山田洋次監督の映画「虹をつかむ男」(1996)と「虹をつかむ男 南国奮斗扁」(1997)をフィルムセンターで見た。これは男はつらいよシリーズが、渥美清の死去(1996.8.4)により終了した後に、西田敏行主演で2本作られたシリーズである。山田洋次の作品は非常に多く、ヒットしたり話題になった作品が多い。寅さん以外にも、シリーズと考えていい映画がたくさんある。そんな中で、この「虹をつかむ男」シリーズは公開当時もあまり評価されず、ほとんど忘れられたような感じになっている。僕も公開当時は見逃して、今回初めて見たのである。そこで、このシリーズについて書いておきたいと思う。
(虹をつかむ男)
もっとも僕もこのシリーズが大傑作だと思ったわけではない。やはりこのシリーズは無理があったと思う。それを考えることで、日本映画、あるいは映画や日本文化全般について、何事かを語っておきたいと思うのである。この映画が作られたきっかけは、「男はつらいよ」が突然終わってしまい、「年末公開」を予定していた松竹の番組が空いてしまったことだろう。「虹をつかむ男」の主演者である西田敏行と田中裕子は、作られなかった「男はつらいよ」第49作に出演する予定だったという。
寅さん映画は、80年代まで基本的に年に2本作られ松竹を支えていた。(山田洋次が他の作品を作るため一本だった年もある。)しかし、90年(第41作)からは年に1本の年末公開となる。その最大の理由は渥美清の体調悪化である。でも山田洋次は50作目までは作ることを目指していて、そのつもりで脚本を練り、役者やロケ地も手配しつつあった。だから、その準備を生かした新作が企画され、そこでは寅さん映画常連が総出演、ラスト近くには渥美清そのものが(もちろんCG映像で)出てきて、画面に「敬愛する渥美清に捧げる」と献辞が出るという渥美清リスペクト映画が作られたのである。
しかし、この映画は単に渥美清や「男はつらいよ」だけではなく、山田洋次が映画ファンに贈った映画そのものの記憶に捧げられた映画になっている。映画の中で多くの映画に言及され、実際に「引用」されている。西田敏行は四国のつぶれかけた映画館主という設定で、「土曜名画劇場」の名で名画を上映している。最初が「ニュー・シネマ・パラダイス」で、最後が「男はつらいよ」(第1作)である。あまりにも予想通りの選定で、もうちょっとひとひねり欲しいかなと思いつつ、最後に「男はつらいよ」のテーマ曲が流れてくれば、映画ファンなら涙なくして見ることはできない。(なお、「虹をつかむ男」という題名自体も、1950年のダニー・ケイ主演の米映画「虹を掴む男」を踏まえている。)
なかなか感動的ではあるものの、結局このシリーズが続かなかったのは、西田敏行の設定にある。松竹としても、西田敏行としても、「釣りバカ日誌」が選ばれたということでもある。「釣りバカ」はほぼ年に1作だったから、やろうと思えばもう一本「虹をつかむ男」をシリーズ化できなかったわけではないだろう。でも観客は西田に「釣りバカ」を望んだ。「虹をつかむ男」は西田に仮託された山田洋次の映画愛はよく判るが、ただの風来坊だった寅さんに対して、つぶれかけた映画館主として白銀活男(西田の役名)は金策に頭を悩まし続ける。これは寅さんで言えば、「タコ社長」の役どころである。
また土曜名画劇場の映画選定会議(というのをファンを集めてやってる)では、「かくも長き不在」(1964年にATGで公開されベストワンになったカンヌ映画祭グランプリ作品)の素晴らしさを、フランス語のセリフで熱く語る。この映画は、戦時下に行方不明となった夫を待ち続ける妻を描く名画で、映画内で未亡人役の(そして白銀が秘かに思いを寄せ続けていた)田中裕子の役柄とシンクロしている。だからストーリイと無縁な趣味的シーンではない。でもそれは西田だから可能な設定で、寅さんが字幕付きの芸術映画を見てフランス語のセリフを覚えることはないだろう。洋画を見る人は、「さしづめインテリだな」と言われてしまうだろう。(現実の渥美清は多くの演劇、映画に接し続けていたが。)
「白銀活男」という人物は、寅さん+タコ社長+インテリになってしまった。観客は西田敏行に同情もできるし「いい人だな」と思う。だが、寅さんではなかったのである。寅さんは「柴又のとらや」という「帰るところ」を持っている。「とらや」は帝釈天の門前という設定から、つぶれないことが前提になっている。寅さんが帰郷した時に、隣の印刷屋は倒産しているかもしれないが、とらやが閉店し一家離散していたなどと心配する必要はない。一方、白銀の「オデオン座」はつぶれかけているし、現に第2作ではつぶれてしまい島々を映写機を持って巡回している。「寅さん」シリーズは、もう日本人の多くが持てなくなっていた「いつでも帰れる場所」を観客に提示できる映画だった。もうそういう映画は、二度と作れない。
1980年代末のバブル経済とその後のバブル崩壊で、そんな「いつでも帰れる場所」はほとんどの人が持てなくなった。だから、寅さん映画はウソっぽいし、説教くさいし、後ろ向きの保守的感性に働きかける映画だと当時の僕は思っていた。30作以後頃から、僕は同時代的にはほとんど見ていない。時代の変化を山田洋次が判っていなかったわけではないだろう。「虹をつかむ男」の吉岡秀隆が大学を出ても就職できずに親と衝突して旅に出る。「就職氷河期」を生きる「寅さんの甥」世代では、その方がリアルである。でも甥である満男が伯父の寅さんに恋愛を相談していても不思議はないが、「虹」の西田と吉岡は他人同士だ。映画の構造としては寅さんと同じく「擬制の親子」だとしても、吉岡は去っていくしかない。山田洋次はこのシリーズの後は、しばらく喜劇を作らなくなった。
そんな時代に、僕らが所属できるところはどこか。それは映画やゲームなどの仮構の世界であり、「趣味」の領域である。だから、「寅さん以後」の西田敏行は釣りバカになったり映画館主になる。「釣りバカ」の西田は釣りしか関心がないように見えても、それでも「会社員」であり、家族もいる。寅さんは、釣りだけしてればいいとしても、「会社員」を全うできるとは思えない。同じところにいることを苦痛に思い、周りの人々に迷惑をかけまいとその会社を去っていくだろう。これは渥美清と西田敏行の差異ではなく、社会が変わってしまったことの反映である。
西田敏行は、大学へも行き(明大農学部中退)、青年座に所属し、テレビで人気を得た。そういう時代の俳優であり、実力のほどは山田作品でも「学校」で示している。だから「虹」シリーズが続かなかったのは、山田洋次や西田敏行の問題ではなく、もはや「寅さんシリーズ」を生み出す基盤が日本社会になくなっていたということにつきると思う。
「虹をつかむ男」で「引用」される映画は、ストレートすぎる。「ニュー・シネマ・パラダイス」に始まり、「鞍馬天狗 天狗廻状」「野菊の如き君なりき」「かくも長き不在」「雨に唄えば」「禁じられた遊び」「東京物語」「男はつらいよ」である。続編の「南国奮斗扁」では「雪国」(大庭秀雄)、「風の谷のナウシカ」で、まあ「巡回映画」らしい選定になっている。第1作だって、映画マニアの館主が選ぶという設定だから、問題はないと言えば言える。でも、こんなストレートな選定でいいのだろうか。もう少し大衆的、または逆に思い切ってマニアックな選定をしなくていいのだろうか。セリフの中では、なんと「ベニスに死す」や「8 1/2」を上映したとも語られている。もちろんどんな地方の観客であれ、この2本の映画に接する機会が与えられるべきだ。でも「商業ベース」でペイするのは難しいだろう。
(虹をつかむ男 南国奮斗篇)
白銀活男は寅さんのように「夢追い人」だし、同じように「失恋常習者」である。だが「寅さん」にあって「白銀」にないものがある。寅さんには気難しさや「柄の悪さ」があり、家族に対して(あるいは疑似家族のタコ社長や源さんに)時々とてもひどいことを言う。でも寅さんは「家族」である以上、離れることができないという設定により、許されることになる。一方、白銀は映画文化を皆に広めたいと頑張っているけれど、周りの人々に切れることは許されない。映画館が行き詰まるなら経営者が責任を取るしかない。家族でない他者は立ち去るしかない。
それはそれとして、非常に面白かった場面。田中邦衛が映写技師という設定で、西田、田中、吉岡らで車で巡回する。西田が「若者たち」って曲知ってるかと吉岡に聞き、同名映画の主題歌だと教えて、あの映画の長男のセリフがおかしいと真似する場面。これは映画内で「解説」されないので、若い人には判らないかもしれない「楽屋落ち」。でもおかしい。また第2作では、映写機が故障してしまい「男はつらいよ ハイビスカスの花」を上映できない。西田に歌えと観客が要求し、西田が「バナナボート」を歌いはじめ、小泉今日子も加わり観客総立ちで踊り出すという奇跡的な祝祭シーンがある。これは素晴らしかった。山田洋次は客演のマドンナをいつもとてもチャーミングに撮るが、第1作の田中裕子、第2作の小泉今日子は、どちらも数多い映画出演の中でも、ものすごく魅力的に映っている。
そして西田敏行の語りや歌は驚くほど魅力的。それはもう有名ではあるけれど、この映画の中の「映画語り」は素晴らしい。マルセ太郎の「スクリーンのない映画館」を西田敏行が引き継ぎ、年に一回でいいからどこかで上演するという企画を是非企画して欲しい。映画に限らず、演劇やテレビドラマでもいいけど、大変に面白くて感動できる舞台になるはず。最後に付け加えるが、第1作でオデオン座となった徳島県の「脇町劇場」はこの映画をきっかけに、取り壊しを免れ公開されるようになったとのこと。映画が現実を変えたのだ。(2020.5.20一部改稿)
(虹をつかむ男)
もっとも僕もこのシリーズが大傑作だと思ったわけではない。やはりこのシリーズは無理があったと思う。それを考えることで、日本映画、あるいは映画や日本文化全般について、何事かを語っておきたいと思うのである。この映画が作られたきっかけは、「男はつらいよ」が突然終わってしまい、「年末公開」を予定していた松竹の番組が空いてしまったことだろう。「虹をつかむ男」の主演者である西田敏行と田中裕子は、作られなかった「男はつらいよ」第49作に出演する予定だったという。
寅さん映画は、80年代まで基本的に年に2本作られ松竹を支えていた。(山田洋次が他の作品を作るため一本だった年もある。)しかし、90年(第41作)からは年に1本の年末公開となる。その最大の理由は渥美清の体調悪化である。でも山田洋次は50作目までは作ることを目指していて、そのつもりで脚本を練り、役者やロケ地も手配しつつあった。だから、その準備を生かした新作が企画され、そこでは寅さん映画常連が総出演、ラスト近くには渥美清そのものが(もちろんCG映像で)出てきて、画面に「敬愛する渥美清に捧げる」と献辞が出るという渥美清リスペクト映画が作られたのである。
しかし、この映画は単に渥美清や「男はつらいよ」だけではなく、山田洋次が映画ファンに贈った映画そのものの記憶に捧げられた映画になっている。映画の中で多くの映画に言及され、実際に「引用」されている。西田敏行は四国のつぶれかけた映画館主という設定で、「土曜名画劇場」の名で名画を上映している。最初が「ニュー・シネマ・パラダイス」で、最後が「男はつらいよ」(第1作)である。あまりにも予想通りの選定で、もうちょっとひとひねり欲しいかなと思いつつ、最後に「男はつらいよ」のテーマ曲が流れてくれば、映画ファンなら涙なくして見ることはできない。(なお、「虹をつかむ男」という題名自体も、1950年のダニー・ケイ主演の米映画「虹を掴む男」を踏まえている。)
なかなか感動的ではあるものの、結局このシリーズが続かなかったのは、西田敏行の設定にある。松竹としても、西田敏行としても、「釣りバカ日誌」が選ばれたということでもある。「釣りバカ」はほぼ年に1作だったから、やろうと思えばもう一本「虹をつかむ男」をシリーズ化できなかったわけではないだろう。でも観客は西田に「釣りバカ」を望んだ。「虹をつかむ男」は西田に仮託された山田洋次の映画愛はよく判るが、ただの風来坊だった寅さんに対して、つぶれかけた映画館主として白銀活男(西田の役名)は金策に頭を悩まし続ける。これは寅さんで言えば、「タコ社長」の役どころである。
また土曜名画劇場の映画選定会議(というのをファンを集めてやってる)では、「かくも長き不在」(1964年にATGで公開されベストワンになったカンヌ映画祭グランプリ作品)の素晴らしさを、フランス語のセリフで熱く語る。この映画は、戦時下に行方不明となった夫を待ち続ける妻を描く名画で、映画内で未亡人役の(そして白銀が秘かに思いを寄せ続けていた)田中裕子の役柄とシンクロしている。だからストーリイと無縁な趣味的シーンではない。でもそれは西田だから可能な設定で、寅さんが字幕付きの芸術映画を見てフランス語のセリフを覚えることはないだろう。洋画を見る人は、「さしづめインテリだな」と言われてしまうだろう。(現実の渥美清は多くの演劇、映画に接し続けていたが。)
「白銀活男」という人物は、寅さん+タコ社長+インテリになってしまった。観客は西田敏行に同情もできるし「いい人だな」と思う。だが、寅さんではなかったのである。寅さんは「柴又のとらや」という「帰るところ」を持っている。「とらや」は帝釈天の門前という設定から、つぶれないことが前提になっている。寅さんが帰郷した時に、隣の印刷屋は倒産しているかもしれないが、とらやが閉店し一家離散していたなどと心配する必要はない。一方、白銀の「オデオン座」はつぶれかけているし、現に第2作ではつぶれてしまい島々を映写機を持って巡回している。「寅さん」シリーズは、もう日本人の多くが持てなくなっていた「いつでも帰れる場所」を観客に提示できる映画だった。もうそういう映画は、二度と作れない。
1980年代末のバブル経済とその後のバブル崩壊で、そんな「いつでも帰れる場所」はほとんどの人が持てなくなった。だから、寅さん映画はウソっぽいし、説教くさいし、後ろ向きの保守的感性に働きかける映画だと当時の僕は思っていた。30作以後頃から、僕は同時代的にはほとんど見ていない。時代の変化を山田洋次が判っていなかったわけではないだろう。「虹をつかむ男」の吉岡秀隆が大学を出ても就職できずに親と衝突して旅に出る。「就職氷河期」を生きる「寅さんの甥」世代では、その方がリアルである。でも甥である満男が伯父の寅さんに恋愛を相談していても不思議はないが、「虹」の西田と吉岡は他人同士だ。映画の構造としては寅さんと同じく「擬制の親子」だとしても、吉岡は去っていくしかない。山田洋次はこのシリーズの後は、しばらく喜劇を作らなくなった。
そんな時代に、僕らが所属できるところはどこか。それは映画やゲームなどの仮構の世界であり、「趣味」の領域である。だから、「寅さん以後」の西田敏行は釣りバカになったり映画館主になる。「釣りバカ」の西田は釣りしか関心がないように見えても、それでも「会社員」であり、家族もいる。寅さんは、釣りだけしてればいいとしても、「会社員」を全うできるとは思えない。同じところにいることを苦痛に思い、周りの人々に迷惑をかけまいとその会社を去っていくだろう。これは渥美清と西田敏行の差異ではなく、社会が変わってしまったことの反映である。
西田敏行は、大学へも行き(明大農学部中退)、青年座に所属し、テレビで人気を得た。そういう時代の俳優であり、実力のほどは山田作品でも「学校」で示している。だから「虹」シリーズが続かなかったのは、山田洋次や西田敏行の問題ではなく、もはや「寅さんシリーズ」を生み出す基盤が日本社会になくなっていたということにつきると思う。
「虹をつかむ男」で「引用」される映画は、ストレートすぎる。「ニュー・シネマ・パラダイス」に始まり、「鞍馬天狗 天狗廻状」「野菊の如き君なりき」「かくも長き不在」「雨に唄えば」「禁じられた遊び」「東京物語」「男はつらいよ」である。続編の「南国奮斗扁」では「雪国」(大庭秀雄)、「風の谷のナウシカ」で、まあ「巡回映画」らしい選定になっている。第1作だって、映画マニアの館主が選ぶという設定だから、問題はないと言えば言える。でも、こんなストレートな選定でいいのだろうか。もう少し大衆的、または逆に思い切ってマニアックな選定をしなくていいのだろうか。セリフの中では、なんと「ベニスに死す」や「8 1/2」を上映したとも語られている。もちろんどんな地方の観客であれ、この2本の映画に接する機会が与えられるべきだ。でも「商業ベース」でペイするのは難しいだろう。
(虹をつかむ男 南国奮斗篇)
白銀活男は寅さんのように「夢追い人」だし、同じように「失恋常習者」である。だが「寅さん」にあって「白銀」にないものがある。寅さんには気難しさや「柄の悪さ」があり、家族に対して(あるいは疑似家族のタコ社長や源さんに)時々とてもひどいことを言う。でも寅さんは「家族」である以上、離れることができないという設定により、許されることになる。一方、白銀は映画文化を皆に広めたいと頑張っているけれど、周りの人々に切れることは許されない。映画館が行き詰まるなら経営者が責任を取るしかない。家族でない他者は立ち去るしかない。
それはそれとして、非常に面白かった場面。田中邦衛が映写技師という設定で、西田、田中、吉岡らで車で巡回する。西田が「若者たち」って曲知ってるかと吉岡に聞き、同名映画の主題歌だと教えて、あの映画の長男のセリフがおかしいと真似する場面。これは映画内で「解説」されないので、若い人には判らないかもしれない「楽屋落ち」。でもおかしい。また第2作では、映写機が故障してしまい「男はつらいよ ハイビスカスの花」を上映できない。西田に歌えと観客が要求し、西田が「バナナボート」を歌いはじめ、小泉今日子も加わり観客総立ちで踊り出すという奇跡的な祝祭シーンがある。これは素晴らしかった。山田洋次は客演のマドンナをいつもとてもチャーミングに撮るが、第1作の田中裕子、第2作の小泉今日子は、どちらも数多い映画出演の中でも、ものすごく魅力的に映っている。
そして西田敏行の語りや歌は驚くほど魅力的。それはもう有名ではあるけれど、この映画の中の「映画語り」は素晴らしい。マルセ太郎の「スクリーンのない映画館」を西田敏行が引き継ぎ、年に一回でいいからどこかで上演するという企画を是非企画して欲しい。映画に限らず、演劇やテレビドラマでもいいけど、大変に面白くて感動できる舞台になるはず。最後に付け加えるが、第1作でオデオン座となった徳島県の「脇町劇場」はこの映画をきっかけに、取り壊しを免れ公開されるようになったとのこと。映画が現実を変えたのだ。(2020.5.20一部改稿)