1954年の日本映画「黒い潮」の話。この映画は、いわゆる下山事件の報道に当たる毎日新聞の記者を描く群像劇である。映画では毎朝新聞社、秋山総裁と名前を変えてあるが、誰でも下山事件のことだと判る作りで、事件の経緯はほぼ事実そのままに描いている。
国鉄総裁下山定則は1949年7月5日に三越百貨店を出た後に行方不明となり、6日午前0時過ぎに常磐線下り列車に轢かれた死体となって発見された。これが自殺か、他殺かとして大きな問題となった。警察の捜査結果は何故か公表されずに終わり(その様子は映画の最終盤に描かれる)、公式的には自他殺の決着は付いていない。「他殺」説とは、国鉄で人員整理が大きな問題となっており、それに反発する「左翼勢力」、つまりはっきり言えば共産党員が関与しているのではないかということである。政府や多くの新聞は、事実上その見込みで動いていた。その後、松本清張「日本の黒い霧」が米軍謀略説を主張したので、「他殺説」を「米軍謀略説」と思いこんでいる人が今はいる。
7月15日に起きた三鷹事件(東京都の三鷹駅で無人電車が暴走し6人の死者が出た事件)では、実際に共産党員10人と元運転手が起訴された。だが一審で党員被告の関与は「空中楼閣」の判決が出て、高裁でも維持された。(一方、元運転手竹内景助のみ一審無期懲役だった。二審で死刑に変更され、最高裁でもめたが死刑が確定した。途中から無罪を主張したが、共産党員救援運動の犠牲になったのではという指摘もある。再審請求中に死亡したが、遺族が2011年に第2次再審を請求。)
8月17日に起きた松川事件(福島県で東北本線が脱線転覆し3名の乗務員が死亡した事件)では、事件直後に官房長官が「三鷹事件等と思想底流において同じ」と発言した。そのような政府直々の見込み捜査で、元線路工の少年が別件逮捕され、そこから共産党員が20人逮捕、起訴された。一審では全員有罪(死刑5人)となり、作家の広津和郎らの救援運動が広がった。1959年に最高裁で差し戻し判決、61年に仙台高裁で全員無罪、63年に最高裁で確定した。政府は初めからこれらの「事件」を左翼勢力のテロをとらえていたのだ。三鷹、松川では実際に党員が逮捕、起訴され長い間辛酸をなめることになった。「下山事件」だけ間一髪で冤罪が作られずに済んだのである。
この映画は3月で閉館した銀座シネパトスの銀座映画特集で見た。この映画が入っているのは、現在は竹橋(地下鉄東西線)にある毎日新聞東京本社が、1966年までは有楽町にあったからである。(現在毎日が入っているパレスサイドビルは、大島渚の「日本春歌考」に出てくる。)読売新聞も今は大手町にあり箱根駅伝の出発、到着点になっているが、1971年まで銀座にあった。朝日新聞も今の有楽町マリオンの場所にあり、1980年に築地に移転した。50年代の銀座周辺は三大紙が本社を置く日本の報道の中心地だったのである。毎日新聞があったのは、今は「新有楽町ビルヂング」がある場所、ビックカメラ(旧そごうデパート)と帝劇の間辺りらしい。だから映画の中で、窓の向こうや屋上から有楽町周辺の風景が見える。(ロケもあるように思う。)
なんで毎日新聞かというと、各新聞の中で一番冷静な報道姿勢を貫いたからだが、それより井上靖の同名の原作を基にしているためである。井上靖は毎日新聞の学芸部の記者をしていた。1950年に芥川賞を取り、1951年に退社して作家専業となる。つまり作家になる直前の、毎日新聞のもっとも強い思い出が下山事件報道だったのではないかと思う。原作は読んでいないので具体的は比較検討はできないが、原作自体が毎日新聞を想定して書かれていただろう。
映画の初めに、深夜に国鉄総裁の死体が発見されたという報が警視庁詰め記者から入る。他社は気付いていないらしく、カメラマンとともに社の車2台で駆けつける。警視庁の有力者は、国鉄職員が総裁の死体に傘をさしかけているところに注目するように言う。簡単に他殺と決めつけるのは良くないという示唆である。この時下山事件報道のキャップになるのは、山村聰演じる速水である。滝沢修の演じる上役は、速水に任せて冷静な報道姿勢を支持する。
この映画を昔見たときには、下山事件のことしか頭に残らなかった。今回見ると、山村聰が冷静報道を貫くのは、報道被害を受けた心の傷が自分にあったという点を強調している。戦前に大阪にいた時、妻が他の男と心中して、あることないこと書きたてられたのである。いまだに独身なのもそのことを忘れられないかららしい。かつての恩師(東野英治郎)を訪ね、その娘の戦争未亡人(津島恵子)と心通わせながらも、なかなか再婚に踏み切れない。完全な社会派映画だと思い込んでいたが、マスコミの内部事情だけではなく、速水の個人的事情がかなり描かれていたのに驚いた。
毎朝新聞記者は地道な聞き込みを続け、総裁らしき人物が休んでいたという旅館を見つけたり(松本説では、それは替え玉だとされる)、目撃者らしき人物を見つける。警察情報をいくらあたっても、他殺の兆候は見つからず、警察は自殺に傾いていると記者たちは言う。ところが他紙を見ると、他殺説(左翼犯行説)を書き飛ばしている。毎朝ははっきり「自殺」を打ち出そうと部下は主張するが、速水はそれも早計と退け、死後轢断(つまり死体を引いた)と鑑定した東大の法医学教授を訪ねる。
この教授は古畑種基だが、その問題は次回に詳しく論じる。映画では中村伸郎が演じていて、そっけなく自分の鑑定は正しいと主張する。実はここが映画のポイントである。中村伸郎は文学座の重鎮で、小津映画によく出ていた。バーで主人公が飲むときの友達は大体中村伸郎がやってる。また渋谷の小劇場ジァンジァンで、金曜夜にイヨネスコの「授業」の連続公演をやり続けたことで有名である。72年から11年続け、僕も見に行った。そういう演劇的、映画的体験を基にこの映画を見ると、うっかり中村伸郎教授の言い分を信じる気持ちになってしまうんだけど、それが大間違いなのである。
毎朝新聞には報道姿勢がおかしいという圧力があちこちからかかる。速水は冷静報道を主張し続けるが、営業にも影響があると圧力が強くなる。三鷹事件が起き、これは完全に左翼の犯行だとされ(それは間違いだったわけだが)、速水の報道姿勢は慎重に過ぎたという結論が出される。速水には福岡への転勤辞令が出て、事実上の左遷となる。こうして社論も変わっていく。このように闘う信念の映画ではなく、苦い敗北をかみしめる結末になっている。ひとり事務員の左幸子だけが、速水ひとりに責任を押し付けてみんなおかしいと同情する。そういう終わり方になっている。
この映画は前回書いたように、1954年キネマ旬報ベストテン4位である。ベストテン全史という本で具体的な投票傾向を調べてみる。戦争が終わって9年目だから、「七人の侍」や「近松物語」より「二十四の瞳」に票が集まるのは、よく判る。「二十四の瞳」には全員が投票している。30名の選者がいるが、2位の「女の園」には4名の無投票がある。「七人の侍」にも3名の黙殺者がいて、誰かと思うと飯島正や野口久光が入れていない。1位じゃなくてもベストテンに入らないとは思えないが。ところが4位の「黒い潮」は1名しか無投票がいない。それほど多くの選者の支持を受けたのである。当時の社会情勢の中で、この映画のメッセージが選者の心をとらえたである。(それなのに4位なのは、「女の園」に比べて下位投票者が多いからである。)
近くの年を見てみると、53年は「にごりえ」「東京物語」が満票、「雨月物語」「煙突の見える場所」が1名無投票。52年の「生きる」、51年の「麦秋」も満票である。ところが55年の「浮雲」、56年の「真昼の暗黒」、57年の「米」ともに一人が入れていない。「浮雲」に入れなかったのはなんと作家の武田泰淳。その後は1959年の「キクとイサム」が満票で、これが最後になる。評論家の数も増え、映画の傾向も多彩になり、もう投票者全員がベストテンに選出する映画は出ないのだろう。
国鉄総裁下山定則は1949年7月5日に三越百貨店を出た後に行方不明となり、6日午前0時過ぎに常磐線下り列車に轢かれた死体となって発見された。これが自殺か、他殺かとして大きな問題となった。警察の捜査結果は何故か公表されずに終わり(その様子は映画の最終盤に描かれる)、公式的には自他殺の決着は付いていない。「他殺」説とは、国鉄で人員整理が大きな問題となっており、それに反発する「左翼勢力」、つまりはっきり言えば共産党員が関与しているのではないかということである。政府や多くの新聞は、事実上その見込みで動いていた。その後、松本清張「日本の黒い霧」が米軍謀略説を主張したので、「他殺説」を「米軍謀略説」と思いこんでいる人が今はいる。
7月15日に起きた三鷹事件(東京都の三鷹駅で無人電車が暴走し6人の死者が出た事件)では、実際に共産党員10人と元運転手が起訴された。だが一審で党員被告の関与は「空中楼閣」の判決が出て、高裁でも維持された。(一方、元運転手竹内景助のみ一審無期懲役だった。二審で死刑に変更され、最高裁でもめたが死刑が確定した。途中から無罪を主張したが、共産党員救援運動の犠牲になったのではという指摘もある。再審請求中に死亡したが、遺族が2011年に第2次再審を請求。)
8月17日に起きた松川事件(福島県で東北本線が脱線転覆し3名の乗務員が死亡した事件)では、事件直後に官房長官が「三鷹事件等と思想底流において同じ」と発言した。そのような政府直々の見込み捜査で、元線路工の少年が別件逮捕され、そこから共産党員が20人逮捕、起訴された。一審では全員有罪(死刑5人)となり、作家の広津和郎らの救援運動が広がった。1959年に最高裁で差し戻し判決、61年に仙台高裁で全員無罪、63年に最高裁で確定した。政府は初めからこれらの「事件」を左翼勢力のテロをとらえていたのだ。三鷹、松川では実際に党員が逮捕、起訴され長い間辛酸をなめることになった。「下山事件」だけ間一髪で冤罪が作られずに済んだのである。
この映画は3月で閉館した銀座シネパトスの銀座映画特集で見た。この映画が入っているのは、現在は竹橋(地下鉄東西線)にある毎日新聞東京本社が、1966年までは有楽町にあったからである。(現在毎日が入っているパレスサイドビルは、大島渚の「日本春歌考」に出てくる。)読売新聞も今は大手町にあり箱根駅伝の出発、到着点になっているが、1971年まで銀座にあった。朝日新聞も今の有楽町マリオンの場所にあり、1980年に築地に移転した。50年代の銀座周辺は三大紙が本社を置く日本の報道の中心地だったのである。毎日新聞があったのは、今は「新有楽町ビルヂング」がある場所、ビックカメラ(旧そごうデパート)と帝劇の間辺りらしい。だから映画の中で、窓の向こうや屋上から有楽町周辺の風景が見える。(ロケもあるように思う。)
なんで毎日新聞かというと、各新聞の中で一番冷静な報道姿勢を貫いたからだが、それより井上靖の同名の原作を基にしているためである。井上靖は毎日新聞の学芸部の記者をしていた。1950年に芥川賞を取り、1951年に退社して作家専業となる。つまり作家になる直前の、毎日新聞のもっとも強い思い出が下山事件報道だったのではないかと思う。原作は読んでいないので具体的は比較検討はできないが、原作自体が毎日新聞を想定して書かれていただろう。
映画の初めに、深夜に国鉄総裁の死体が発見されたという報が警視庁詰め記者から入る。他社は気付いていないらしく、カメラマンとともに社の車2台で駆けつける。警視庁の有力者は、国鉄職員が総裁の死体に傘をさしかけているところに注目するように言う。簡単に他殺と決めつけるのは良くないという示唆である。この時下山事件報道のキャップになるのは、山村聰演じる速水である。滝沢修の演じる上役は、速水に任せて冷静な報道姿勢を支持する。
この映画を昔見たときには、下山事件のことしか頭に残らなかった。今回見ると、山村聰が冷静報道を貫くのは、報道被害を受けた心の傷が自分にあったという点を強調している。戦前に大阪にいた時、妻が他の男と心中して、あることないこと書きたてられたのである。いまだに独身なのもそのことを忘れられないかららしい。かつての恩師(東野英治郎)を訪ね、その娘の戦争未亡人(津島恵子)と心通わせながらも、なかなか再婚に踏み切れない。完全な社会派映画だと思い込んでいたが、マスコミの内部事情だけではなく、速水の個人的事情がかなり描かれていたのに驚いた。
毎朝新聞記者は地道な聞き込みを続け、総裁らしき人物が休んでいたという旅館を見つけたり(松本説では、それは替え玉だとされる)、目撃者らしき人物を見つける。警察情報をいくらあたっても、他殺の兆候は見つからず、警察は自殺に傾いていると記者たちは言う。ところが他紙を見ると、他殺説(左翼犯行説)を書き飛ばしている。毎朝ははっきり「自殺」を打ち出そうと部下は主張するが、速水はそれも早計と退け、死後轢断(つまり死体を引いた)と鑑定した東大の法医学教授を訪ねる。
この教授は古畑種基だが、その問題は次回に詳しく論じる。映画では中村伸郎が演じていて、そっけなく自分の鑑定は正しいと主張する。実はここが映画のポイントである。中村伸郎は文学座の重鎮で、小津映画によく出ていた。バーで主人公が飲むときの友達は大体中村伸郎がやってる。また渋谷の小劇場ジァンジァンで、金曜夜にイヨネスコの「授業」の連続公演をやり続けたことで有名である。72年から11年続け、僕も見に行った。そういう演劇的、映画的体験を基にこの映画を見ると、うっかり中村伸郎教授の言い分を信じる気持ちになってしまうんだけど、それが大間違いなのである。
毎朝新聞には報道姿勢がおかしいという圧力があちこちからかかる。速水は冷静報道を主張し続けるが、営業にも影響があると圧力が強くなる。三鷹事件が起き、これは完全に左翼の犯行だとされ(それは間違いだったわけだが)、速水の報道姿勢は慎重に過ぎたという結論が出される。速水には福岡への転勤辞令が出て、事実上の左遷となる。こうして社論も変わっていく。このように闘う信念の映画ではなく、苦い敗北をかみしめる結末になっている。ひとり事務員の左幸子だけが、速水ひとりに責任を押し付けてみんなおかしいと同情する。そういう終わり方になっている。
この映画は前回書いたように、1954年キネマ旬報ベストテン4位である。ベストテン全史という本で具体的な投票傾向を調べてみる。戦争が終わって9年目だから、「七人の侍」や「近松物語」より「二十四の瞳」に票が集まるのは、よく判る。「二十四の瞳」には全員が投票している。30名の選者がいるが、2位の「女の園」には4名の無投票がある。「七人の侍」にも3名の黙殺者がいて、誰かと思うと飯島正や野口久光が入れていない。1位じゃなくてもベストテンに入らないとは思えないが。ところが4位の「黒い潮」は1名しか無投票がいない。それほど多くの選者の支持を受けたのである。当時の社会情勢の中で、この映画のメッセージが選者の心をとらえたである。(それなのに4位なのは、「女の園」に比べて下位投票者が多いからである。)
近くの年を見てみると、53年は「にごりえ」「東京物語」が満票、「雨月物語」「煙突の見える場所」が1名無投票。52年の「生きる」、51年の「麦秋」も満票である。ところが55年の「浮雲」、56年の「真昼の暗黒」、57年の「米」ともに一人が入れていない。「浮雲」に入れなかったのはなんと作家の武田泰淳。その後は1959年の「キクとイサム」が満票で、これが最後になる。評論家の数も増え、映画の傾向も多彩になり、もう投票者全員がベストテンに選出する映画は出ないのだろう。