トム・フーパー監督、エディ・レッドメイン主演の「リリーのすべて」。一体どうなんだろうと多少の心配もあったけれど、これは非常に古典的な完成度に達した傑作映画だった。アカデミー賞に4部門でノミネートされていたが、作品賞や監督賞には入っていない。映画祭向けの作品という扱いなのかもしれない。見逃すともったいないので、簡単に紹介。
「GID」と題名に書いたけれど、それで判る人ばかりではないだろう。「性同一性障害」(Gender Identity Disorder)のことである。「性自認」(Gender Identity)という概念がそもそもなかった1920年代に、世界で初めての「性別適合手術」、いわゆる「性転換」の手術を受けたリリー・エルベを描く映画である。実話に基づく小説が原作で、今回の映画公開に合わせて翻訳が出されている。(デヴィッド・エバーショフ「世界で初めて女性に変身した男と、その妻の愛の物語」。)
米英独の資本で作られた英語映画だが、原題は「The Danish Girl」で、デンマークの話。これを見ると、テーマや映像以前にヨーロッパの都市の美しさにため息が出る。まあ、映画向きに切り取られた映像ではあるだろうが。トム・フーパーの確かな手腕で、この映画は20世紀前半の世界をたくさんのカットを積み重ねて再現していく。古典的と言いたい映画リズムで進行していき、テーマが浮き彫りになってくる。テーマ性や主人公を演じるレッドメインの演技に注目が集まるだろうが、それを支える技術的な的確性に感心させられた。トム・フーパー監督は「英国王のスピーチ」が称賛され、「レ・ミゼラブル」を任された。しかし、僕の感覚ではこの「リリーのすべて」の方がうまいように思う。
映画は共に画家であるアイナー・ヴェルガーとクララの「夫婦愛の物語」のように進行していく。英語映画だから、「アイナー」と発音されているが、エイナル・モーゲンス・ヴェゲネルが本名である。映画には出てこないが、画学生として知りあって結婚したらしい。アイナーは故郷を描く風景画家、クララは人物を描くが、女性画家が男を描いても認められない。ある日、クララのモデルが休んだので、アイナーにモデルを頼む。その時は完全には女装しなかったが、やがて妻のモデルのために女装することになじんで行く。ある日、アイナーの従妹「リリー」と名乗って、クララとともにパーティにも行く。そして、子どもの頃から女性性が自分の中にあったことを思い出し、自らは女性であると自認していく。
クララは絵が売れていき、パリに夫婦で行く。そんな中で性自認に悩むアイナーの苦悩をエディ・レッドメインは巧みに演じている。クララは自分のモデルを務めたことから始まったと思い、ずっと夫を支えてさまざまの病院に行く。当時は「性同一性障害」などという考えはなかったから、精神病に間違われたり、「放射線療法」を受けさせられたりする。そんなこんなを繰り返した末に、ドレスデンに「性別適合手術」を行う医者がいることを知り、ドイツに赴く。一度は一人で行ったアイナーだが、クララも後から追っていく。このクララという人を演じるのは、アリシア・ウィキャンデルという女優で、アカデミー賞にノミネートされたり、いくつもの賞を受けている。スウェーデン出身で、「コードネーム U.N.C.L.E.」なんかに出ている。注目!
この「世界で初めて性別適合手術を受けた人」のことは全く知らなかったが、医学水準も今に比べて格段に低かっただろう時代によく思い切ったものである。ネットで調べると、映画は実話とは違っている部分があるようだ。今の「性別適合手術」のあり方とは違う。子宮の移植まで行い、うまくいけば妊娠も可能に出来るのではと思われたようだが、実際は移植された子宮の拒否反応が強くなった。映画ではそこまで描いていない。ずっと苦しみ悩む「夫」に同行するクララに、性を超えた人間どうしの強い信頼関係を見出しているような感じがする。
新作映画をけっこう見るわけだが、今日のような休日だとどこも混んでいる。シネコンだと、その日の気分でネットで予約して行けるから必ず座れる。急に思い立っても取れないことが多い演劇や、混んでるとずっと立ってるのがつらい美術館に比べて、シネコンの楽さが身に沁みるわけである。今年良かったのは「キャロル」だけど、同じ「TOHOシネマズ みゆき座」で見た。今は日比谷の東京宝塚劇場の地下だが、前は隣の芸術座、今のシアター・クリエのあるところの地下に「みゆき座」があった。僕が初めて自分で出かけたロードショー劇場である。地下鉄で一本だから、僕は日比谷や有楽町で見た映画が多い。ミニシアターなら新宿や渋谷にも行くけど。
「キャロル」も「リリーのすべて」も、同じく「セクシャル・マイノリティ」に関わる映画。「LGBT」と最近はよく言われるが、「キャロル」は「L」、「リリーのすべて」は「T」。世界的に問題意識が高まっていることもあるだろうし、俳優の拒否感が少なくなり難役にチャレンジする意味が大きくなった。世界的には今後もしばらく、このテーマの問題作は多くなるのではないか。日本でも注目していきたい。
「GID」と題名に書いたけれど、それで判る人ばかりではないだろう。「性同一性障害」(Gender Identity Disorder)のことである。「性自認」(Gender Identity)という概念がそもそもなかった1920年代に、世界で初めての「性別適合手術」、いわゆる「性転換」の手術を受けたリリー・エルベを描く映画である。実話に基づく小説が原作で、今回の映画公開に合わせて翻訳が出されている。(デヴィッド・エバーショフ「世界で初めて女性に変身した男と、その妻の愛の物語」。)
米英独の資本で作られた英語映画だが、原題は「The Danish Girl」で、デンマークの話。これを見ると、テーマや映像以前にヨーロッパの都市の美しさにため息が出る。まあ、映画向きに切り取られた映像ではあるだろうが。トム・フーパーの確かな手腕で、この映画は20世紀前半の世界をたくさんのカットを積み重ねて再現していく。古典的と言いたい映画リズムで進行していき、テーマが浮き彫りになってくる。テーマ性や主人公を演じるレッドメインの演技に注目が集まるだろうが、それを支える技術的な的確性に感心させられた。トム・フーパー監督は「英国王のスピーチ」が称賛され、「レ・ミゼラブル」を任された。しかし、僕の感覚ではこの「リリーのすべて」の方がうまいように思う。
映画は共に画家であるアイナー・ヴェルガーとクララの「夫婦愛の物語」のように進行していく。英語映画だから、「アイナー」と発音されているが、エイナル・モーゲンス・ヴェゲネルが本名である。映画には出てこないが、画学生として知りあって結婚したらしい。アイナーは故郷を描く風景画家、クララは人物を描くが、女性画家が男を描いても認められない。ある日、クララのモデルが休んだので、アイナーにモデルを頼む。その時は完全には女装しなかったが、やがて妻のモデルのために女装することになじんで行く。ある日、アイナーの従妹「リリー」と名乗って、クララとともにパーティにも行く。そして、子どもの頃から女性性が自分の中にあったことを思い出し、自らは女性であると自認していく。
クララは絵が売れていき、パリに夫婦で行く。そんな中で性自認に悩むアイナーの苦悩をエディ・レッドメインは巧みに演じている。クララは自分のモデルを務めたことから始まったと思い、ずっと夫を支えてさまざまの病院に行く。当時は「性同一性障害」などという考えはなかったから、精神病に間違われたり、「放射線療法」を受けさせられたりする。そんなこんなを繰り返した末に、ドレスデンに「性別適合手術」を行う医者がいることを知り、ドイツに赴く。一度は一人で行ったアイナーだが、クララも後から追っていく。このクララという人を演じるのは、アリシア・ウィキャンデルという女優で、アカデミー賞にノミネートされたり、いくつもの賞を受けている。スウェーデン出身で、「コードネーム U.N.C.L.E.」なんかに出ている。注目!
この「世界で初めて性別適合手術を受けた人」のことは全く知らなかったが、医学水準も今に比べて格段に低かっただろう時代によく思い切ったものである。ネットで調べると、映画は実話とは違っている部分があるようだ。今の「性別適合手術」のあり方とは違う。子宮の移植まで行い、うまくいけば妊娠も可能に出来るのではと思われたようだが、実際は移植された子宮の拒否反応が強くなった。映画ではそこまで描いていない。ずっと苦しみ悩む「夫」に同行するクララに、性を超えた人間どうしの強い信頼関係を見出しているような感じがする。
新作映画をけっこう見るわけだが、今日のような休日だとどこも混んでいる。シネコンだと、その日の気分でネットで予約して行けるから必ず座れる。急に思い立っても取れないことが多い演劇や、混んでるとずっと立ってるのがつらい美術館に比べて、シネコンの楽さが身に沁みるわけである。今年良かったのは「キャロル」だけど、同じ「TOHOシネマズ みゆき座」で見た。今は日比谷の東京宝塚劇場の地下だが、前は隣の芸術座、今のシアター・クリエのあるところの地下に「みゆき座」があった。僕が初めて自分で出かけたロードショー劇場である。地下鉄で一本だから、僕は日比谷や有楽町で見た映画が多い。ミニシアターなら新宿や渋谷にも行くけど。
「キャロル」も「リリーのすべて」も、同じく「セクシャル・マイノリティ」に関わる映画。「LGBT」と最近はよく言われるが、「キャロル」は「L」、「リリーのすべて」は「T」。世界的に問題意識が高まっていることもあるだろうし、俳優の拒否感が少なくなり難役にチャレンジする意味が大きくなった。世界的には今後もしばらく、このテーマの問題作は多くなるのではないか。日本でも注目していきたい。