選挙の話を何回か。参院選や都議選の問題もあるけど、それはまた別個に考えたい。いわゆる「選挙制度」、つまり小選挙区とか比例代表制とかいう問題も、本当はそれが一番関心があるんだけど、また別にする。今回は「選挙運動のやり方」に絞って何回か考えたい。
まず、「ネット選挙」の問題。これをマスコミはみな「解禁」と書いている。多くの人も「今まではネット選挙は禁止されていた」、しかし「今度法律が変わって許可された」と思っているのではないか。まず、この認識がおかしい。「解禁」というのは、「禁止が解除された」と言う意味だが、では今まで法律(公職選挙法)のどこかに「インターネットを選挙に利用することは、これを禁じる」とか、「選挙が公示された後にあっては、ホームページを書き換える行為は、これを禁じる」などと書いてあったのか。実はそんなものはなかったのである。法律で明文で禁じていないのに、なぜ皆が禁止されていると思い込んでいたかというと、行政官庁が「法律に違反する」と勝手に解釈していたのである。そういうことが許されるんだったら、「脱法ドラッグ」なんて言う言葉がどうしてあるのか不思議である。
人を逮捕、起訴し、有罪とするには、法のなかに明文を持って禁止されている必要があるだろう。新しい合成薬が出てきて対応が遅れてしまうと「脱法ドラッグ」とされる。(「法の精神」から言って「合法」とは言えず、やがて「違法」となると見込まれるけど、まだ法で明文化されてないから「脱法」と言うわけである。)つまり、公職選挙法に書いてなかったんだから、今までもインターネットを選挙で利用することは違法ではなかったというのが正しい法の解釈のはずだ。それなのに誰も思い切って使わなかった。行政官庁の解釈に反する行為を取って、マスコミで大きく取り上げられたりして不利に働くのを、どの党どの候補者も避けていたのだろう。「違法」でないにせよ「脱法」と見られたら、「和を乱す」「空気が読めない」と思われ支持を減らすかもしれないのが日本という国である。このように、憲法で決まっている国権の最高機関=国会の立法権よりも、実質上は中央官庁の行政権の方が上なのである。そういうトンデモナイ憲法違反の「人治」が日本政治の本質にある。
では一体どういう解釈をすれば、インターネットが禁止になるかと言うと、公職選挙法第142条第1項で禁止されている「選挙運動のために使用する文書図画」にホームページがあたると解釈するのである。法律では「選挙運動のために使用する文書図画は、次の各号に規定する通常葉書並びに第一号から第三号まで及び第五号から第七号までに規定するビラのほかは、頒布することができない」と確かに書いてある。この規定自体が時代遅れだと思うが、それはそれとして「ホームページを更新すると、文書を頒布したことになる」という解釈はムチャクチャであると僕は思う。電子メールならともかく、ホームページは見たい人しか見られない。世の中には無数のホームページがあるが、そのほとんどは全然僕に頒布されてこない。自分で検索して探さないと、ホームページに行きつかない。(まあ今は、誰かのメールやFacebookなどに載ってるのをクリックすることが多いかもしれないが。)それを「文書頒布」と言うのか。
それともう一つ、インターネットの本質をどう理解するかと言う問題がある。ホームページは印刷ができる。紙に政見が印刷されたら、それは立派な文書に違いない。候補者がどんどん更新して、それを支持者が印刷して周りに配ったら、これは確かに違法文書の頒布になるだろう。(それは今後も同じ。)でも、普通は印刷しないで、いろんなホームページを見るだけだろう。例えば、今度どこかへ旅行したいと考え、いろいろ旅館やホテル、口コミなどをネットで調べて、評判を確かめるとする。その結果ネットで予約して確認のメールが来たら印刷するかもしれないけど、それまでのネットサーフィン段階では普通印刷したりしない。頭の中を通り過ぎていくだけのものを「文書」と強弁するなら、街頭演説も電話での投票依頼も全部文書になってしまう。印刷しないで見てるだけなら、ホームページ(ブログ、ツイッター、Facebookなど)は、本を読んだり電話を掛けたりするのに似ている。実際、かなり多くのインターネットの情報は、電話線を通して「頒布」されている。
昔は誰かに頼みごとがあれば、①直接訪ねて行く②手紙やはがきを書く(電報も含む)というのが手段だった。その後50年くらい前から、多くの個人宅に電話が普及し、③電話で話をするというのが加わった。選挙運動では、個人が自由に運動する場合、①②が禁止されている。しかし、③の電話は認められている。インターネットを使うというのは、法で整備されていない段階では、行政官庁が①②③のどれかに類推して判断するわけである。今までは②の手紙やはがきの文書に近いとされていたけど、ネットの本質を見れば③の電話の方が近いのではないかと思う。
さて、面倒くさい議論をしたかもしれない。僕が言いたいのは、今回の「ネット選挙解禁」は大きな問題を残しているということである。それは、有権者が電子メールで投票を依頼することができないということである。われわれは表現の自由、政治活動の自由を持っている。選挙運動が制限されている立場の職業もあるが、そうでない国民であれば選挙ポスター貼りを手伝ったり、電話で投票を依頼することができる。なのに、なぜ「電話線を通して電子メールによって選挙運動をする」というのが禁止されるのだろうか。(もちろん実際は、友人同士のメールを誰もチェックするわけには行かないから、支持政党のはっきりしてる知人が電子メールを送ってくることは防ぎようがない。)それは電話の類似行為だから、文書違反とは言えないと思うし、禁止する理由がない。Facebookで候補者の発言に「いいね」をクリックすることが許可されるのに、個人的にメールを送ってはいけない理由が判らない。
というより、もっとはっきり言ってしまえば、文書と電子メールを解禁して、電話を禁止して欲しいのである。プロになると、電話の受け答えで投票可能性が判るらしいが、普通の人にとっては一番迷惑なのは電話が掛かってくることだと思う。昔のクラスメイトが某党の支持者だとする。いつも投票依頼があるとして、①候補者のチラシを送ってきて、よろしくと書いてある ②電子メールが来て、投票をよろしくと書いてある ③休日や夜に電話が掛かってきて投票を是非と頼まれる という3つの中でどれが一番いいだろうか。一番ウットウシイのが電話なのは間違いないのではないか。昼間は仕事してるという場合、夜や休日に掛けてくることになる。では、一番望ましいのは何か。電子メールではないか。全く支持してないなら削除すればいい。読むことさえなく棄てられる。チラシの場合は物質だから、自分で屑かごに棄てに行かないといけない。一方、質問があればヒマな時に返信すればいい。もっと詳しくその候補者や政党について知りたければ、メールに紹介されているホームページを見ればすぐ判る。自分も応援したければ、Facebookで「いいね」をクリックすれば、その候補や党の情報が日々入ってくる。もちろんそのくらい支持政党や支持候補がいれば、自分で候補者のページを見つけてメールアドレスを登録すれば、候補者のメールは認められているから、そういう「公式電子メール」は見られる。でも、僕たち一人ひとりの「表現の自由の行使としての電子メール」が使えない。これがおかしいと思うのである。
実際は電話は禁止できないだろう。売り込みのセールス電話も禁止できないのだから、選挙電話も認めざるを得ない。選挙運動として定着してるし。でも、それならなおのこと、個人の電子メールも許可されるべきだと僕は思う。と言うのが第1回目の話で、ではそういう個人メールを許可すれば、一方的な誹謗中傷、成りすましメール、あるいはそういう悪意はないとしても誤解や思い込みの発言がネット上に拡散してしまうのではないかという危険性の問題は次回に。
まず、「ネット選挙」の問題。これをマスコミはみな「解禁」と書いている。多くの人も「今まではネット選挙は禁止されていた」、しかし「今度法律が変わって許可された」と思っているのではないか。まず、この認識がおかしい。「解禁」というのは、「禁止が解除された」と言う意味だが、では今まで法律(公職選挙法)のどこかに「インターネットを選挙に利用することは、これを禁じる」とか、「選挙が公示された後にあっては、ホームページを書き換える行為は、これを禁じる」などと書いてあったのか。実はそんなものはなかったのである。法律で明文で禁じていないのに、なぜ皆が禁止されていると思い込んでいたかというと、行政官庁が「法律に違反する」と勝手に解釈していたのである。そういうことが許されるんだったら、「脱法ドラッグ」なんて言う言葉がどうしてあるのか不思議である。
人を逮捕、起訴し、有罪とするには、法のなかに明文を持って禁止されている必要があるだろう。新しい合成薬が出てきて対応が遅れてしまうと「脱法ドラッグ」とされる。(「法の精神」から言って「合法」とは言えず、やがて「違法」となると見込まれるけど、まだ法で明文化されてないから「脱法」と言うわけである。)つまり、公職選挙法に書いてなかったんだから、今までもインターネットを選挙で利用することは違法ではなかったというのが正しい法の解釈のはずだ。それなのに誰も思い切って使わなかった。行政官庁の解釈に反する行為を取って、マスコミで大きく取り上げられたりして不利に働くのを、どの党どの候補者も避けていたのだろう。「違法」でないにせよ「脱法」と見られたら、「和を乱す」「空気が読めない」と思われ支持を減らすかもしれないのが日本という国である。このように、憲法で決まっている国権の最高機関=国会の立法権よりも、実質上は中央官庁の行政権の方が上なのである。そういうトンデモナイ憲法違反の「人治」が日本政治の本質にある。
では一体どういう解釈をすれば、インターネットが禁止になるかと言うと、公職選挙法第142条第1項で禁止されている「選挙運動のために使用する文書図画」にホームページがあたると解釈するのである。法律では「選挙運動のために使用する文書図画は、次の各号に規定する通常葉書並びに第一号から第三号まで及び第五号から第七号までに規定するビラのほかは、頒布することができない」と確かに書いてある。この規定自体が時代遅れだと思うが、それはそれとして「ホームページを更新すると、文書を頒布したことになる」という解釈はムチャクチャであると僕は思う。電子メールならともかく、ホームページは見たい人しか見られない。世の中には無数のホームページがあるが、そのほとんどは全然僕に頒布されてこない。自分で検索して探さないと、ホームページに行きつかない。(まあ今は、誰かのメールやFacebookなどに載ってるのをクリックすることが多いかもしれないが。)それを「文書頒布」と言うのか。
それともう一つ、インターネットの本質をどう理解するかと言う問題がある。ホームページは印刷ができる。紙に政見が印刷されたら、それは立派な文書に違いない。候補者がどんどん更新して、それを支持者が印刷して周りに配ったら、これは確かに違法文書の頒布になるだろう。(それは今後も同じ。)でも、普通は印刷しないで、いろんなホームページを見るだけだろう。例えば、今度どこかへ旅行したいと考え、いろいろ旅館やホテル、口コミなどをネットで調べて、評判を確かめるとする。その結果ネットで予約して確認のメールが来たら印刷するかもしれないけど、それまでのネットサーフィン段階では普通印刷したりしない。頭の中を通り過ぎていくだけのものを「文書」と強弁するなら、街頭演説も電話での投票依頼も全部文書になってしまう。印刷しないで見てるだけなら、ホームページ(ブログ、ツイッター、Facebookなど)は、本を読んだり電話を掛けたりするのに似ている。実際、かなり多くのインターネットの情報は、電話線を通して「頒布」されている。
昔は誰かに頼みごとがあれば、①直接訪ねて行く②手紙やはがきを書く(電報も含む)というのが手段だった。その後50年くらい前から、多くの個人宅に電話が普及し、③電話で話をするというのが加わった。選挙運動では、個人が自由に運動する場合、①②が禁止されている。しかし、③の電話は認められている。インターネットを使うというのは、法で整備されていない段階では、行政官庁が①②③のどれかに類推して判断するわけである。今までは②の手紙やはがきの文書に近いとされていたけど、ネットの本質を見れば③の電話の方が近いのではないかと思う。
さて、面倒くさい議論をしたかもしれない。僕が言いたいのは、今回の「ネット選挙解禁」は大きな問題を残しているということである。それは、有権者が電子メールで投票を依頼することができないということである。われわれは表現の自由、政治活動の自由を持っている。選挙運動が制限されている立場の職業もあるが、そうでない国民であれば選挙ポスター貼りを手伝ったり、電話で投票を依頼することができる。なのに、なぜ「電話線を通して電子メールによって選挙運動をする」というのが禁止されるのだろうか。(もちろん実際は、友人同士のメールを誰もチェックするわけには行かないから、支持政党のはっきりしてる知人が電子メールを送ってくることは防ぎようがない。)それは電話の類似行為だから、文書違反とは言えないと思うし、禁止する理由がない。Facebookで候補者の発言に「いいね」をクリックすることが許可されるのに、個人的にメールを送ってはいけない理由が判らない。
というより、もっとはっきり言ってしまえば、文書と電子メールを解禁して、電話を禁止して欲しいのである。プロになると、電話の受け答えで投票可能性が判るらしいが、普通の人にとっては一番迷惑なのは電話が掛かってくることだと思う。昔のクラスメイトが某党の支持者だとする。いつも投票依頼があるとして、①候補者のチラシを送ってきて、よろしくと書いてある ②電子メールが来て、投票をよろしくと書いてある ③休日や夜に電話が掛かってきて投票を是非と頼まれる という3つの中でどれが一番いいだろうか。一番ウットウシイのが電話なのは間違いないのではないか。昼間は仕事してるという場合、夜や休日に掛けてくることになる。では、一番望ましいのは何か。電子メールではないか。全く支持してないなら削除すればいい。読むことさえなく棄てられる。チラシの場合は物質だから、自分で屑かごに棄てに行かないといけない。一方、質問があればヒマな時に返信すればいい。もっと詳しくその候補者や政党について知りたければ、メールに紹介されているホームページを見ればすぐ判る。自分も応援したければ、Facebookで「いいね」をクリックすれば、その候補や党の情報が日々入ってくる。もちろんそのくらい支持政党や支持候補がいれば、自分で候補者のページを見つけてメールアドレスを登録すれば、候補者のメールは認められているから、そういう「公式電子メール」は見られる。でも、僕たち一人ひとりの「表現の自由の行使としての電子メール」が使えない。これがおかしいと思うのである。
実際は電話は禁止できないだろう。売り込みのセールス電話も禁止できないのだから、選挙電話も認めざるを得ない。選挙運動として定着してるし。でも、それならなおのこと、個人の電子メールも許可されるべきだと僕は思う。と言うのが第1回目の話で、ではそういう個人メールを許可すれば、一方的な誹謗中傷、成りすましメール、あるいはそういう悪意はないとしても誤解や思い込みの発言がネット上に拡散してしまうのではないかという危険性の問題は次回に。