尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

映画「ティエリー・トグルドーの憂鬱」の憂鬱

2016年09月16日 22時47分13秒 |  〃  (新作外国映画)
 ヒューマントラストシネマ渋谷という映画館がある。スクリーンが3つあるので、ここでしか上映しないような映画がよく掛かっている。株主優待が使えるので、他がいっぱいだったり、名画座二本立てが疲れそうなときなど、結構行くことになる。J・G・バラード原作の「ハイ・ライズ」なんていう映画も、今ここで見とかないと映画館で見られない気がして、つい行ってしまった。昔々、バラードのファンだったのだが、この映画のことは書かなくてもいいと思う。

 一方、ここで取り上げようと思う「ティエリー・トグルドーの憂鬱」という映画は書くことにする。2015年のカンヌ映画祭で、ヴァンサン・ランドン主演男優賞を得た映画である。ヴァンサン・ランドンはセザール賞(フランス最高の映画賞)の主演男優賞も得ている。そういう映画だから、映画マニアは一応見ておくべき映画なんだと思うけど、一般の映画ファンはどうなんだろうか。見ている方もユーウツになってしまう映画で、見ていて辛い。だけど、その現実感に見入ってしまうのも間違いなく、現代社会について深く考えさせられる映画である。

 冒頭、中年男性が怒っている。それがティエリー・トグルドー、51歳。高校生の障害者を抱えながら、1年半失業中。クレーン操縦士の資格を取ったけど、建設業では経験者優遇で全然就職につながらない。なんでこんな研修を受けさせたんだと職安で怒りまくっているわけである。フランスでも、とにかく何かの研修を受けていると、手当てが出るような仕組みが出来ているらしい。しかし、いかに怒っても何も変わらず、今度はスカイプで面接練習を受ける。それを皆が見て批評するのだが、冷たい印象、おどおどしている、恰好が悪いとさんざん。もう人格が否定されたようなショックである。

 そんな主人公の生活をカメラはひたすら追っていく。ほとんどドキュメンタリー映画を見ているような感じだ。そんな彼もようやく職につくことができた。それはスーパーの監視員。監視カメラを見て、万引きを見張っているような仕事である。スーパーの様々な客をカメラが追っていく。いやあ、こういう風に見られていたのか。こりゃあ、気を付けないと。一見怪しげだけど、万引きじゃない人もいる。捕まったのは少年と老人。それなりに「言い分」がある。そこから社会も見えてくる。

 しかし、だんだん仕事が辛くなってくる。それは監視の対象が、外部の万引き犯ばかりではなく、同僚の不正でもあるからだ。誰も信用するなと言われて、同僚のレジも監視している。そして、同僚の「不正」が明らかになってしまうと…。ここには、職場の連帯ではなく、相互監視社会になってしまった現代社会の冷酷さ、生きづらさがまざまざと見る者に突き刺さってくる。確かにこういう映画は見たことがないと思う。でも楽しいかというと楽しくない。映画そのものの出来も、完成度が高ければもっと上の賞が取れたわけだから、まあ粗い部分が多い。でも、フランスでは100万人の大ヒットになったという。切実な関心を呼んだということだろう。

 監督・脚本はステファヌ・ブリゼ。(共同脚本オリヴィエ・ゴルス)ブリゼは「母の身終わい」という映画が日本でも公開されている。1966年生まれの中堅監督である。主演のヴァンサン・ランドン(1959~)は、その「母の身終い」や「女と男の危機」などで5回セザール賞にノミネートされ、6回目に受賞した。最近では「友よ、さらばと言おう」というノワール映画に出ていたが、渋い中年俳優という感じ。今回は演技を超えた存在感だけど、見る側にもユーウツが乗り移るような感じ。まあ、映画はフィクションではあるわけだが、主人公は一体今後どう生きていくんだろうか?
コメント
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