渋谷Bunnkamuraのシアターコクーンで、「木の上の軍隊」を見た。ここは高いから見るのは久しぶり。昼間のチケットを入手できたので、見に行った。井上ひさしが最後に書こうとしていたという戯曲である。それは完成せずに亡くなったので、井上ひさし原案とうたって、若手の蓬莱竜太(ほうらい・りゅうた、1976~)が書きあげて、こまつ座とホリプロが製作した。山西惇、藤原竜也、片平なぎさの3人しか登場しない。他にヴァイオリン(いやヴィオラかも)の生演奏があるから舞台上には4人がいる。栗山民也演出。時間的にも2時間しない、1幕のシンプルな作りだった。
井上ひさしの最後の幻の劇、しかも沖縄戦の話となれば、是非見たいと思っていた。期待を持って見たのだが、正直に言うとどうも期待外れだった。舞台の上には、素晴らしく大きなガジュマルの木がそびえた立っている。これはなにしろ結果的に2人の兵隊が2年間隠れ住むことになる木だから、この舞台美術は重要である。これを見る価値はあるんだけど、芝居そのものはどうもなんだか納得しにくいまま進行していく。二人の兵隊、上官と新兵がいるんだけど、そこに「狂言回し」というか「ガジュマルの精」というべきか、片平なぎさが登場して状況を報告してしまうのである。解説というか、説明と言うか。二人の気持ちまで本人のセリフや演技ではなく、片平なぎさに教えられてしまうのである。これは困った。しかも、兵隊ふたりは敵から逃げているという意識だから、常に小声でしゃべる。大声になると注意し合う。(僕は右耳の聴力が弱いので、後ろの方の席だから聞き取れないセリフがかなりあった。)一方、片平なぎさは遠慮する必要はないので、説明のセリフだけよく聞こえてくるのである。
米軍の猛攻撃の中、ある島で日本兵が逃げている。大きな木がありそこに登って逃げ延びた2人。一人は本土出身の古兵で、もう一人は現地で召集された若者の新兵。二人は前から知り合いだったわけではなく、逃亡というか、主観的には一種の「樹上基地」というか、そこで暮らしていくうちに、二人の考え方の違いが大きくなり、争い合い、また協力し合い、上官と新兵という関係は変容していく。女性関係のエピソードを話したり、食べ物をめぐって意地を張りあうあたりは、なかなか面白い。この二人の関係には、まあ「本土と沖縄」という関係がシンボライズされているんだろうけど、でもそういう大きな象徴性はあまり感じられない。あくまでも、具体的な事実をめぐって劇が進行する。
蓬莱竜太と言う作家は、2009年に「まほろば」で岸田國士賞を取った新進である。「まほろば」は昨年の再演を見たが、破格の家族関係を日常の細かな描写で描いていた。今回も、設定が「木の上の軍隊」という破格の物語なんだけど、そこに「日常」の味付けをしていくように思えた。そこが実は僕には少し不満。破格の設定には破格の展開がいるのではないか。例えば、僕は「木の上」と聞いた時に、イタロ・カルヴィーノの「木のぼり男爵」のファンタジックで破天荒な面白さを連想した。あの素晴らしく面白い物語のように、木と木が絡まり合いガジュマルを伝わって島の裏に行けるようになっているとか、ひとりは木を降りることを拒否して戦後を樹上で生きることを選択するとか、そのくらい破天荒な物語が欲しい感じがするのである。どうだろう、米軍を逃れて木に登った兵隊が、敗戦を知った後でも米軍が去って「真の平和」が来るまでは樹上で過ごすと宣言して、島人が支えて今も樹上で生きているというような設定は。
「夏・南方のローマンス」と続けて、日本兵が出てくる劇を見たが、昔と違うから若い俳優が兵隊に見えないのは仕方ない。でも、「ローマンス」のずるく立ち回る兵隊の方にリアリティがあるのではないかと僕は思う。役者と言うのは「やな役」の方がうまくできる者だとは思うけど。
井上ひさしの最後の幻の劇、しかも沖縄戦の話となれば、是非見たいと思っていた。期待を持って見たのだが、正直に言うとどうも期待外れだった。舞台の上には、素晴らしく大きなガジュマルの木がそびえた立っている。これはなにしろ結果的に2人の兵隊が2年間隠れ住むことになる木だから、この舞台美術は重要である。これを見る価値はあるんだけど、芝居そのものはどうもなんだか納得しにくいまま進行していく。二人の兵隊、上官と新兵がいるんだけど、そこに「狂言回し」というか「ガジュマルの精」というべきか、片平なぎさが登場して状況を報告してしまうのである。解説というか、説明と言うか。二人の気持ちまで本人のセリフや演技ではなく、片平なぎさに教えられてしまうのである。これは困った。しかも、兵隊ふたりは敵から逃げているという意識だから、常に小声でしゃべる。大声になると注意し合う。(僕は右耳の聴力が弱いので、後ろの方の席だから聞き取れないセリフがかなりあった。)一方、片平なぎさは遠慮する必要はないので、説明のセリフだけよく聞こえてくるのである。
米軍の猛攻撃の中、ある島で日本兵が逃げている。大きな木がありそこに登って逃げ延びた2人。一人は本土出身の古兵で、もう一人は現地で召集された若者の新兵。二人は前から知り合いだったわけではなく、逃亡というか、主観的には一種の「樹上基地」というか、そこで暮らしていくうちに、二人の考え方の違いが大きくなり、争い合い、また協力し合い、上官と新兵という関係は変容していく。女性関係のエピソードを話したり、食べ物をめぐって意地を張りあうあたりは、なかなか面白い。この二人の関係には、まあ「本土と沖縄」という関係がシンボライズされているんだろうけど、でもそういう大きな象徴性はあまり感じられない。あくまでも、具体的な事実をめぐって劇が進行する。
蓬莱竜太と言う作家は、2009年に「まほろば」で岸田國士賞を取った新進である。「まほろば」は昨年の再演を見たが、破格の家族関係を日常の細かな描写で描いていた。今回も、設定が「木の上の軍隊」という破格の物語なんだけど、そこに「日常」の味付けをしていくように思えた。そこが実は僕には少し不満。破格の設定には破格の展開がいるのではないか。例えば、僕は「木の上」と聞いた時に、イタロ・カルヴィーノの「木のぼり男爵」のファンタジックで破天荒な面白さを連想した。あの素晴らしく面白い物語のように、木と木が絡まり合いガジュマルを伝わって島の裏に行けるようになっているとか、ひとりは木を降りることを拒否して戦後を樹上で生きることを選択するとか、そのくらい破天荒な物語が欲しい感じがするのである。どうだろう、米軍を逃れて木に登った兵隊が、敗戦を知った後でも米軍が去って「真の平和」が来るまでは樹上で過ごすと宣言して、島人が支えて今も樹上で生きているというような設定は。
「夏・南方のローマンス」と続けて、日本兵が出てくる劇を見たが、昔と違うから若い俳優が兵隊に見えないのは仕方ない。でも、「ローマンス」のずるく立ち回る兵隊の方にリアリティがあるのではないかと僕は思う。役者と言うのは「やな役」の方がうまくできる者だとは思うけど。