尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「ゆとり世代」って、何だ?-「ゆとり教育」論④

2016年09月10日 23時09分43秒 |  〃 (教育行政)
 「ゆとり教育」の全体を論じる前に、よく言われる「ゆとり世代」という言葉について考えておきたい。そもそも「ゆとり教育」とは何かを見極めないと、「ゆとり世代」を論じられないと言われるかもしれない。でもまあ、そうでもないと思う。なぜかと言えば、「ゆとり世代」なんてものはないからである。

 そりゃあ、そうだろう。学習指導要領がどうでもいいとは言わないけど、授業時数・授業内容の削減とか「総合学習」の新設というだけで、「世代すべてに当てはまる特徴」が出来上がるわけがない。「学校」が社会の中で持っている意味が、大昔に比べてずっと小さくなっている。テレビやインターネットなんかの影響の方が今は大きいのではないか。

 「国民学校世代」なんていうのはあるだろう。1941年以後、小学校は「国民学校」と改称されていたのである。戦後に新学制に移行するまで続いた。要するに、戦時下の世代である。小学校しか義務教育じゃなかった時代の話である。学校の名前そのものが変わっちゃうぐらいだから、それは大きな出来事だろう。「国民学校に通った世代」というだけで、ある世代を表すだろう。

 でも、戦後教育は全部そうだとも言えるが、特に80年代以後は「個性化」を進めてきた。今までと違った個性を持った若い人がいても、要するに「そういう人がいてもいい」というだけの話で、世代全員の問題ではない。以上、オシマイでもいいんだけど、もう少し書かないといけない。現実に「ゆとり世代はダメだ」と言う人がいる。言われた人を知ってるから確かである。テレビドラマの題名にも使われたし、「世の中には『ゆとり世代』っていう概念があるらしい」という事実は残る。それは何故か?

 一つは「言ってる側の問題」である。3回目で書いたように、一番大きな授業数削減を行ったのは、1977年告示、1981年に中学校で実施されたときの学習指導要領である。その時の指導要領の中に、「ゆとり」という言葉が登場する。実はそれ以外では「ゆとり」という言葉は出てこないから、「ゆとり世代」というものがあるとすると、本来それは1977年告示の指導要領で学習した世代のはずである。(その時は「中学校学習指導要領等の改訂の要点」というものがあって、「学校生活全体にゆとりをもたせるため,授業時数を全体として削減し」と明記されている。)

 中学の授業時間は、1981年度実施の要領で削減され、その後2012年実施の指導要領まで増えていない。ということは、1968年度生まれから1999年度生まれの世代が「ゆとり世代」になるはずである。つまり、今の30代、40代は全員「ゆとり世代」に該当する。でも、そういう自意識はほとんどないだろう。中学生は言われた通り授業を受けているだけで、自分たちが前の世代より授業数が少ないかどうかなど自分では判らない。若い者に向かって「ゆとり世代はダメだ」などと決めつけている方が、実は「ゆとり世代」だったのである。大体「ゆとり世代は…」などと独断的に決めつけるのは「反知性主義」そのものだ。自分の方こそちゃんと勉強していないということを暴露している。

 でも、それだけでは解決しない問題もいくつかある。まず「少子化」というファクターである。特に21世紀実施の「総合学習」導入の世代が「ゆとり世代」と言われることが多い。学校の授業数が削減されたことは確かだが、「授業内容を3割削減」と言ったって、学校の授業内容を7割以上覚えている人なんかいないだろう。「ゆとり世代」批判をする方だって、数学の公式や歴史の年号を覚えてないと文句言ってるんじゃないだろう。「一般常識」とか「年長世代との付き合い方」とか「臨機応変力」とかの欠如を問題にしているはずだ。そういうのは、「少子化」の影響と考えた方が正解に近い。

 兄弟や遊び友達集団が少なくなる一方、受験圧力は確実に減った。よほどの有名大学を目指すというのでもなければ、推薦入学でそれなりの私立大学へ行ける。自分が確実に合格できるとは判らないわけだが、とにかくそういう制度が普及したことで、世代全員にかかる受験圧力は減るわけである。学校の勉強は、ほとんどの人にとっては上級学校への進学のためにしている。だから、当然「受験のための学力」は少子化で下がると考えられる。また、地域の遊び集団などで養われる年長者との付き合い方なども、少子化や学校選択制(地域外の小中学校へ通える)などで、身に付きにくくなる。そう考えてみると、「ゆとり世代」の特徴と見えるものは実は少子化による影響と考えた方がいい。
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授業時間数の推移を調べてみる-「ゆとり教育」論③

2016年09月10日 00時03分27秒 |  〃 (教育行政)
 学校ではどのぐらいの時間、学習を行っているのだろうか。ここで言うのは、「授業時間数」の問題である。行事だって部活動だって「学習」に違ないけれど、「ゆとり教育」について書いているのだから、時間数を問題にするのである。毎年毎年、祝日の曜日が違うし、学校行事の置き方でも違ってくる。だけど、タテマエ上「これだけ学習しなくてはいけない」というのは、決められている。

 それを定めているのは、「学習指導要領」である。国会で議決されたものではなく、文部省(文部科学省)の「告示」に過ぎないが、官報に掲載される。裁判で争われた結果、「法的性格」があると最高裁が判決している。だが、そうなったのは1958年告示、1961年度から小学校、1962年度から中学校で実施されたものからである。今書いたように、指導要領は告示から実施まで時間差がある。告示されても、それに対応した教科書がないと授業できないからである。告示を受けて、教科書会社が新しい教科書を作り、文科省が検定し、各教育委員会等が採択する。こうして告示から数年後、ようやく採択翌年の新入生から、新要領に基づく教育が始まるわけである。

 学習指導要領に関しては、国立教育政策研究所のHP中にある「学習指導要領データベース 」にすべて掲載されていて、戦後教育に関する重要な情報源になっている。ところで、法的性格を帯びたのは「1958年告示」からと今書いた。ではそれ以前はどうなっていたか。「学習指導要領(試案)」となっていて、各学校の自由裁量が認められていたのである。戦前戦中のガチガチの皇国史観教育が敗戦で崩壊し、教育体制も大きく変わったわけである。1951年実施の中学校指導要領では、外国語が選択授業であり、美術ではなく図画工作、技術・家庭ではなく職業・家庭などとあって、もう誰も覚えていない戦後直後の中学の様子をうかがわせる。

 以下、中学を中心に見る。小学校、高校を全部見ると、大変すぎる。資料的な性格が強い記事だから、あまり詳しすぎてもいけない。先に書いたデータベースで調べることができるので、関心のある人はそっちで。ところで、一回目に書いたように、「年間35週」というのは変わらない。だから、土曜に授業があった時は、週に32コマの授業が入っていた。(週に2日は5時間授業とする。)そうすると、年に最大1120コマの授業が可能となる。中学3年間では総計3360コマとなる。

 最初に「総授業時間」を見る。

①1958年告示の指導要領 (道徳を除き、1962年実施)
 年間授業数は、1120コマ以上。3年間で3360コマ
②1969年告示の指導要領 (1972年実施)
 年間授業数は、1,2年が1190コマ、3年が1155コマ。3年間で3535コマ
③1977年告示の指導要領 (1981年実施)
 年間授業数は、1050コマ。3年間で3150コマ
④1989年告示の指導要領 (1992年実施)
 年間授業数は、1050コマ。3年間で3150コマ
⑤1998年告示の指導要領 (2002年実施)
 年間授業数は、980コマ。3年間で2940コマ
⑥2008年告示の指導要領 (2012年実施)
 年間授業数は、1015コマ。3年間で3045コマ

 以上の数字を見ると、昔はずいぶん勉強させられていたんだなあと思う。特に②の主に70年代の授業は、水曜を除いて6時間授業をしていたということである。数字だけ見ると、確かに2002年実施の「980」が一番少ない。だけど、このときから土曜は休日になったことを考えると、水金を除き6時間授業ということだから、常識的な数字になっている。

 何と言っても、一番目につくのは、③の時期、つまり80年代の授業である。②の時期が多すぎたとしても、①に戻すのではなく、一気に「1190」(1,2年の場合)から「1050」に減らした。140時間の減だから、週当たり4時間も授業が減ったのである。それは何故か、実際はどうだったかというのは、今後別に検討する。簡単に言えば、戦後教育史における「一番のゆとり教育」はこのときだったのである。

 ついでに、各教科の授業時間数を見ておきたいのだが、長くなるのでやめておく。あえて社会科だけについて書く。数字は上に書いた指導要領と同じ。
 ①455時間(週当たり、1年=4、2年=5、3年=4)
 ②455時間(週当たり、1年=4、2年=4、3年=5)
 ③385時間(週当たり、1年=4、2年=4、3年=3)
 ④350~385時間(週当たり、1年=4、2年=4、3年=2~3)
 ⑤295時間(週当たり、1年=3、2年=3、3年=年間80)
 ⑥350時間(週当たり、1年=3、2年=3、3年=4)

 これを見ると、「ゆとり教育」というのは、つまりは「社会科の授業を減らす」ということなんじゃないかと邪推したくなる。若い世代が、政治や経済、歴史などの「常識」を知らないと非難されるのは、「ゆとり教育」だからではなく、社会科の授業を削減した結果なのではないだろうか。もちろん、それは「政府の目論見」であり、若い世代の選挙投票率低下などで、「効果が上がった」とも言えるのだろう。
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