尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

加藤青延「目撃 天安門事件」を読む

2020年07月06日 22時28分38秒 |  〃  (国際問題)
 加藤青延(はるのぶ)「目撃 天安門事件 歴史的民主化運動の真相」(POPエディターズ・グループ、1300円)は、非常に重要な本である。考えさせられるとともに、こう言っては何だけど、まるでミステリーのように面白い本。著者の加藤氏はNHK専門解説委員で、香港支局長、北京支局長、中国総局長、解説主幹などを歴任した。1989年の事件当時は香港特派員だったが、ちょうど胡耀邦が死去した日に北京に派遣され、そのまま事件の目撃者となった。当時の取材をもとに、その後の内部資料などを駆使して、事件の真相をまとめたのがこの本である。

 事件当時、中国共産党総書記だった趙紫陽は、対応が批判されて失脚し長く軟禁された。事件後は一度も公的な場に姿を現すことなく2005年に85歳で亡くなった。しかし存命中に秘かに回想録を書いていて、中国の民主化を求める構想をまとめていたのである。それが細心の注意を払って香港に持ち出され出版された。『趙紫陽 極秘回想録』は日本語訳も出ていて、僕も読んでいる。また当時の首相で保守派の中心だった李鵬の日記や党内文書など、様々な資料も利用している。両者を合わせて検討することで見えてくるものがある。

 その当時、「共産党の最高責任者」は、名目上の最高位者(趙紫陽総書記)や国家元首にあたる楊尚昆国家主席ではなく、共産党中央軍事委員会主席の肩書きのみを持つ鄧小平だった。この本を読むと、総書記といえども「捨て駒」にしか過ぎなかったことがよく判る。2年前に前任の胡耀邦が学生運動に寛容だとして解任された後、首相だった趙紫陽が昇格した。しかし、鄧小平は党長老や保守派と改革派のバランスを取りながら、趙紫陽を翻弄する。鄧小平の支持を信じながら、裏切られてゆく趙紫陽が印象的だ。
(天安門広場の「民主の女神」)
 この本では「党内抗争」の分析が多い。中国の場合やはり共産党内部の抗争が大きいのである。胡耀邦は失脚後もヒラの中央委員として残されたが、これ以上胡耀邦の地位を危なくしないため、学生側も自重してきた。4月15日に胡耀邦が死去し、党内の会議で腐敗を鋭く追及していた時に倒れたと伝えられた。(それは誤伝だったが。)そのことで学生側のタガが外れることになった。学生運動が激しくなる中、趙紫陽は予定されていた北朝鮮訪問に出かけた。その間に学生運動を「動乱」と決めつけた党機関誌「人民日報」社説が発表された。

 中国だけでなく、独裁国家では指導者の国外訪問中に「謀略」が企まれることが多い。この時も趙紫陽には事前に相談はなく、後から追認するしかなかった。その後情勢のまき直しが可能だと信じ、アジア開発銀行総会の演説で反撃する。その後の経緯を細かく追うのは省略するが、趙紫陽はやがて鄧小平により切り捨てられたことに気付くしかなかった。それでも当時30年ぶりとなるソ連最高首脳の中国訪問が控えていた。中ソの共産党は、一時は蜜月だったが60年代以後は鋭く対立してきた。ゴルバチョフの登場で関係が改善されたが、ペレストロイカを進めるゴルバチョフ訪問を前に学生運動を武力で弾圧することは出来なかった。

 ゴルバチョフとの会談で、趙紫陽は「重大問題では鄧小平に指導を仰ぐという中央委員会決議がある」と発言した。これは内容的には世界中の人が知っていたことだが、秘密決議だったことで「国家機密を暴露した」と後に失脚の理由とされた。中ソ共産党の最高首脳会談であるはずが、実は中国の最高指導者は自分ではないと言ったのは何故なのか。すでに失脚を覚悟した趙紫陽の「自爆」だったと著者は見ている。僕も昔からそう思っている。失脚間近の趙紫陽は天安門広場の学生を深夜に訪問した。趙紫陽の最後の公的な場となった訪問を、天安門広場に残って取材していた著者は目撃することになった。世界的スクープだという。
(「戦車男」)
 中国共産党の「宣伝工作」はなかなか手が込んでいる。戦車に立ちふさがった「戦車男」は「自作自演」の可能性が高いという推測は納得できる。ゴルバチョフ訪中後も外国メディアは残って学生運動を取材していた。しかし戒厳令発令と共に、天安門東方の「北京飯店」を拠点に取材するしか出来なくなってきた。そんな中で、武力行使を前にして天安門に向かう戦車に対し、市民・学生が抵抗しても兵士は一切手向かいしない映像が外国メディアに流れた。実は外国メディアに見えるところで無抵抗を続ける間に、裏の方から広場に兵士を集結させていたという。

 「戦車男」は今では何だか天安門広場制圧に向かう戦車を停めたように思い込んでしまっているが、実は制圧後の6日の出来事だという。しかも天安門広場へ向かう戦車ではなく、撤退する戦車だった。それが外国メディアが陣取る目の前で停められた。戦車は横へずれて進めばいいだけなのに、しばらく停まっている。撤退する戦車を停めても意味がないし、わざわざ取材しやすい地点で起きた。これは謀略の宣伝だというのは、納得できる結論だと思う。香港で出版された本の存在がないと、この本は書けない。今後このような分析が不可能になる恐れを感じた。30年経って当時のことを知らない若い世代も多いだろう。中国現代史を知るための必読書。
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「千と千尋の神隠し」のアニミズムー宮崎駿を見る③

2020年07月06日 17時07分54秒 |  〃  (旧作日本映画)
 宮崎駿監督の「千と千尋の神隠し」は、2001年7月20日に公開され爆発的に大ヒットした。日本映画史上最高の興収額308億円を記録している。(2位の「君の名は。」は250億円。)興収ベストテンで宮崎作品が半数の5作品を占めている。観客動員数でも、2352万人で歴代1位である。(2位は「アナと雪の女王」。)作品的な評価も高く、ベルリン映画祭グランプリアカデミー賞長編アニメーション映画賞を受賞するなど、世界的に評価が高かった。

 それも納得の素晴らしい出来映えで、「千と千尋の神隠し」は宮崎駿監督の最高傑作だろう。アニメーション技術が非常に高く、経費も時間も掛けられるようになったスタジオジブリの最高の達成である。もともと子どもを意識した企画だったこともあり、適度なセンチメンタリズムが見る者の心に響く。「トンネルの向こう」あるいは「橋の向こう」に「異界」があるという、ファンタジー映画の定番設定だが、誰の夢にも出てくるような懐かしさに満ちている。

 「異界」に迷い込んだ親子のうち、両親はなんと豚に変えられてしまい、少女がその呪いを解くために闘うのである。ファンタジー的にはよくある成り行きだけど、傑作なのは迷い込んだ先の「油屋」という湯屋だ。ここは「八百万の神様」が疲れを癒やしにくるところなのである。訳が判らない設定だけど、日本の夏の高温多湿を知っていれば、神様だってお風呂に入りたいよねえと納得してしまう。そして少女「荻野千尋」は魔女の「湯婆婆」(ゆばーば)に名前を奪われて「」という名になって支配されてしまう。

 千は何故か助けてくれる「ハク」の協力で、湯屋で働くようになる。そして不思議な成り行きで、ハクが奪ってきたハンコ(魔女の契約印)を湯婆婆の双子の姉である銭婆(ぜにーば)に返しに行く。水の中の鉄道を行く場面は最高にロマンティックで情感にあふれていると思う。そして戻ってきて、「ハク」の本当の名前を突然思い出す。謎の少年にして、蛇の化身である「ハク」は、千尋が幼いときに落ちたことがあるコハク川の神様、「 饒速水小白主」(にぎはやみこはくぬし)だったのである。何だか全然判らないけど、感覚的に通じるものがある。

 それはアニミズム的な感覚だろう。すべてのものに神が宿るという自然崇拝的な世界観である。「八百万の神」という発想は、そもそも多神教の文化だ。「もののけ姫」にも、そのような自然崇拝的な感性が見られたが、「千と千尋の神隠し」は子ども向けという枠を超えてアニミズム讃歌を繰り広げている。一神教文化の国でも受け入れられたのを見ると、世界の人々の心の奥には自然崇拝的な心性が残されているんだろう。

 あまり図式的に理解する必要もないと思うけれど、「」は「荻野千尋」の漢字表記を分解されてしまうことで支配される。日本では中国から「文明」を受け入れて、名前も中国の文字を幾つか組み合わせて作るのが普通である。アニミズムの世界に「文明」がやってきて、名前を通して支配される。そのような歴史を象徴するような感じがする。主な舞台となる「油屋」は、地下にボイラー室があって各室に湯を供給している。その様子は一種のお城的だけど、今までの作品にある「都市国家」とまでは言えない。細部に至るまで「日本的な感覚」で作られた作品だと思う。

 なお、最初に両親は「つぶれたテーマパーク」かと思って廃墟の街に入り込む。かつてバブル時代にあちこちに作られたテーマパークは、20世紀末からどんどん潰れていった。実際に日本のあちこちに、潰れた観光施設や温泉旅館、リゾートホテルの廃墟が存在する。自由に入り込めるところは基本的にはないけど、外から見ると時間の流れ、諸行無常を感じるものだ。そんな場所が「異界」に通じているという感覚は多くの人に通じると思う。
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