尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

マンゾーニ「いいなづけ」を読む

2020年04月12日 23時02分16秒 | 〃 (外国文学)
 アレッサンドロ・マンゾーニ(1785~1873)の上中下3巻の超大作「いいなづけ」を読んだ。今回の新型コロナウイルス蔓延でイタリアの学校も休校となったとき、ミラノの高校の校長先生が感動的な呼びかけを投稿した。その中で、家での読書を勧めて「いいなづけ」の名前を挙げていた。その本は持っているじゃないか。日本では長いこと読みやすい翻訳がなく知名度が低かったが、1989年に平川祐弘訳が刊行され高く評価された。2006年に河出文庫に収録された時に買っていたのである。
(上巻=470頁)
 ということで、この機会に自分も読んでみようと3月末から取り掛かったが、さすがに長かった。この作品は「イタリア文学の最高峰」と呼ばれているらしい。1827年に刊行された当時は、まだイタリア王国の統一(1860年)前で、イタリア統一運動(リソルジメント)を文化面で支えた作品とされ、イタリアではダンテ「神曲」と並ぶ作品とされているという。特にミラノ周辺の地形や風景描写が印象的で、コモ湖近くの村から始まる物語によって北イタリアの社会をよく感じ取ることが出来る。また下巻で詳細に描かれるミラノを襲ったペストの悲劇を通して疫病の下で生きる人々のようすを感じ取ることが出来る。
(マンゾーニ)
 マンゾーニはミラノの伯爵家の出身で、母はイタリアの啓蒙思想家ベッカーリアの娘だった。ベッカーリアは「犯罪と刑罰」を書いて世界で初めて拷問と死刑の廃止を訴えた人物である。20歳の時に母とパリに行き啓蒙思想に触れたが、結婚とともにカトリックになった。「いいなづけ」も信仰の証明みたいな本である。イタリア王国成立後に上院議員になったが、文学者としては大著「いいなづけ」完成で燃え尽きたのか、その後は活躍していない。19世紀西欧ではフランス、イギリス、ロシアなどで大河小説が書かれた。「いいなづけ」はそれらに先立つ「国民文学」と言うべき作品で、時代的に早いせいか、勧善懲悪的な一大ロマンになっている。その点、不満を持つ人もいると思う。

 1628年11月7日が物語の起点である。コモ湖畔の村レッコの司祭アッポンディオは翌日に予定されていたレンツォルチーアの結婚式を挙げないようにとならず者二人に脅迫される。この二人は地区の領主ドン・ロドリーゴの手下で、彼は道でルチーアを見初めて、悪友の従兄弟とルチーアを落とせるか賭けをしていたのである。こうして、何の罪もない若い二人に突然災難が降りかかった。この村の司祭というのが傑作で、神の名の下に弱きを助けるような人物ではなくて、つねに世の大勢をうかがい強きに付く小心者である。こういう人物は結構世の中に多いと思う。一読忘れられない性格描写だ。
(中巻=457頁)
 二人は結婚式を強行しようとするが失敗、領主は手下を使って誘拐を企む中、唯一味方になってくれるのがカプチン修道会のクリストーフォロ神父。神父の配慮で修道院にバラバラに隠れることになるが、レンツォはスペイン支配下のミラノでパン暴動に巻き込まれる。そこまでが上巻で、続いてレンツォがミラノでお尋ね者とされ、アッダ川を越えてからくも逃げのびベルガモ(当時はヴェネツィア共和国領で他国だった)の従兄弟のもとへ。一方、ルチーアは匿われる修道院から誘拐されてしまうが、その事情はいかに。そして誘拐した人物の苦悩と回心…。
(下巻=457頁。物語だけでは380頁)
 そこに攻めてくるドイツ軍(神聖ローマ帝国軍)、それに連れてはやり出すペストの猛威。果たして二人は生き延びられるか。再会して結ばれる日は来るのだろうか。という次第なんだけど、途中の脇道がえらく多い。いろんな人物の生涯が語られる。そもそもこれは作者の創作ではなく、無名の人物の草稿を発見したものだと最初に出ている。もちろんそうじゃなくて、そういう体裁の小説ということである。書かれた当時のミラノはオーストリア(ハプスブルク家)の支配下にあり、スペイン支配時代を描くにも細心の注意が必要だったんだろう。

 メルヴィルの「白鯨」が主筋を離れてクジラ百科のような描写が続くのと同様に、「いいなづけ」も主人公を離れてミラノの歴史を語り続ける。その結果、下巻の半分近いペストの描写がすごい。病気もだが、ペストを認めず、これは「陰謀だ」と敵を見つけようとする有力者たち。差別と偏見が、確かに病原菌の存在を知らなかった時代だとしても、町を破壊す尽くす様が描かれている。そんな中で修道士たちの身を捧げた奉仕ぶりも印象的だ。物語としては、途中で水戸黄門になってしまい、最後の方はグレアム・グリーンの「情事の終わり」みたい。近代小説としては確かに弱いなと思う。

 一大講談という感じで神田伯山に連続講談に仕立てて欲しいぐらい。長いけど面白いことは面白い。バルザックやユゴーというよりアレクサンドル・デュマか。言語的に近代イタリア語を確立したと言われる点で、日本では三遊亭圓朝の「牡丹灯籠」なんかの文学史的位置に近いかも。日本人は他にまず読むべき本は多いだろう。日本人が全員読まなくてもいいと思ったけど、ミラノの校長先生が勧める理由は納得できた。家で時間がある時期にしか読めないからチャレンジする価値はある。
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