尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

多和田葉子の「ベルリン通信」よりー新型コロナウイルス問題

2020年04月15日 21時03分16秒 |  〃 (新型コロナウイルス問題)
 最近世界的に評価が高くなっているベルリン在住の作家、多和田葉子に関して昨年二つの記事を書いた。「多和田葉子、高瀬アキの「晩秋のカバレット2019」」と「多和田葉子の小説を読む」である。その多和田葉子は時々朝日新聞に「ベルリン通信」という文章を書いている。4月14日付で掲載された記事はとても教えられることが多かったので、抜粋して紹介してみたい。
(多和田葉子)
 それは「理性へ 彼女は静かに訴える」と題されている。彼女とはアンゲラ・メルケル首相のことである。表題は本人が付けたものかどうか判らないけれど、新型コロナウイルス問題に揺れるドイツの状況を冷静にリポートして考えさせるところが多い。まず「飲食店も文化施設もすべて閉まっている今の生活は異常事態だ。家にこもっているせいか時間の流れが滞り、もう何か月もこの状態がつづいているような錯覚が時々起こる。」とある。

 そして、日本が夏に五輪を実施する気でいた頃、すでにドイツは「感染の広まる速度を遅らせることに重点を当てた対策が取られ始めた。」「(イタリアなどと)同じ失敗を繰り返さないためには社会生活を規制するしかない」「ドイツ人の甘えのない現実主義に感心してしまった。」というのである。

 「もう一つ感心したのは「高齢者や病人などの弱者を守る」という目標が常に強調されていたことだった。症状が重くなるのは主に高齢者だったので、若くて健康な人ならば軽い症状だけで済むと信じられていたせいか、三月下旬になってもまだベルリンの若者の多くはパーティに明け暮れていた。(中略)「弱者のために」という呼びかけにベルリンの若い人たちも徐々に応じ始めた。ドイツ人は個人の行動の自由を規制されることには敏感だが、メディアを通して短期間に集中的に議論が交わされ、情報が行き渡ったおかげか、みんなが納得するスピードがほぼ一致していた。(中略)コロナ危機が去った後に民主主義感覚が麻痺しているのでは困る。独裁政治は時にウイルス以上に多くの死者を出す。」

 「ライブハウスもジャズ喫茶もこのままでは潰れてしまう。個人経営のヨガ教室も理髪店も同じ心配を始めた。その不安に答えるように、国の予算が赤字になるのは承知の上で補助金を出す、とメルケル首相が発表した。零細企業は雇用者に払う給料の一部と家賃を肩代わりしてもらえる。フリーの俳優、演奏家、朗読会の謝礼を主な収入源にしている作家などは、蓄えがなくなって生活が苦しくなった場合は申請すればすぐに九千ユーロの補助金をもらえる、と書かれた手紙が組合から来た。わたし自身は補助金をもらう気はないが、文化が大切にされていることを実感するだけで気持ちが明るくなった。」

 「興味深いのは、ポピュリストたちが大幅に支持者を失ったことだ。彼らは以前、移民こそが国を蝕むウイルスであるかのような演説を行ってきたが、本物のウイルスが発生した今、ウイルスの危険性を否定するだけで現実的な対応のできない極右政党は支持者数を減らしている。(中略)今度の危機では住宅環境に恵まれない難民などを守ろうという雰囲気がベルリン全体に広がっている。」

 「テレビを通して視聴者に語りかけるメルケル首相には、国民を駆り立てるカリスマ性のようなものはほとんど感じられない。世界の政治家にナルシストが増え続ける中、貴重な存在だと思う。新たに生じた重い課題を背負い、深い疲れを感じさせる顔で、残力をふりしぼり、理性の最大公約数に語りかけていた。」 多和田葉子の書くメルケル首相のふるまいには、何か非常に深い大切なことがあると思う。世界に増える「ナルシスト政治家」とは誰と誰と誰…を指すだろう。

 全文は検索すれば朝日新聞の有料記事サイトで読める。(無料登録可能。)この「ベルリン通信」を読むと、文化を守るために即効的な対策がすぐに取られるドイツの状況が信じられないぐらい新鮮に見える。日本にいるだけでは、日本の異常さが判らない。それとウイルス対策としての外出自粛などは、「弱者のために」という社会連帯が強調されていることも印象的だ。これが日本には乏しい。「危険だから身を守れ」ということだけを強調するから、何と医療従事者に差別が生じ、心ない言葉をかける人までいるという見下げ果てた社会になっている。

 理性的に語りかけるのではなく、危機をあおりたてるような政治家ばかり見てきたから、今さら「連帯」などと言われても誰も信用しないかもしれない。安易に戦後の日独を比較するのは意味がないと思っているが、それにしても日本とドイツの戦後の歩みを感慨深く思い返すしかない。単に新型コロナウイルスの問題ではなく、戦争責任に目を閉ざし、「自己責任」と言い続けてきたことの帰結がここにある。(引用中のゴチック部分は引用者による。)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする