ここ何年か、というか正確に言えば40年以上も、「ゆとり教育」というものが推進されてきたとされている。この「ゆとり教育」は終わったと考えるべきなのだろうか。この「ゆとり教育」ほど、誤解され間違った「レッテル貼り」に利用されてきた言葉も少ないだろう。論点は多岐にわたるので、どのくらい続くか見当もつかないけど、とりあえず数回は続けて書くことになるだろう。
「終わったのか」というと、そもそも始まっていないといけない。でも、「いつから「ゆとり教育」が始まったのか」も共通理解がないだろう。というか、「ゆとり教育」なるものがあったのかという問題設定も可能である。文部省(現・文部科学省)は一度も正式には使っていない。だから、「ゆとり教育は終わった」とも言っていない。「ないもの」に始まりも終わりもないはずだが、現実には「世の中でそういわれたようなもの」はある。そして、それは「終わったらしい」のである。
2016年5月10日付で文科省から発表された、馳浩文部科学大臣(前)のメッセージは、社会的には「脱ゆとり教育宣言」と受け取られた。そのメッセージは、「教育の強靭化に向けて」と題されている。なんか「国土強靭化」みたいなネーミングだな。その中では「『ゆとり教育』か『詰め込み教育』かといった、二項対立的な議論には戻らない。」と書かれている。二項対立的議論をする必要はないけど、これは「知識と思考力をバランスよく、確実に育むという基本を踏襲し、学習内容の削減を行うことはしない。」ということに結び付いている。
「学習内容の削減はしない」と最初から大枠を決められてしまったから、小学校の新学習指導要領では「容量オーバー」になってしまっていると考えられる。授業時間が同じなら、内容を削減する必要はないけど、授業でやることを増やすなら、どこかで時間的な削減をしないとやってけない。だけど、各教科の割り当て時間数を減らすのは、実に大変である。どの教科も大切で必要だから、現に学校でやっている(はずである)。何かを増やすからどこかを減らすとなると、関係の大学や学界で大騒ぎになってしまう。(中高の教員数は授業数に応じて決まるから、体育系や芸術系の大学では、学生の進路先にも関わってくる。)だけど、朝の授業前を使わないと終わらないというのでは、これは行き過ぎというしかない。「詰め込み」どころの問題ではない。
ということで、とにかく是非はともかくとしても「ゆとり教育は終わった」というのが、一般的な見方なんだと思う。だけど、これは「現場的な感覚」とはズレている。「ゆとり教育の完成形」と思われている「2002年から実施の学習指導要領」で導入された「総合的な学習の時間」。これこそがまさに「ゆとり教育の象徴」だと学校現場では思われている。だけど、これはなくならない。なくならないことの良さもあると思うが、決してうまく行っている学校ばかりではないだろう。そして、「総合」を実施していく学校現場での苦労も、全然解消しない。
そして、今度はさらに「アクティブ・ラーニング」だという。どう考えても、これは「ゆとり教育の発展形態」である。また、絶対評価や観点別評価。そのもとにある「新学力観」も変わっていないだろう。学校外の人はほとんど聞いたことがないと思うが、「学力に対する捉え方」が20世紀末に大きく変わった。「知識・技能」中心だった従来の学力観を、「関心・意欲・態度」を重視する学力観に変えていくというのが「新学力観」である。それがどういう意味を持つかは別に検討したいが、とにかく「総合学習」や「新学力観」があるんだから、現場的には「ゆとり教育」が継続されているとも言えるのだ。
恐らく、この問題は「ゆとり教育」という言葉が独り歩きし、「イデオロギー用語」になってしまったということなんだと思う。だから、「体制は続いている」けれど、「言葉の上では終わった」とされるわけである。最近死去したウズベキスタン共和国のカリモフ大統領の場合なんかに似ているだろう。ソビエト連邦を構成したウズベク・ソビエト社会主義共和国で、カリモフはウズベキスタン共産党の第一書記を務めていた。そしてソ連が崩壊すると、ウズベキスタン共和国の初代大統領になった。そして、ずっと25年間大統領を続けてきた。ちゃんと選挙はあった。だけど、「独裁者」というのに近かった。ウズベキスタンでは、「共産党一党独裁体制」は終わったのか。もちろん終わっているのである。カリモフも、その後継者も選挙をしないと選ばれない。だけど、社会的には「事実上、独裁体制が続いている」。
それは何故だろうか。どうして「ゆとり教育」が「悪いもの」「失敗したもの」とされたのだろうか。いや、成功したという人もいるし、その内容の理解にも共通性がない。それなのに、なぜ「ゆとり教育体制」は続いているのか。これは多くの人に「大きな勘違い」があるということだろう。それは「ゆとり教育」は「学習内容を削減した」から、「できない子のためになった」といった理解である。これは次回以後に詳しく書くが、まったく間違いで、「ゆとり教育」の理念から、学校選択制、中高一貫校、小中一貫校などが導き出されたのである。むしろ「エリート教育」を進める枠組み作りこそ、「ゆとり教育」だったと考えられる。今さら学校選択制や中高一貫校を廃止して、すべての児童・生徒を地域の学校で教育し、「相対評価」するという時代には戻せないのだろう。
かつて、都教委では「ジェンダーフリー」という言葉が「禁句」にされたことがある。その時の議論を聞くと、どうも何も理解していないのではないかと思ったが、とにかく「ジェンダーフリー思想」なる「危険思想」が教育現場に持ち込まれ、過激なイデオロギー教育が行われていると思い込んだ教育委員がいっぱいいたのである。七生養護学校事件などの「性教育弾圧事件」が起きたころである。とにかく、その時には「ジェンダーフリー思想に基づく男女混合名簿」を禁止するという理解不能の通達が出たものである。当時の勤務先でも男女混合名簿だったのだが、校長は「本校はジェンダーフリー思想に基づくものではないから、従来通り」と言って、それで終わりだった。まあ、学校現場などそんなものなのだ。要するに、これからも今までと同じなんだけど、「ゆとり教育」と言ってはいけないのである。危険なイデオロギー用語に認定されたから。まあ、そういうことだと思う。
「終わったのか」というと、そもそも始まっていないといけない。でも、「いつから「ゆとり教育」が始まったのか」も共通理解がないだろう。というか、「ゆとり教育」なるものがあったのかという問題設定も可能である。文部省(現・文部科学省)は一度も正式には使っていない。だから、「ゆとり教育は終わった」とも言っていない。「ないもの」に始まりも終わりもないはずだが、現実には「世の中でそういわれたようなもの」はある。そして、それは「終わったらしい」のである。
2016年5月10日付で文科省から発表された、馳浩文部科学大臣(前)のメッセージは、社会的には「脱ゆとり教育宣言」と受け取られた。そのメッセージは、「教育の強靭化に向けて」と題されている。なんか「国土強靭化」みたいなネーミングだな。その中では「『ゆとり教育』か『詰め込み教育』かといった、二項対立的な議論には戻らない。」と書かれている。二項対立的議論をする必要はないけど、これは「知識と思考力をバランスよく、確実に育むという基本を踏襲し、学習内容の削減を行うことはしない。」ということに結び付いている。
「学習内容の削減はしない」と最初から大枠を決められてしまったから、小学校の新学習指導要領では「容量オーバー」になってしまっていると考えられる。授業時間が同じなら、内容を削減する必要はないけど、授業でやることを増やすなら、どこかで時間的な削減をしないとやってけない。だけど、各教科の割り当て時間数を減らすのは、実に大変である。どの教科も大切で必要だから、現に学校でやっている(はずである)。何かを増やすからどこかを減らすとなると、関係の大学や学界で大騒ぎになってしまう。(中高の教員数は授業数に応じて決まるから、体育系や芸術系の大学では、学生の進路先にも関わってくる。)だけど、朝の授業前を使わないと終わらないというのでは、これは行き過ぎというしかない。「詰め込み」どころの問題ではない。
ということで、とにかく是非はともかくとしても「ゆとり教育は終わった」というのが、一般的な見方なんだと思う。だけど、これは「現場的な感覚」とはズレている。「ゆとり教育の完成形」と思われている「2002年から実施の学習指導要領」で導入された「総合的な学習の時間」。これこそがまさに「ゆとり教育の象徴」だと学校現場では思われている。だけど、これはなくならない。なくならないことの良さもあると思うが、決してうまく行っている学校ばかりではないだろう。そして、「総合」を実施していく学校現場での苦労も、全然解消しない。
そして、今度はさらに「アクティブ・ラーニング」だという。どう考えても、これは「ゆとり教育の発展形態」である。また、絶対評価や観点別評価。そのもとにある「新学力観」も変わっていないだろう。学校外の人はほとんど聞いたことがないと思うが、「学力に対する捉え方」が20世紀末に大きく変わった。「知識・技能」中心だった従来の学力観を、「関心・意欲・態度」を重視する学力観に変えていくというのが「新学力観」である。それがどういう意味を持つかは別に検討したいが、とにかく「総合学習」や「新学力観」があるんだから、現場的には「ゆとり教育」が継続されているとも言えるのだ。
恐らく、この問題は「ゆとり教育」という言葉が独り歩きし、「イデオロギー用語」になってしまったということなんだと思う。だから、「体制は続いている」けれど、「言葉の上では終わった」とされるわけである。最近死去したウズベキスタン共和国のカリモフ大統領の場合なんかに似ているだろう。ソビエト連邦を構成したウズベク・ソビエト社会主義共和国で、カリモフはウズベキスタン共産党の第一書記を務めていた。そしてソ連が崩壊すると、ウズベキスタン共和国の初代大統領になった。そして、ずっと25年間大統領を続けてきた。ちゃんと選挙はあった。だけど、「独裁者」というのに近かった。ウズベキスタンでは、「共産党一党独裁体制」は終わったのか。もちろん終わっているのである。カリモフも、その後継者も選挙をしないと選ばれない。だけど、社会的には「事実上、独裁体制が続いている」。
それは何故だろうか。どうして「ゆとり教育」が「悪いもの」「失敗したもの」とされたのだろうか。いや、成功したという人もいるし、その内容の理解にも共通性がない。それなのに、なぜ「ゆとり教育体制」は続いているのか。これは多くの人に「大きな勘違い」があるということだろう。それは「ゆとり教育」は「学習内容を削減した」から、「できない子のためになった」といった理解である。これは次回以後に詳しく書くが、まったく間違いで、「ゆとり教育」の理念から、学校選択制、中高一貫校、小中一貫校などが導き出されたのである。むしろ「エリート教育」を進める枠組み作りこそ、「ゆとり教育」だったと考えられる。今さら学校選択制や中高一貫校を廃止して、すべての児童・生徒を地域の学校で教育し、「相対評価」するという時代には戻せないのだろう。
かつて、都教委では「ジェンダーフリー」という言葉が「禁句」にされたことがある。その時の議論を聞くと、どうも何も理解していないのではないかと思ったが、とにかく「ジェンダーフリー思想」なる「危険思想」が教育現場に持ち込まれ、過激なイデオロギー教育が行われていると思い込んだ教育委員がいっぱいいたのである。七生養護学校事件などの「性教育弾圧事件」が起きたころである。とにかく、その時には「ジェンダーフリー思想に基づく男女混合名簿」を禁止するという理解不能の通達が出たものである。当時の勤務先でも男女混合名簿だったのだが、校長は「本校はジェンダーフリー思想に基づくものではないから、従来通り」と言って、それで終わりだった。まあ、学校現場などそんなものなのだ。要するに、これからも今までと同じなんだけど、「ゆとり教育」と言ってはいけないのである。危険なイデオロギー用語に認定されたから。まあ、そういうことだと思う。