今までに書いた別役実、宮城まり子、志村けんに続き、その分野に興味関心が高い芸能界関係の人を映画を中心に。まず、スウェーデン出身で世界で活躍した俳優、マックス・フォン・シドー(Max von Sydow)。3月8日没、90歳。若い頃から「老け役」だった。まだ90歳だったかという印象がある。
(マックス・フォン・シドー)
マックス・フォン・シドーと言えば「エクソシスト」だ、いや「スターウォーズ」だと言う人がいるけど、やはり「ベルイマン映画」だろうと思う。50年代末から60年代に書けて、スウェーデンの名監督イングマール・ベルイマンの傑作に連続して出演して世界を驚かせた。「処女の泉」の父親役も忘れがたいが、設定のトンデモぶりが際立つ「第七の封印」の死に神とチェスをする騎士は圧倒的だ。
(「第七の封印」)
1965年の「偉大な生涯の物語」でハリウッドに進出、1973年に大ヒットしたホラー映画「エクソシスト」のメリン神父役で世界に知られた。「悪魔払い」をテーマにした強烈な作品で、70年代初期の暗いムードを反映している。その後はたくさんの名作にいっぱい出ている。カンヌ映画祭パルムドール受賞作「ペレ」でアカデミー賞主演男優賞にノミネート。フランス市民権を獲得していた。
(「エクソシスト」)
映画評論家の松田政男が死去。3月17日、87歳。「映画評論家」というより、「政治運動家」だったのかもしれない。キネマ旬報のベストテン投票などを見ていて、案外鋭く、また僕も納得できるような投票が多かった。確かに「政治的投票」でゴダールや若松プロを高得点にすることも多かったけれど。大島渚の傑作「絞死刑」に検察事務官役で出ている。また「風景論」を唱えて、永山則夫事件の起きた現場を撮り続けた「略称・連続射殺魔」を製作した。これは1975年に公開されたが、面白くないけど「問題作」である。1974年に「赤軍-PFLP・世界戦争宣言」をフランスで上映運動中に国外追放された。著書に「テロルの回路」「風景の死滅」など。読んでないけど、70年代には一定の影響力があった。
(松田政男)
映画監督の佐々部清が死去、3月31日没、62歳。これはビックリした。山口県下関市出身で、よく故郷の映画を撮っていた。次回作の準備のため滞在中の下関のホテルで死亡しているのを発見された。心疾患だという。代表作として「半落ち」や「ツレがうつになりまして」などが取り上げられるが、キネ旬ベストテンに入ったのは「チルソクの夏」(2004)と「夕凪の街 桜の国」(2007)である。前者は70年代の「関釜陸上競技大会」で活躍した高校生の淡い交友を描く感動作。僕は大好きな映画で、定時制高校の校内映画鑑賞会で見せた思い出がある。後者は「この世界の片隅に」のこうの史代のマンガの実写映画化。田中麗奈が素晴らしく、どっちもどこかで見る機会があるといいなと思う。ここでは「東京難民」と「八重子のハミング」を取り上げた。社会派というより、「人間派」というべき素直なヒューマニズムの発露で、常識的な映画作りだが心に触れるものがある。遺作は「この道」。
(佐々部清)
映画撮影監督の仙元誠三(せんげん・せいぞう)が3月1日に死去、81歳。松竹に入社して、退社後に「新宿泥棒日記」や「書を捨てよ町へ出よう」に参加。70年代後半に松田優作主演の「最も危険な遊戯」など遊戯シリーズで注目された。その後の松田優作映画、「蘇える金狼」「野獣死すべし」「ヨコハマBJブルース」「探偵物語」なども担当した。傑作「Wの悲劇」も担当している。テレビでも「大都会」「西部警察」などを担当したから、名前を知らずに見ていた人がたくさんいるはず。こうしてみると、現代日本のアクション映像に多大な影響を与えているんじゃないかと思う。
(仙元誠三)
元宝塚歌劇団のトップスター、真帆志ぶきが9日死去、87歳。僕は宝塚のことはほとんど知らない。朝丘雪路と同期だと言うから、ずいぶん昔のことだ。50年代、60年代のスターで、1962年から1970年まで8年間も雪組トップを務めた。その時の相手役は加茂さくらだった。1975年に退団し、以後もミュージカルなどに出演した。実力も人気もあったスターだったという。
(真帆しぶき)
・声優の増岡弘が21日に死去、83歳。サザエさんの「マスオ」役を1978年から41年務めた。
・堀川とんこう(本名堀川敦厚=あつひろ)が28日死去、82歳。TBSで「岸辺のアルバム」などを演出した。松本清張原作の「西郷札」などでも評価された。映画「千年の恋 ひかる源氏物語」の監督。
(マックス・フォン・シドー)
マックス・フォン・シドーと言えば「エクソシスト」だ、いや「スターウォーズ」だと言う人がいるけど、やはり「ベルイマン映画」だろうと思う。50年代末から60年代に書けて、スウェーデンの名監督イングマール・ベルイマンの傑作に連続して出演して世界を驚かせた。「処女の泉」の父親役も忘れがたいが、設定のトンデモぶりが際立つ「第七の封印」の死に神とチェスをする騎士は圧倒的だ。
(「第七の封印」)
1965年の「偉大な生涯の物語」でハリウッドに進出、1973年に大ヒットしたホラー映画「エクソシスト」のメリン神父役で世界に知られた。「悪魔払い」をテーマにした強烈な作品で、70年代初期の暗いムードを反映している。その後はたくさんの名作にいっぱい出ている。カンヌ映画祭パルムドール受賞作「ペレ」でアカデミー賞主演男優賞にノミネート。フランス市民権を獲得していた。
(「エクソシスト」)
映画評論家の松田政男が死去。3月17日、87歳。「映画評論家」というより、「政治運動家」だったのかもしれない。キネマ旬報のベストテン投票などを見ていて、案外鋭く、また僕も納得できるような投票が多かった。確かに「政治的投票」でゴダールや若松プロを高得点にすることも多かったけれど。大島渚の傑作「絞死刑」に検察事務官役で出ている。また「風景論」を唱えて、永山則夫事件の起きた現場を撮り続けた「略称・連続射殺魔」を製作した。これは1975年に公開されたが、面白くないけど「問題作」である。1974年に「赤軍-PFLP・世界戦争宣言」をフランスで上映運動中に国外追放された。著書に「テロルの回路」「風景の死滅」など。読んでないけど、70年代には一定の影響力があった。
(松田政男)
映画監督の佐々部清が死去、3月31日没、62歳。これはビックリした。山口県下関市出身で、よく故郷の映画を撮っていた。次回作の準備のため滞在中の下関のホテルで死亡しているのを発見された。心疾患だという。代表作として「半落ち」や「ツレがうつになりまして」などが取り上げられるが、キネ旬ベストテンに入ったのは「チルソクの夏」(2004)と「夕凪の街 桜の国」(2007)である。前者は70年代の「関釜陸上競技大会」で活躍した高校生の淡い交友を描く感動作。僕は大好きな映画で、定時制高校の校内映画鑑賞会で見せた思い出がある。後者は「この世界の片隅に」のこうの史代のマンガの実写映画化。田中麗奈が素晴らしく、どっちもどこかで見る機会があるといいなと思う。ここでは「東京難民」と「八重子のハミング」を取り上げた。社会派というより、「人間派」というべき素直なヒューマニズムの発露で、常識的な映画作りだが心に触れるものがある。遺作は「この道」。
(佐々部清)
映画撮影監督の仙元誠三(せんげん・せいぞう)が3月1日に死去、81歳。松竹に入社して、退社後に「新宿泥棒日記」や「書を捨てよ町へ出よう」に参加。70年代後半に松田優作主演の「最も危険な遊戯」など遊戯シリーズで注目された。その後の松田優作映画、「蘇える金狼」「野獣死すべし」「ヨコハマBJブルース」「探偵物語」なども担当した。傑作「Wの悲劇」も担当している。テレビでも「大都会」「西部警察」などを担当したから、名前を知らずに見ていた人がたくさんいるはず。こうしてみると、現代日本のアクション映像に多大な影響を与えているんじゃないかと思う。
(仙元誠三)
元宝塚歌劇団のトップスター、真帆志ぶきが9日死去、87歳。僕は宝塚のことはほとんど知らない。朝丘雪路と同期だと言うから、ずいぶん昔のことだ。50年代、60年代のスターで、1962年から1970年まで8年間も雪組トップを務めた。その時の相手役は加茂さくらだった。1975年に退団し、以後もミュージカルなどに出演した。実力も人気もあったスターだったという。
(真帆しぶき)
・声優の増岡弘が21日に死去、83歳。サザエさんの「マスオ」役を1978年から41年務めた。
・堀川とんこう(本名堀川敦厚=あつひろ)が28日死去、82歳。TBSで「岸辺のアルバム」などを演出した。松本清張原作の「西郷札」などでも評価された。映画「千年の恋 ひかる源氏物語」の監督。