戯曲そのものに問題があると思う。木下順二(1914~2006)は長命だったけど、最近は「名前のみ有名」という存在かもしれない。70年頃までは戦後最大の劇作家だと誰もが思っていた。代表作「夕鶴」は必読書で、中学や高校の演劇部がたくさん上演していた。僕も旺文社文庫で中学時代に読んだ。「夕鶴」は山本安英が「つう」を演じて1037回上演した。山本安英の死後、他の人で演じたのは坂東玉三郎が一回あるだけ。オペラは上演されるが、演劇としては封印されたに等しい。没後に岩波文庫の著作集4冊を全部読んだが、「夕鶴」は今も生きていると思った。全国が一体化した今こそ、「夕鶴」の方言はどこの言葉かなどの問題に関係なく、テーマだけが見事に立ち上がって読む者に突き刺さる。それに対して、前に読んだときに心ふるえるような思いをした「オットーと呼ばれる日本人」や「蛙昇天」が時代とずれてきた感じを否めなかった。

 木下順二の新作を見たのは「子午線の祀り」だけである。大学院生だったが、平家物語の「群読」は手ごわすぎた。なんで高い金払って見る(聴く)意味があるのか、ひとりで「平家」を読んでちゃダメなのか、よく判らなかった。「夏・南方のローマンス」(87年)と翻案による「巨匠」は、忙しい上に金もなく見てない。(「巨匠」の大滝秀治を見逃したのはもったいなかった。)追悼公演で「沖縄」(63年)を見たが、なかなかストレートに入って来なかった。純粋のリアリズムで社会派的に描くだけではなく、そういう側面もありつつ象徴的というか、「鳥瞰」と「虫瞰」を同時に行うような劇が多い。中身の事件を知ってると、そのとらえ方が斬新かつ感動的だが、時間が経つと象徴性の部分が通じなくなる。(井上ひさしの評伝劇は対象に有名な作家が多いから、今後も判らなくなることはなさそうだ。うまい方法だった。)

 この戯曲は「忘れてはいけない」戦犯裁判という思いで書かれているんだろう。パンフにある木下順二の「未精算の過去」という文章は1975年のものだ。「戦後30年」でそういうことを思っていたわけである。その後「審判」という東京裁判を描く劇を70年に書いた。「夏・南方のローマンス」でBC級を取り上げ、両者あいまっての戦犯劇である。これは井上ひさしの「東京裁判3部作」と厳密に比較対象されるべき作品だと思うが、今はその準備がない。僕は東京裁判という「大きなもの」に関して思う「複雑な感慨」と、BC級裁判に感じる「単純な怒り」はかなり違うと思う。そもそも死刑制度に反対なので戦犯裁判でも死刑は認められないと思っているが、それはさておき、この裁判は「冤罪死刑裁判」である。「冤罪」なのである。冤罪をもたらしたものは何かと僕はストレートに問いたいのである。それは直接には、軍上層部の策略である。そう僕は感じたわけである。

 この劇の主人公は、大学出にもかかわらず幹部候補生を志願しなかった。そして住民の中に入り、慕われた兵だった。だが暴走する軍を止められないし、島民女性の自殺を防げない。その子供が証人に呼ばれ、彼が責任者と指差されて死刑判決が出る。彼の方は、これを「一つの運命」「日本軍の一員だった自分の責任」として受け入れているようだ。そういう話が、主人公を思い続ける女漫才師を中心に、戦友や主人公の妻の話を通して描かれていく。だが、この女漫才師(初演では関西弁だったよし)は難役で、どうも違和感も残る。戦犯裁判を劇にするときに、いわゆる三角関係ではないけれど、「妻と愛人」みたいな設定をする理由は何だろう。主人公を複眼で描き出すことか。確かに妻だけよりは複雑なエピソードが出てくるが、本質をぼかす感じがして設定に問題がある。

 題名の「夏・南方のローマンス」は、無声映画の弁士の名セリフ「春や春、春南方のローマンス」から取られている。調べてみると、1918年公開の「南方の判事」で、生駒雷遊(1895~1964)という弁士がしゃべって大評判になった。考案したのは林天風とあるから、無声映画の弁士も台本と発声は分業だったのだろう。主に浅草で活躍し、新宿の徳川夢声と並び称せられた。映画がトーキー(発声映画)になると弁士は失業し大きな問題になるが、生駒は古川ロッパの「笑の王国」に参加したという。この名文句は昔は大体みな知っていて、僕もこの名調子は知っている。この題名がストレートに伝わらない世代には、題名自体の喚起力がそがれてしまうだろう。

 BC級戦犯の問題は複雑な点が多い。だいぶ解明されて来て、今のところ林博史「BC級戦犯裁判」(岩波新書)が基本文献だろう。「私は貝になりたい」のような、兵が日本で逮捕され死刑になるといった事例はなかったことが今は証明されている。捕虜収容所が問題にされた事例が多く、朝鮮人・台湾人の軍属が戦犯に問われた例も多い。この問題は今も続いているが、大島渚のドキュメント「忘れられた皇軍」に描かれている。また連合軍捕虜収容所の待遇にも問題はあった。

 いろいろ問題があったわけだが、日本の戦争犯罪が事実あった以上、的確な裁判で冤罪ではない事実認定が出る必要がある。その裁判としての最低基準がクリアーできていない裁判がいっぱいあった。それは「悲しい」と言って済む問題ではない。「仁義なき戦い」で山守組長がしぶとく生き残り、下で苦労したものがつぶされていくという構図。それが「戦後日本」だという日本そのものを象徴するのが、BC級戦犯裁判である。「忘れてはいけない」のは確かで、今回の上演もいいことなんだけど、木下戯曲が今の時代に難しいという問題も突きつけているように思う。
コメント (2)
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