僕はたぶん、JRの駅では山手線池袋駅を一番利用していると思う。特に学生時代はほぼ毎日使ったし、今も週に2回は通る。その間にも映画館の文芸坐にかなり行ってるから、総計すると相当の数となるはずだ。(まあ一番使ってた時代は「JR」ではなかったが。)その池袋の西口周辺には戦前に画家のアトリエが集中し、「池袋モンパルナス」とも呼ばれたという。もっともその時分は、まだ準農村というような地域だったろう。その歴史を生かし、今も池袋西口では「新池袋モンパルナス西口まちかど回遊美術館」という催しを行っている。少し行ってみたけど、こんなにギャラリーが多かったのかとビックリ。
そこで2回にわたって池袋西口周辺の散歩と思い出を書いてみたい。これは最近チョコチョコ散歩したまとめ。まずは立教大学周辺。長らく池袋西口と言えば立教大学のある地域だった。(今は東京芸術劇場かもしれない。)ここが僕の母校で、何十年も前のことだから、事前見学をしたわけでもなく、自己推薦とかAO入試とか意味不明の入試制度もなかった。浪人した年に難易度ランキングにそって幾つか入学試験を受けたところ、結局2校合格したが立教にした。結果的には、僕の人生を左右したことの一つなのだと思う。卒業後も何度か大きなクリスマスツリーを見に来たことがある。やはり心の落ち着く拠り所みたいな感じがする。
立教の校舎のいくつかは、東京都選定の歴史的建造物に指定されている。いわゆる「蔦の絡まるチャペル」があるような落ち着いたレンガ作りである。(「学生時代」の歌は青山学院がモデルだけど。)門から本館のヒマラヤ杉もいいけど、そこを過ぎて第一学生食堂を見渡すあたりが特に素晴らしいと思う。学食も歴史的建造物指定で、僕も何度も学生時代に入ったはずだがそんな大切な建物だとは思っていなかった気がする。ここは今はずいぶん美味しそうなメニューになっていて、安くて魅力的である。一般人も入れるらしいが、僕は食べてない。卒業生だから入るだけなら平気だけど、食べるとなると少しためらう感じ。
正門からの風景を最初に載せたかったけど、今は工事中で半分見えない。チャペル(諸聖徒礼拝堂)を直していて、残念ながら全景は見えない。4月当初に行ったときはまだ見えていた。その時の正門からの風景と樹齢百年のヒマラヤ杉。
門の奥にあるのが本館(モリス館)で、上は時計台。外景もいいけど、廊下や入り口を撮ると白と黒の構図が美しい。学生時代は校舎に美を感じてはいなかったと思うんだけど。
僕にはホンのちょっとしたあちこちの風景も懐かしい。今見ると素晴らしい場所が多かったけど、当時は日常化して意識しなかった。チャペルの脇や掲示板と斜めの木など。
ここまで来たら是非行きたいのが旧江戸川乱歩邸。立教通りの右側を歩いていくと5号館と6号館の角に表示がある。郵便局の斜め前あたりにある。常時公開ではないけど、週2日(水と金)に一部公開している。乱歩は生涯に何十回も引っ越して、ここ西池袋が最後になった。ぼう大な蔵書を納めた蔵があり、ガラス窓越しに一部見られる。今は立教大学大衆文化研究センターに移管され研究を進めている。乱歩と立教の関わりは、単に建物が隣と言うだけでなく、子息の平井隆太郎氏が立教大学の社会学部の教授だったという縁の深さ。講義は聞いていないけど、乱歩の息子が教授にいるというのは有名な話だった。3枚目の写真の奥の黒い建物が蔵である。
立教大学へ行くには、今は地下通路も長く出来ているが、昔は西口を出て道を進んでいった。丸井を過ぎると、道が大きく二つに分かれる。向かいに交番があり、二又交番と昔から呼んでいる。右は地下鉄の有楽町線(副都心線)に沿った通りで、左が立教通り。少し行くと、今でも帽子屋さんが残っている。これは学生街らしい。立教のTシャツなんかが並んでいる。
ところで西口を出て北側へ行くと歓楽街が広がっている。ロマンス通りと言うけど、別にロマンスは生じなかった。映画館も下にあるロサ会館も健在。まあ店は入れ替わってるんだろうけど。ここは先生とよく飲みに来た。近くには落語常打ちの4館の一つ、池袋演芸場が残っている。このあたりの雑然としたムードも、また池袋の特徴でもある。
そこで2回にわたって池袋西口周辺の散歩と思い出を書いてみたい。これは最近チョコチョコ散歩したまとめ。まずは立教大学周辺。長らく池袋西口と言えば立教大学のある地域だった。(今は東京芸術劇場かもしれない。)ここが僕の母校で、何十年も前のことだから、事前見学をしたわけでもなく、自己推薦とかAO入試とか意味不明の入試制度もなかった。浪人した年に難易度ランキングにそって幾つか入学試験を受けたところ、結局2校合格したが立教にした。結果的には、僕の人生を左右したことの一つなのだと思う。卒業後も何度か大きなクリスマスツリーを見に来たことがある。やはり心の落ち着く拠り所みたいな感じがする。
立教の校舎のいくつかは、東京都選定の歴史的建造物に指定されている。いわゆる「蔦の絡まるチャペル」があるような落ち着いたレンガ作りである。(「学生時代」の歌は青山学院がモデルだけど。)門から本館のヒマラヤ杉もいいけど、そこを過ぎて第一学生食堂を見渡すあたりが特に素晴らしいと思う。学食も歴史的建造物指定で、僕も何度も学生時代に入ったはずだがそんな大切な建物だとは思っていなかった気がする。ここは今はずいぶん美味しそうなメニューになっていて、安くて魅力的である。一般人も入れるらしいが、僕は食べてない。卒業生だから入るだけなら平気だけど、食べるとなると少しためらう感じ。
正門からの風景を最初に載せたかったけど、今は工事中で半分見えない。チャペル(諸聖徒礼拝堂)を直していて、残念ながら全景は見えない。4月当初に行ったときはまだ見えていた。その時の正門からの風景と樹齢百年のヒマラヤ杉。
門の奥にあるのが本館(モリス館)で、上は時計台。外景もいいけど、廊下や入り口を撮ると白と黒の構図が美しい。学生時代は校舎に美を感じてはいなかったと思うんだけど。
僕にはホンのちょっとしたあちこちの風景も懐かしい。今見ると素晴らしい場所が多かったけど、当時は日常化して意識しなかった。チャペルの脇や掲示板と斜めの木など。
ここまで来たら是非行きたいのが旧江戸川乱歩邸。立教通りの右側を歩いていくと5号館と6号館の角に表示がある。郵便局の斜め前あたりにある。常時公開ではないけど、週2日(水と金)に一部公開している。乱歩は生涯に何十回も引っ越して、ここ西池袋が最後になった。ぼう大な蔵書を納めた蔵があり、ガラス窓越しに一部見られる。今は立教大学大衆文化研究センターに移管され研究を進めている。乱歩と立教の関わりは、単に建物が隣と言うだけでなく、子息の平井隆太郎氏が立教大学の社会学部の教授だったという縁の深さ。講義は聞いていないけど、乱歩の息子が教授にいるというのは有名な話だった。3枚目の写真の奥の黒い建物が蔵である。
立教大学へ行くには、今は地下通路も長く出来ているが、昔は西口を出て道を進んでいった。丸井を過ぎると、道が大きく二つに分かれる。向かいに交番があり、二又交番と昔から呼んでいる。右は地下鉄の有楽町線(副都心線)に沿った通りで、左が立教通り。少し行くと、今でも帽子屋さんが残っている。これは学生街らしい。立教のTシャツなんかが並んでいる。
ところで西口を出て北側へ行くと歓楽街が広がっている。ロマンス通りと言うけど、別にロマンスは生じなかった。映画館も下にあるロサ会館も健在。まあ店は入れ替わってるんだろうけど。ここは先生とよく飲みに来た。近くには落語常打ちの4館の一つ、池袋演芸場が残っている。このあたりの雑然としたムードも、また池袋の特徴でもある。