岩井俊二監督の日本での実写長編映画は、何と「花とアリス」(2004)以来12年ぶりだという。もはや映画監督を超えた活動を行っていくのかとさえ思っていた岩井俊二が突然、大長編映画を発表した。それも3時間にも及ぶ大長編で、ものすごく面白く、紛れもない傑作映画である。それが「リップヴァンウィンクルの花嫁」で、ずっと気になっていたが時間的に体調がよくないと見る気が起きない。ようやく昨日見たのだが、言われてみれば黒木華(はる)の初主演映画なのである。

皆川七海(黒木華)は大学を出たが、正規の教員に合格せず非常勤講師をしている。ネットで知り合った男性と結ばれ、結婚に至る。「ライン」では「クラムボン」と名乗っていて(そう、宮沢賢治ファンなのである)、「結婚相手さえネットでクリックして見つける時代なんだね」といったようなことを書き込んでいる。夫(教員)はそれを見て、こんなこと書いてるヤツいる、お前じゃないよななどと言ってる。七海は声が小さく、教室の後ろまで声が届かない。生徒がマイクを使って下さいと持ってきて、つい使ってしまう。それで解雇されてしまうが(その事情は最後に触れる)、夫の母親は「仕事続けるのか?」などといい顔をしていなかったので、生徒には「寿退社」みたいに言う。といった具合に、ネット社会の人間関係を風刺するような映画かと思わせて出発するのだが、実はそれは単なる序章にしか過ぎない。
七海の父母は離婚していて、親せき付き合いも少ない。夫の方は親族が結婚式にいっぱい来るので、釣り合わないと言われる。何とかならないかと強く言われて、その悩みをネットに書き込むと、安室(綾野剛)という便利屋が応答し、今はレンタル親戚がいますよと言われる。そこでつい頼んでしまうが、以後、この安室が神のように、あるいは悪魔のように七海の人生を揺さぶっていくのである。七海の夫が自分の彼女と不倫していると詰め寄る男が現れる。この男は「別れさせ屋」らしく、これも安室の仕掛けらしい。七海は罠にかけられて、夫の母から離婚を迫られる。以後、ホテルの清掃をしながら、また安室の紹介で自ら「レンタル親戚」になる。そこで里中真白(Cocco)という女優と知り合い…。ということをいくら書いていても、この物語の行く末は見えてこない。
美術や音楽、舞踏などは身体で感じるということでいいけど、小説、劇、映画などの多くは「物語」になっているから、受容側も「意味」や「起承転結」を考えてしまう。意味なんかなくてもいいんだろうけど、見ている間は「この物語は何なんだろう」と思ってしまうのは避けられない。七海を狂言回しにして現代社会をめぐっていくが、この波乱万丈の行く末はどこにあるのか。お城のような洋館に「メイド」として雇われると、そこで真白と再会する。そして、だんだん真白という女性の真の姿を目にすることになる。ここまででも十分に面白いけど、実は2時間以上経って真白と再会して以後が、この長大な物語の眼目なのである。「リップヴァンウィンクル」とは真白がネット上で名乗る名前で、七海は真白と深く魂で結ばれていくのである。最後の最後に題名の由来が判る。
そしてラスト近くで、真白の母親に七海と安室が会いに行く。この真白の母をリリィがやっている。「私は泣いています」の歌手を大島渚の「夏の妹」以来、何度かスクリーンで見てきたわけだが、この映画のほんのちょっとしたシーンは実に凄まじい。短い出番だけど、ぶっ飛んでいる。「花とアリス」は高校の文化祭などを延々と見せながら、最後にまだ10代の蒼井優がラストのバレエシーンで「降臨」してくるのを見る映画だった。同じように、この映画も七海の流れゆくさまをピカレスクロマン(悪漢小説)風に描きながら、ラストに至って現代人の孤独と叫びを圧倒的な情感で描き出す映画だと判るのである。
こんな映画を前にも見たなあと思うと、それは安藤桃子の「0.5ミリ」や濱口竜介の「ハッピー・アワー」だった。長いけど面白く、一体この物語はどこに行きつくのかと思いながら、最後にこれが現代を行きる人々だと圧倒的なパワーで示す。ただ、現実を描き出していく先の2作に比べて、この映画は話の進行が極端で、寓話的、風刺的な展開になっている。その分現実性は薄いけど、「ありえなそうな展開」の持つ物語性が楽しめる。題名の「リップヴァンウィンクル」とは、アメリカ版浦島太郎の名前で、ワシントン・アーヴィング(19世紀初頭のアメリカ建国初期の作家)の「スケッチ・ブック」に収められている。(岩波文庫に翻訳がある。)真白がどうしてこう名乗ったのか、推察すると悲しくなる。
岩井俊二(1963~)の事を書いていると長くなるが、テレビから登場して1995年に「Love Letter」で劇映画デビューした時の興奮は今も記憶に新しい。後にアジア各国で大ヒットする、いわば「Jシネマ」の代表作と言える映画で、僕はその巧緻な作りと痛切な悲哀に驚嘆して何回も見たものである。その後の「スワロウテイル」(1996)や「リリイ・シュシュのすべて」(2001)までが素晴らしい。その後アメリカで「ヴァンパイア」という映画を作ったり、音楽ビデオ、テレビCM、小説、写真、音楽活動などマルチな活躍をしていた。驚くべきことに「復興支援ソング」という「花は咲く」は岩井俊二の作詞なのである。
いずれの映画も「たくらみ」の魅力に満ちている。また「Love Letter」の中山美穂、「四月物語」の松たか子、「花とアリス」の鈴木杏と蒼井優など、明らかに女優の存在にインスパイアされた物語が多い。今度の映画も明らかに黒木華あっての映画で、黒木華という女優を現代日本に漂流させてみたいという思惑があるだろう。それは見事に成功したと思う。気が早いけど、今年の映画賞において、黒木は主演女優賞、綾野とCoccoは助演男女優賞の有力な候補になると思う。
ところで、先に書いたように黒木演じる七海は、声が小さく、教師を解雇される。どういう意味かというと、私立学校に「派遣会社」から派遣されているのだと思われる。学校の意向を受け、会社側が契約解除とする。公立学校の非常勤講師なら、こうも簡単に首を切れないだろう。およそ、教師が派遣会社から派遣されるなどということ自体があっていいのだろうか。それでは学校において、他の同僚や生徒ともに「育っていく」ということができない。映画そのものの問題ではないが、非常におかしなことだと思う。と同時に「声が届かない」教員が一部に存在するのも間違いない。今は「模擬授業」を採用試験で行うので昔より少ないような気がするが。前にこのブログで書いたように、教員養成で「発声訓練」「演劇レッスン」を必須にするべきだと思う。子どもの声なき声、身体言語を読み取るためにも、役立つだろう。ところで、黒木華は「幕が上がる」でも「ソロモンの偽証」でも教師を全うできなかった。「母と暮らせば」でも教師だけど、学校の様子は映像では出てこない。今度もダメ教師だけど、一度ちゃんとした学校映画で教師役を演じて欲しい気がする。誰か作って欲しいなあ。

皆川七海(黒木華)は大学を出たが、正規の教員に合格せず非常勤講師をしている。ネットで知り合った男性と結ばれ、結婚に至る。「ライン」では「クラムボン」と名乗っていて(そう、宮沢賢治ファンなのである)、「結婚相手さえネットでクリックして見つける時代なんだね」といったようなことを書き込んでいる。夫(教員)はそれを見て、こんなこと書いてるヤツいる、お前じゃないよななどと言ってる。七海は声が小さく、教室の後ろまで声が届かない。生徒がマイクを使って下さいと持ってきて、つい使ってしまう。それで解雇されてしまうが(その事情は最後に触れる)、夫の母親は「仕事続けるのか?」などといい顔をしていなかったので、生徒には「寿退社」みたいに言う。といった具合に、ネット社会の人間関係を風刺するような映画かと思わせて出発するのだが、実はそれは単なる序章にしか過ぎない。
七海の父母は離婚していて、親せき付き合いも少ない。夫の方は親族が結婚式にいっぱい来るので、釣り合わないと言われる。何とかならないかと強く言われて、その悩みをネットに書き込むと、安室(綾野剛)という便利屋が応答し、今はレンタル親戚がいますよと言われる。そこでつい頼んでしまうが、以後、この安室が神のように、あるいは悪魔のように七海の人生を揺さぶっていくのである。七海の夫が自分の彼女と不倫していると詰め寄る男が現れる。この男は「別れさせ屋」らしく、これも安室の仕掛けらしい。七海は罠にかけられて、夫の母から離婚を迫られる。以後、ホテルの清掃をしながら、また安室の紹介で自ら「レンタル親戚」になる。そこで里中真白(Cocco)という女優と知り合い…。ということをいくら書いていても、この物語の行く末は見えてこない。
美術や音楽、舞踏などは身体で感じるということでいいけど、小説、劇、映画などの多くは「物語」になっているから、受容側も「意味」や「起承転結」を考えてしまう。意味なんかなくてもいいんだろうけど、見ている間は「この物語は何なんだろう」と思ってしまうのは避けられない。七海を狂言回しにして現代社会をめぐっていくが、この波乱万丈の行く末はどこにあるのか。お城のような洋館に「メイド」として雇われると、そこで真白と再会する。そして、だんだん真白という女性の真の姿を目にすることになる。ここまででも十分に面白いけど、実は2時間以上経って真白と再会して以後が、この長大な物語の眼目なのである。「リップヴァンウィンクル」とは真白がネット上で名乗る名前で、七海は真白と深く魂で結ばれていくのである。最後の最後に題名の由来が判る。
そしてラスト近くで、真白の母親に七海と安室が会いに行く。この真白の母をリリィがやっている。「私は泣いています」の歌手を大島渚の「夏の妹」以来、何度かスクリーンで見てきたわけだが、この映画のほんのちょっとしたシーンは実に凄まじい。短い出番だけど、ぶっ飛んでいる。「花とアリス」は高校の文化祭などを延々と見せながら、最後にまだ10代の蒼井優がラストのバレエシーンで「降臨」してくるのを見る映画だった。同じように、この映画も七海の流れゆくさまをピカレスクロマン(悪漢小説)風に描きながら、ラストに至って現代人の孤独と叫びを圧倒的な情感で描き出す映画だと判るのである。
こんな映画を前にも見たなあと思うと、それは安藤桃子の「0.5ミリ」や濱口竜介の「ハッピー・アワー」だった。長いけど面白く、一体この物語はどこに行きつくのかと思いながら、最後にこれが現代を行きる人々だと圧倒的なパワーで示す。ただ、現実を描き出していく先の2作に比べて、この映画は話の進行が極端で、寓話的、風刺的な展開になっている。その分現実性は薄いけど、「ありえなそうな展開」の持つ物語性が楽しめる。題名の「リップヴァンウィンクル」とは、アメリカ版浦島太郎の名前で、ワシントン・アーヴィング(19世紀初頭のアメリカ建国初期の作家)の「スケッチ・ブック」に収められている。(岩波文庫に翻訳がある。)真白がどうしてこう名乗ったのか、推察すると悲しくなる。
岩井俊二(1963~)の事を書いていると長くなるが、テレビから登場して1995年に「Love Letter」で劇映画デビューした時の興奮は今も記憶に新しい。後にアジア各国で大ヒットする、いわば「Jシネマ」の代表作と言える映画で、僕はその巧緻な作りと痛切な悲哀に驚嘆して何回も見たものである。その後の「スワロウテイル」(1996)や「リリイ・シュシュのすべて」(2001)までが素晴らしい。その後アメリカで「ヴァンパイア」という映画を作ったり、音楽ビデオ、テレビCM、小説、写真、音楽活動などマルチな活躍をしていた。驚くべきことに「復興支援ソング」という「花は咲く」は岩井俊二の作詞なのである。
いずれの映画も「たくらみ」の魅力に満ちている。また「Love Letter」の中山美穂、「四月物語」の松たか子、「花とアリス」の鈴木杏と蒼井優など、明らかに女優の存在にインスパイアされた物語が多い。今度の映画も明らかに黒木華あっての映画で、黒木華という女優を現代日本に漂流させてみたいという思惑があるだろう。それは見事に成功したと思う。気が早いけど、今年の映画賞において、黒木は主演女優賞、綾野とCoccoは助演男女優賞の有力な候補になると思う。
ところで、先に書いたように黒木演じる七海は、声が小さく、教師を解雇される。どういう意味かというと、私立学校に「派遣会社」から派遣されているのだと思われる。学校の意向を受け、会社側が契約解除とする。公立学校の非常勤講師なら、こうも簡単に首を切れないだろう。およそ、教師が派遣会社から派遣されるなどということ自体があっていいのだろうか。それでは学校において、他の同僚や生徒ともに「育っていく」ということができない。映画そのものの問題ではないが、非常におかしなことだと思う。と同時に「声が届かない」教員が一部に存在するのも間違いない。今は「模擬授業」を採用試験で行うので昔より少ないような気がするが。前にこのブログで書いたように、教員養成で「発声訓練」「演劇レッスン」を必須にするべきだと思う。子どもの声なき声、身体言語を読み取るためにも、役立つだろう。ところで、黒木華は「幕が上がる」でも「ソロモンの偽証」でも教師を全うできなかった。「母と暮らせば」でも教師だけど、学校の様子は映像では出てこない。今度もダメ教師だけど、一度ちゃんとした学校映画で教師役を演じて欲しい気がする。誰か作って欲しいなあ。