尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

池袋西口散策①-立教周辺

2013年05月25日 22時52分22秒 | 東京関東散歩
 僕はたぶん、JRの駅では山手線池袋駅を一番利用していると思う。特に学生時代はほぼ毎日使ったし、今も週に2回は通る。その間にも映画館の文芸坐にかなり行ってるから、総計すると相当の数となるはずだ。(まあ一番使ってた時代は「JR」ではなかったが。)その池袋の西口周辺には戦前に画家のアトリエが集中し、「池袋モンパルナス」とも呼ばれたという。もっともその時分は、まだ準農村というような地域だったろう。その歴史を生かし、今も池袋西口では「新池袋モンパルナス西口まちかど回遊美術館」という催しを行っている。少し行ってみたけど、こんなにギャラリーが多かったのかとビックリ。

 そこで2回にわたって池袋西口周辺の散歩と思い出を書いてみたい。これは最近チョコチョコ散歩したまとめ。まずは立教大学周辺。長らく池袋西口と言えば立教大学のある地域だった。(今は東京芸術劇場かもしれない。)ここが僕の母校で、何十年も前のことだから、事前見学をしたわけでもなく、自己推薦とかAO入試とか意味不明の入試制度もなかった。浪人した年に難易度ランキングにそって幾つか入学試験を受けたところ、結局2校合格したが立教にした。結果的には、僕の人生を左右したことの一つなのだと思う。卒業後も何度か大きなクリスマスツリーを見に来たことがある。やはり心の落ち着く拠り所みたいな感じがする。

 立教の校舎のいくつかは、東京都選定の歴史的建造物に指定されている。いわゆる「蔦の絡まるチャペル」があるような落ち着いたレンガ作りである。(「学生時代」の歌は青山学院がモデルだけど。)門から本館のヒマラヤ杉もいいけど、そこを過ぎて第一学生食堂を見渡すあたりが特に素晴らしいと思う。学食も歴史的建造物指定で、僕も何度も学生時代に入ったはずだがそんな大切な建物だとは思っていなかった気がする。ここは今はずいぶん美味しそうなメニューになっていて、安くて魅力的である。一般人も入れるらしいが、僕は食べてない。卒業生だから入るだけなら平気だけど、食べるとなると少しためらう感じ。
   
 正門からの風景を最初に載せたかったけど、今は工事中で半分見えない。チャペル(諸聖徒礼拝堂)を直していて、残念ながら全景は見えない。4月当初に行ったときはまだ見えていた。その時の正門からの風景樹齢百年のヒマラヤ杉
  
 門の奥にあるのが本館(モリス館)で、上は時計台。外景もいいけど、廊下や入り口を撮ると白と黒の構図が美しい。学生時代は校舎に美を感じてはいなかったと思うんだけど。
   
 僕にはホンのちょっとしたあちこちの風景も懐かしい。今見ると素晴らしい場所が多かったけど、当時は日常化して意識しなかった。チャペルの脇や掲示板と斜めの木など。
   
 ここまで来たら是非行きたいのが旧江戸川乱歩邸。立教通りの右側を歩いていくと5号館と6号館の角に表示がある。郵便局の斜め前あたりにある。常時公開ではないけど、週2日(水と金)に一部公開している。乱歩は生涯に何十回も引っ越して、ここ西池袋が最後になった。ぼう大な蔵書を納めた蔵があり、ガラス窓越しに一部見られる。今は立教大学大衆文化研究センターに移管され研究を進めている。乱歩と立教の関わりは、単に建物が隣と言うだけでなく、子息の平井隆太郎氏が立教大学の社会学部の教授だったという縁の深さ。講義は聞いていないけど、乱歩の息子が教授にいるというのは有名な話だった。3枚目の写真の奥の黒い建物が蔵である。
   
 立教大学へ行くには、今は地下通路も長く出来ているが、昔は西口を出て道を進んでいった。丸井を過ぎると、道が大きく二つに分かれる。向かいに交番があり、二又交番と昔から呼んでいる。右は地下鉄の有楽町線(副都心線)に沿った通りで、左が立教通り。少し行くと、今でも帽子屋さんが残っている。これは学生街らしい。立教のTシャツなんかが並んでいる。
  
 ところで西口を出て北側へ行くと歓楽街が広がっている。ロマンス通りと言うけど、別にロマンスは生じなかった。映画館も下にあるロサ会館も健在。まあ店は入れ替わってるんだろうけど。ここは先生とよく飲みに来た。近くには落語常打ちの4館の一つ、池袋演芸場が残っている。このあたりの雑然としたムードも、また池袋の特徴でもある。
  
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ネモフィラと黄門様-茨城旅行②

2013年05月25日 00時25分38秒 |  〃 (温泉以外の旅行)
 1日目は確かに六角堂を見たいということだったのだけど、まあそれだけならもう少し後でもいい。今回はできるだけ5月中旬までには茨城に行きたかった。それは「国営ひたち海浜公園」の「見晴らしの丘」に咲き乱れるネモフィラの花を見たかったのである。今では観光スポットとして超有名になりつつあり、テレビや観光案内などでよく出てくるようになった。これは一度知ると見に行かないではいられないような魅力を感じたのである。でも僕の周辺で聞いた限りでは、まだ「ネモフィラ???」という人がかなりいたけど、ここのネモフィラは一度は見る価値がある。

 さて2日目は月曜日だった。観光施設は休みが多い。そこを調べて、海浜公園と水戸黄門の隠居地・西山荘が今の季節は無休であることを見つけた。では2日目はこれで決まり。と思って出かけたんだけど、午前から雨模様で、午後には本降りとなった。それでは海浜公園に行く意味がない。宿へ行く途中で通ったけど、やはり駐車場はガラ空きだった。そして3日目、天気は回復し、とてもいい。では、まあひたち海浜公園に行ってみましょう。ということで、3つある駐車場(有料しかない)のうち海浜口に停めて、10数分歩く。と、もう最盛期ではないんだけど、まあまだ丘一面に咲き誇る花々。これを見たら行きたくならずにいられないと思う。ネモフィラ自体は、和名ルリカラクサという、北米原産のハゼリソウ科の花である。花言葉は「可憐」「清々しい心」「どこでも成功」だとホームページに出てる。
   
 海浜公園はポピーも見ごろになってるというけど、広いので回り切れなかった。当日も平日なのに、だんだん人が多くなってきた。連休には駐車場に入れないくらい人が来るらしい。鉄道とバスでも行ける。丘に登ると海もよく見える。遊園地もあるし、一日中遊べるところ。でも、まあネモフィラを見て少し歩いて出た。時間を戻して、2日目の話。まずは海浜公園の前に常陸太田の西山荘へ。ここは前に職員旅行で行ったけど、全く忘れてる。徳川光圀が隠居した後に住んだところ。お土産屋の「西山の里桃源」を抜けて行かないといけないので、初めは何だという気もしたが、お土産も充実していたし広々した感じが悪くない。出ると池があり大きな鯉がいっぱい泳いでる。少し歩いて入口があり、そこからまたお庭を歩く。なんだか遠いが、門が出てきて茅葺きの家が見えてきて、ムードが出てくる。ここは19世紀初めに一度火事になり再建された。だから光圀時代のものではない。でも古い建物と庭の木々はとても心に残る。やっぱりとてもいいところ。
   
 水戸藩は幕末の内紛で壊滅状態になり、「尊王攘夷」の先駆けとも言えるのに、人材が払底してしまう。その凄絶な様相は山川菊栄「覚書 幕末の水戸藩」に詳しい。(岩波文庫にある。)また吉村昭氏の「桜田門外ノ変」「天狗騒乱」などのすぐれた歴史小説でも印象深く描かれている。御三家のひとつであるのに、尊王思想の中心地となるというのも不思議と言えば不思議だが、「尊王」と「佐幕」は本来は矛盾しない。天皇に征夷大将軍に任命されてこその幕府政治である。それらは結局、光圀の始めた「大日本史」の編纂に原因があると言っていい。バックボーンにある朱子学の伝統が「水戸学」と呼ばれ、その中から幕末に徳川斉昭という傑物というか迷惑とも言える主君が現れる。水戸藩は歴史上この二人のスターがいるので、間違いやすい。梅で有名な日本三名園・水戸偕楽園は斉昭の造園で、東京のど真ん中にある小石川後楽園は光圀の造園である。
 
 だんだん雨になってくるが、常陸太田でもう一つ。遠くないところに重要文化財指定の佐竹寺がある。関ヶ原後の秋田に移され幕末まで続いた佐竹家という大名がある。元は常陸(ひたち)を領した戦国大名で、さらにその元が大田ということである。今はほとんど観光で訪れる人もいないような状態に見受けられたが、なかなか立派な本堂だった。本堂はいろいろ貼りまくり状態。
   
 お昼はガイドにあった近くの蕎麦屋「そば園 佐竹」。東京でもほとんど知られていないが、茨城県に入ると「常陸秋そば」の旗をあちこちで見つける。蕎麦と言えば、長野や栃木の方の印象が強いが、茨城のそばは侮れない。食べてみて、とてもおいしい。どちらかと言えば、コシが強く黒みがかった蕎麦で田舎風という感じだが、とても食べやすい。3日目も水戸の「東園田舎そば」というところに行ったが、ここは安くてうまいそばを出し、ホントに流行ってた。大根そばというのを頼んだら、細切りの大根がそばに交じって絡まってるという不思議な蕎麦だった。これがまた不思議に違和感なく美味しい。茨城は蕎麦の先進地と認識した。

 雨が強くなり、もう宿をめざすしかない。が、途中に東海村があり原子力科学館なるものもあるらしい。わざわざ行く気もないけど、雨で他に行けないなら寄るかと思ったけど見つけられなかった。(今見たら、月曜休みだった。)だんだんトイレも行きたい、疲れもたまる、どこかないのかなあと思ったら、大洗に「かねふくめんたいパーク」があった。全部福岡かと思えば、ここに工場がある。見学もできるし、明太子、明太子を乗せた軍艦巻などを試食できる。明太子を買っても持ち帰れないので買わなかったけど、ここは行く価値あり。

 この日は「いこいの村涸沼」(ひぬま)。この地域で温泉は何かないか調べて見つけた公共の宿。温泉はもちろん循環だけど、涸沼という湖に面し見晴らしがいい。行政上は鹿行地域の鉾田町(ほこた)に入るが、水戸や大洗に近い。この沼はシジミの名産地で、鉾田町はメロン生産日本一。いや知らないことは多い。翌朝のシジミ汁は今までで一番の充実で、なかなか満足した。8000円台で満足。泉質はツルツル系。部屋から見た涸沼の一日目(夕方)と次の朝。
 
 翌日は海浜公園のあと、水戸へ出て弘道館を見て、納豆の展示館も見たけど、暑くなってきたので見学終了。それより霞ヶ浦を回ってドライブ。途中で鹿島灘海浜公園に寄る。ここはもっといたかった。あちこち「道の駅」に寄りながら帰る。物産館を回るのがとても好きで、あちこちに名物があるのが楽しい。今回も(買わなかったけど)「ナマズの照り焼き」なんか見つけた。メロンも夕張が有名だが、日本一のメロン生産地は茨城にあった。こうして回るたびに思うのは、「日本の豊かさ」である。物質的というか生活レベル的にもそうだけど、一方シャッター通りもどこにもある。しかし、そういう物質的豊かさ以上に、行くところ歴史あり、行くところ名産ありという「地域性の豊かさ」を感じるのである。この「多様性」こそが日本社会を支えるものであり、日本の豊かさであると思う。それをなくしてはならないし、またどんなことがあってもなくなることもないだろうと思う。常陸秋そばの美味しさ、涸沼のシジミ、もちろん納豆や梅、それに有名なのはアンコウ、常陸牛、奥久慈シャモなどいろいろな食材がある。温泉は恵まれないけど、「食」と「歴史」で頑張ってほしい。湖や海も素晴らしい。観光地茨城県を再発見した旅行。
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