尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「主権回復の日」の虚構

2013年04月27日 23時55分24秒 |  〃  (安倍政権論)
 4月28日に、政府主催の「主権回復記念式典」を突然行うと言う話。去年なら、まだ60年と言う周年にあたったけれど、今年やる意味は何か。しかし、これが自民党の選挙公約にあったというのは当時は気付かなかった。この日を祝日にしようという動きも前からあって、そういう右派の言論が安倍内閣に取り入れられたということである。

 1951年9月の「サンフランシスコ講和会議」で講和条約が結ばれ、翌年4月28日に発効した。そこで「主権が回復した」というのだが、この条約で沖縄県の米軍統治が認められ、長い苦難の年月が続く。だから、沖縄にとっては「屈辱の日」と呼ばれた。長いこと4月28日は「沖縄デー」になっていて、「祖国復帰運動」の記念日だった。沖縄最北端の辺戸岬(へどみさき)には記念碑があるけど、沖縄から出た船と鹿児島県最南端の与論島の船が海上で交流したものである。そういう意味で、沖縄から強い反発が出ているのもよく判るし共感もするが、「本土」の側で沖縄のことしか触れないのが気になっている。「沖縄に配慮しないのか」と言うのは正しいが、これだけでは政府に反対するのの沖縄を利用しているという感じもしてしまう。

 では何を考えておくべきかと言うと、北方領土問題在日朝鮮人・台湾人問題もあるけど、一番は日米安保をどう考えるか、憲法改正をどう考えるかと言う問題だと思う。本来は、政府主催でやるべきは「憲法記念日の式典」であるはずである。仮に改憲の立場に立つ政府だとしても、現にある憲法が施行された日に式典を行う方が正しいだろう。今は5月3日と言う日は、護憲派、改憲派がそれぞれ集会を開く「政治集会の日」になっているが、「国民の祝日」なんだから政府が主催する方が自然である。

 今ここで書くのは、今後どうするべきかなどと言う大きな議論をしたいからではない。戦後史に関してあまり触れられていない問題があるので、認識をクリアーにしたいからである。だから一つ一つの問題の記述は簡単にする。まず北方領土問題。サンフランシスコ講和会議には、中国は招かれず(北京の人民共和国も、台湾に逃れた民国もどちらも招かれず。なお、その時点でアメリカは台湾を承認していたが、英国は中華人民共和国を承認していた)、ソ連、ポーランド、チェコスロヴァキアの3国は参加したが署名しなかった。だからソ連のとの間には平和条約が存在しなかった。ソ連崩壊後もその状態が続いているので、日本は「主権回復」どころか、法的な戦争状態がまだ完全には終結していない。北方領土の島の一つ一つの帰属問題を超えて、主要交戦国の一つとまだ平和条約がないという状態をもって、「主権回復」とうたっていいのだろうか。安倍首相は記念式典後に訪ロするわけだが。

 ところで、講和条約で日本は植民地を放棄した。千島や南樺太は法的には「内地」に所属したわけだが、「台湾」「朝鮮」は「外地」(つまりは植民地)として大日本帝国憲法の適用外とされた。しかし、大日本帝国の支配下にあったわけで、そこの住民は法的には「日本国籍」を持っていたわけである。日本統治下に戸籍が作られ、そこに載っている人が、諸事情で「本土」に移り住んだ場合は、「朝鮮籍」「台湾籍」という扱いとなる。台湾、朝鮮では選挙はないが、本土に移り住んだ台湾籍、朝鮮籍の人には選挙権があった。被選挙権もあり、衆議院議員になった人物もいる。

 では、日本に住む旧植民地出身者の扱いはどうなったかと言うと、日本国憲法が施行される前日、1947年5月2日に、最後の勅令(大日本帝国憲法には、天皇大権として法律に代わり勅令(ちょくれい)を出す権限が決められていた)として「外国人登録令」が作られた。そこで台湾、朝鮮出身者は「当分の間、外国人とみなす」とされたのである。(外国人と言っても、何国の人かと言われたら、大韓民国も朝鮮民主主義人民共和国も建国以前なのだから答えようがないわけだが。)

 そして、1952年4月28日、まさに講和条約発効の日に、その「登録令」は効力を失い、「外国人登録法」に切り替えられた。しかし、内容は変わらない。(この外国人登録法は、2012年7月9日に、新入管法施行により失効した。新法は正式には、「出入国管理及び難民認定法及び日本国との平和条約に基づき日本の国籍を離脱した者等の出入国管理に関する特例法の一部を改正する等の法律」)多くの植民地旧宗主国では、植民地に独立を与える時点で国籍決定の自由を与えている。だから本国に住んでいる人の中には、イギリスやフランスの国籍を取得した人がたくさんいる。でも日本はそういう対応を取らず、一方的に全員を外国人扱いとしてしまった。日本は国籍取得を血統主義(親が日本国籍なら、子も日本国籍)としているので、日本にはまだ数多くの「在日韓国・朝鮮人」がいるわけである。一方的に国籍離脱を強行したため、戦死、戦傷した台湾、朝鮮出身旧日本兵に対する恩給が支払われないままになったという不条理も起こった。

 そういうような問題もあるけれど、一番大きいのは日米安保条約の存在だろう。日米地位協定の内容など、本当に主権が回復しているのかという感じもあるけど、そういう問題の前に日米安保自体が問題なのではないか。日本を占領していた軍が講和で帰国するのが「主権回復」なのではないか。前日まで「占領軍」だった米軍が、翌日から「進駐軍」と名を変えて、安保条約で合法的に日本に居続けるというのでは、どこが「主権回復」なのだろうか。それは講和会議の吉田茂全権も判っていて、講和条約は「超党派」で署名したいということで、自由党(吉田の所属した当時の与党)以外に、国民民主党や参議院の緑風会からも署名している。しかし、講和会議直後に行われた安保条約の調印式では吉田茂しか署名しなかった。後の首相池田勇人が同行していたが、「君の将来に傷がつくかもしれない」と吉田一人が署名したというのは有名なエピソードである。左翼はもちろん安保に反対だが、右翼から見ても憲法改正、再軍備、自主国防がスローガンだから、日米安保は多くの日本人の疑問とするところだった。歴史的に定着してしまった感のある日米安保で、僕も現時点では「直ちに廃棄する」という主張をしないのだが、素朴に考えてそれまでの占領軍に「これからも守ってもらう」と言うこと自体に、なんだかおかしい、本当に独立したのかという思いを持つ国民が多かったのである

 では、それなのになぜ安倍首相を初め、現時点では「保守派」が「主権回復」を言い立てるのだろうか。それはつまり憲法改正ということだろう。1952年4月に主権回復したということでは、占領下にできた日本国憲法は主権の制限下にできた「欠陥憲法」だというリクツを言いたいのだろう。これが僕には判らない。全く価値観が共有できない。まず、その後「主権回復」後に憲法改正をしなかったのは、保守勢力が改正したかったのに国民世論が反対してできなかったのであり、まさに主権回復後の国民の意思により現行憲法が続いてきたわけである。

 しかし、安倍首相はじめ保守派の中ではそう見えていない。憲法改正が「国会の3分の2で発議」とハードルが高いために改正できなかっただけだと思っているわけである。3分の1程度の社会党支持者のせいで改正できなかった「屈辱の歴史」と見えているわけである。でも、もし50年代に憲法9条が改正され、自衛隊が国防軍となり集団的自衛権が認められていたらどうなっていただろうベトナム戦争に日本も参戦し、多くの「国防軍」兵士が戦死していたのである。ベトナム戦争には、韓国、オーストラリア、ニュージーランド、タイ、フィリピンも参戦している。当然、集団的自衛権を認めるアメリカの同盟国たる日本軍も、アメリカの要求を拒めるはずがない。かつて仏印進駐の経験があり地理が判る旧軍関係者は喜んで参戦しただろう。また、イラク戦争にもアメリカ、イギリスとともに参戦しただろう。当時の小泉政権はブッシュ大統領の開戦を強く支持していたから、憲法の制約がなければ参戦する方が自然である。

 このように、ベトナムやイラクで多くの日本人が戦死していた方が良かったという考えにどれだけの人が賛成するのだろうか。「主権回復」=「主権制限下の憲法は改正すべき」の行く着くところは、そういう戦後認識だと僕は思う。
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東京都の「採用取り消し」問題

2013年04月27日 00時43分31秒 |  〃 (教員免許更新制)
 時間が経ってしまったけれど、東京で4月15日付で公表された、「東京都公立学校教員の採用取消しについて」と言う問題を考えておきたい。何度も書いたことだけれど、教員免許更新制と言う制度は、更新講習を受け、講習開設者より終了認定を受け、教育委員会に更新を申請し、認められるということをしないと、10年間で教員免許そのものが失効する。(もちろん病気休職等の場合など、延期することも可能だが、それも事前の申請が必要である。)教育公務員は教員免許があることが公務員の条件であるという解釈を文科省が取っている(古い最高裁判例がある)ので、教員免許が失効すると失職することになる。現実にそうした事例は起こった。そのことはこのブログで何回も書き、いかに意味のない愚劣な制度であるかをその都度書いてきた。

 だから、手続きのミスなどで免許失効、失職になるということは、それが一体何の意味があるのかは疑問だけど、制度そのものの中に想定されていた事態である。しかし、教員免許更新制に関わって「採用取り消し」が起こりうるということは、今まで指摘されてこなかったのではないか。考えてみれば、多くの自治体で教員採用試験の受験を35歳以上にも認めているわけだから、受験、合格時点では教員免許が有効だったのに、採用時点で失効しているということもあるはずである。でも、僕はそういう事態を想定しなかった。30歳を過ぎて教員に採用される人もいることは知っているが、おおよそそういう人の場合も、ぞれまでずっと一般企業に勤めていて突然教員採用試験を受けるのではなく、大体は非常勤講師や産休代替教員などをしてきたという人が多いと思うからである。何らかのかたちで学校に関わっていれば、教員免許を更新しなければいけないことは伝わるはずだ。(正教員ではなく、非正規の非常勤講師や臨時教員であっても、免許を更新しなければ失職する)

 実際に起こったことをホームページで確認したい。4月15日付で、以下の4人の採用が1日にさかのぼって取り消しになったと発表された。
(1) 区立小学校教諭 36歳 女
(2) 区立中学校教諭(期限付任用教員) 35歳 女
(3) 都立高等学校教諭 46歳 男
(4) 都立特別支援学校教諭 35歳 女

 どうしてこういう事態が起こったかは僕にはよく理解できない。つまり、教員採用試験というのは、免許を持っている人だけでなく、免許取得見込みの大学生も受験できる。現役ですぐ合格するというのは、(小学校を除けば)、今はあまりないかもしれないが。その場合、合格して採用されたものの、①卒業に必要な単位を落として卒業できなかった ②卒業に必要な単位は取得して卒業はできたが、教員免許取得に必要な教職課程の単位を落として教員免許は取得できなかったという場合がありうる。現にそういう例が時々起こっているのは、知っている人も多いだろう。だから採用を決めた各学校は、3月になって免許を確認するはずである。多分歳のいった合格者のことは、当然免許は持っているものと思って疑わなかったんだろうけど。

 ところで、上記の③の人は46歳である。35は判るとして、46と言う新規採用はありうるのか。そこで東京都の平成25年度東京都公立学校教員採用候補者選考実施要綱を見てみる。一般選考は、条件が「昭和48年4月2日以降に出生し…」となっている。2012年度実施の試験で、1973年生まれまで受けられるわけだから、「39歳まで可能」ということになる。自分の時代に比べてずいぶん高齢まで可能となっている。

 しかも、それに加えて「特例選考」があるのである。東京で非常勤講師などを経験したもの、東京以外の国公立学校の教員を3年以上経験したものなどについては、なんと「昭和28年4月2日以降に出生し…」という資格になっている。ほんとか。60歳定年だっていうのに、59歳まで受験できるのか。この「特例選考」のなかに「社会人経験者」と言う項目もある。民間企業や官公庁勤務経験者は、免許があれば59歳まで受けられたのである。(なお、当然のことだが、今年実施の試験では昭和29年4月2日以降となっている。インターネットで5月9日まで願書を受け付けている。)なお、今年の試験を僕自身も受験可能である。免許更新講習を受けさえすればだが。(「過去に、東京都公立学校の正規任用教員として、受験する校種等・教科(科目等)で3年以上の勤務経験があり、平成25年3月31日現在、東京都公立学校の正規任用教員として在職していない者(平成25年3月31日付けの退職者は該当しません。)」と言う項目に該当する。)

 いやあ、ビックリした。こういう特例選考があったとは。これでは「46歳」があっても、何の不思議もない。昔の教員、他県の教員かもしれないが、社会人枠で受けた人で、今まで民間企業等で活躍してきたという可能性もある。「ペーパー・ティーチャー」になった人は一杯いるものである。採用試験が高倍率だったり、給与水準が低いのを嫌ったり、合格発表が遅く民間企業に先に決まったり、福祉や学芸員の資格も取っていてそちらが第一希望だったりと言った様々な理由がある。でも自分の子どもが学校に通う時期になって、特に高校の英語、情報、商業、工業などの教科では、民間で活躍したスキルがすぐに生かせる場合も多いから、あらためて教師を希望すると言う人もいるだろう。

 ところで、教員免許更新制は何のために作られたか。文科省がタテマエで言うことを引用すれば以下の理由になる。「教員免許更新制は、その時々で教員として必要な資質能力が保持されるよう、定期的に最新の知識技能を身に付けることで、教員が自信と誇りを持って教壇に立ち、社会の尊敬と信頼を得ることを目指すものです。」「定期的に最新の知識技能を身に付ける」というのは、明らかにすでに教員になっていることを想定して言っている。その目的自体がおかしいが、それはさておき、このようにすでに教員となっているものが、「自信と誇り」を持つために「最新の知識技能」を身に付けよ(何でもいいからどこかの大学で30時間の講義を聞くことで)と言う制度である。
 
 一方、ペーパーティーチャ―はどうすればいいのか。文科省のサイトの「現在教員として勤務していない教員免許状所持者の方々へ」にはこうある。
問1.現在、教員免許状を持っていますが教職には就いていません。平成21年4月から教員免許更新制が実施された場合、教員免許状はどのようになるのでしょうか。
答1.
 既に教員免許状を持っている方(平成21年3月31日までに教員免許状を授与された方)で教職に就かれていない場合には、平成21年4月に教員免許更新制が実施された以後も、免許状更新講習を受講・修了しなくても免許状は失効しません

 ペーパーティーチャーは受けなくても失効しないのである。もちろん教員に就くときには年齢が来ていたら講習が必要と他の項目で書いてある。でも採用試験時に失効していないんだから、もし採用されたらその時に、または次の45歳や55歳の時に講習を受ければいいんだと思っても、何の不思議もない。試験に合格しても、実際に学校に採用されるかどうかは判らない。実際に採用されるかどうかわからないのに、どうして教員免許更新講習を受けなければいけないのか。

 これらの人がどういう経歴の人かは知らない。でも「採用」とある以上は、仮に他の学校で経験があったとしても、少なくとも東京では初の教員体験である。初任者である以上、これらの教員にまず必要なのは「初任者研修」のはずである。初任者研修がある人が、同時に免許更新講習を受ける必要があるのか。更新講習は、すでに10年、20年と教員を長くやってる人を対象にしているはずである。

 今回の事例ほど、教員免許更新制というものの馬鹿げた性格を浮き彫りにした事例はないだろう。教員に採用されてこれから頑張ろうと言う人が、免許そのものが失効してるから採用取り消しというのは、全く意味がない制度である。正教員としては一度も使わなかった免許が、ようやく生かせるという時に失効していたというのは、全く制度設計がおかしい。もしこの更新制が必要だと言うなら、採用された年に受ければいいと言う特例を設ける必要がある。もともと意味不明の、教師と言う職業をバカにするだけの制度だけど、さすがにここまでのケースが起こるとは、僕も考えが及ばなかった。改めて全く意味がない制度だという思意を強くする次第である。
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