尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

何でもある場所-上野公園散歩④

2016年04月12日 00時34分35秒 | 東京関東散歩
 上野公園散歩の最終回。こういった散歩記は、よほどの重大事件でも起きない限り連続して書きたい。つまり、映画や本、ニュースなどはその間書かない。これはずいぶん気楽である。書く前に調べたり、写真を選んだり(写真はもっと撮ってあるに決まってる)、結構大変なんだけど気は楽。さて、今回はさまざまな施設には一切入ってない。都合5回くらい行ってみたけど、上野はどうせどこへ行くにも途中で通るので、あまり負担感がない。博物館や美術館は中で写真を撮れないし、どうせならタダで見られるところ限定にしようということで。パンダ関係とか、東博、科博なんかはまた別の機会に。

 さて、「何でもある場所」と題名に書いた。博物館も美術館も動物園もある。最初の洋食料理店の「上野精養軒」もあれば、今はスターバックスもある。だけど、そういう意味で書いたのではない。もちろん「ないもの」もいっぱいある。例えば映画館はない。国立博物館内に特設映画館を作って大森立嗣監督の「ゲルマニウムの夜」をやったことがある。そういう特例はあるけど常設館はない。公園の下にはあった。何と今は上野にロードショー館がなくなってしまった。(もっとも「上野オークラ劇場」という今や絶滅危惧種のピンク映画館が残っているんだけど。)昔は地下鉄駅を出て公園の下にたくさんあった。僕もよく見た。東宝で「忍ぶ川」を土曜日の放課後に見に行った。藤田敏八監督がロマンポルノを撮ったということで、日活の映画館に見に行ったのもここ。高校2年だから、ホントは成人映画は見れないけど。「赤ちょうちん」「妹」「バージンブルース」の秋吉久美子三部作もそこで見た。

 そういう「俗」なるものは、公園の中にはない。「俗」は公園外、つまり上野寛永寺の周りにあった。参詣に帰りに寄ることはできる。じゃあ「何でもある」とはどういう意味か。例えば「清水観音堂」がある。「五重塔」がある。「大仏」もある。「東照宮」まである。寛永寺が比叡山だとするなら、不忍池は「琵琶湖」にあたる。だから「竹生島」(ちくぶしま)にちなんで「弁天堂」まで作られた。京都や奈良、日光まで行かなくても、ここには「何でもある」のである。上野に参詣に訪れれば、済んじゃう。この発想がいかにも江戸人らしいと思うのである。外国人観光客に受けるのもそんなあたりだろう。
 
 では五重塔から。重要文化財。1639年建立。1631年に出来たが、一度焼失し直ちに再建された。今は「旧寛永寺五重塔」と「旧」を付ける。それは寛永寺が東京都に寄付したからで、位置的には上野動物園内にある。外からは柵越しにしか見られない。動物園と東照宮の間あたりで、駅近くからは見えない。次に「清水観音堂」。重要文化財。1631年建立。江戸の火事、震災、戦災に耐えて、よく残っているもんだ。でも日本じゃこの程度では国宝にならない。京都と同じ作りで、まあ規模は小さいけど、清水ムードはちょっと愉しめる。春の桜を眺めるのは美しい。下に広重が描いた「月の松」がある。くるっと枝が一回りしている松。狭いので堂上で写真を撮るのが難しい。下の3枚目は舞台から見た桜。
  
 次は「上野東照宮」。もと藤堂高虎邸内に造られたが、将軍家光が1651年に改築したもの。重要文化財。牡丹が有名。東照宮は日光や久能山以外に、全国にいっぱいある。東京では芝の増上寺にもある。上野は有名な方だろうが、さすがは家康である。拝観料500円なので中へは入らず。動物園の横あたりで、参道にずらっと屋台が並ぶのが外国人観光客に大受けしている。そこは載せず。
  
 さて、その近くから階段を下りて不忍池へ行くと、弁天堂。池の中にあるが、それは人工島。天海が築いたが、東京大空襲で焼失。1958年にコンクリ製で再建されたものである。このあたりも水の景色と弁天堂、桜と屋台の店と外国人に受ける要素が詰まってて混雑していた。
  
 さらにまだまだある。「時の鐘」。1787年作の鐘楼。芭蕉が「花の雲 鐘は上野か 浅草か」と詠んだのは、ここの鐘。ただし、それは1666年の最初の鐘だという。精養軒の真ん前あたりにあり、今も午前午後6時と正午に鳴らすというが、聞いたことはない。
  
 その真ん前にあるのが、「上野大仏」。もと6mあったというが、度重なる災害に耐えられず、今は顔面しかない。大仏パゴダに残されている。そのパゴダというのは、1967年に東照宮の薬師三尊を祀るために作られた。「顔だけ大仏」は、「これ以上落ちない」と合格祈願で有名。
  
 これだけのものが、もともとの「上野寛永寺」にあったんだから、大したものである。それに結構残っているとも思う。震災、戦災を超えて、よくぞ残った。桜の季節に大流行りである。だけど、その代わりに根本中堂などの寛永寺の中心に人が行かないのである。最後に、お寺と関係ないものを。まず「擂鉢山古墳」。読みは「すりばちやま」である。古墳が東京の区部にあることを知らない人が結構いる。芝公園にもあるし、世田谷・等々力渓谷近くの野毛大塚古墳などはなかなか大きい。一番行きやすいのは、東京文化会館近くの上野公園の古墳だろう。階段があり、登ると真っ平になってベンチがある。休んでいる人がいつもいる。これが古墳かと一度登って欲しい場所。
   
 その近くに野球場。これは「正岡子規記念野球場」という。正岡子規は健康だった時には自ら野球を楽しんだ。ポジションはキャッチャー。打者、走者、直球、四球などの用語を作ったことで知られ、野球殿堂入りしている。
  
 さて、これで最後。西郷さんの銅像に真ん前に「彰義隊の墓」がある。他にも、五条天神社花園稲荷などの神社もあり、天神では例の赤い鳥居に外国人が大喜びしていた。「京都にあったよね」とか言い合いながら写真を撮りあっている。最後は写真ばかりだけど、上野公園には史跡がザクザクとあり、有料施設に入らなくても散歩しているだけで歴史ファンには楽しめるという話。すごい場所。
  
コメント
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