いつまで決着しない米大統領選は置いといて、10月の訃報のまとめ。最初は10月末に飛び込んできたショーン・コネリーの訃報である。はっきり発表されていないが、10月30日か31日没、90歳没。もう90だったのか。多くのマスコミは「007シリーズ」の初代ジェームズ・ボンド役だったと報じた。でも、記事を書いた記者も現役では知らないはずだ。僕も同時代的には80年代以後の「渋い俳優」のコネリーしか知らない。それは大変魅力的だった。それでも多くの人は「ボンドのコネリー」と思っていたと思う。それが訃報の報じられ方でも判る。
(「アンタッチャブル」でアカデミー賞助演男優賞を獲得)
ショーン・コネリーは1962年に「007シリーズ」の第1作「007 ドクター・ノオ」の主演して世界的に人気を得た。30歳である。第5作の「007は二度死ぬ」(1967、日本ロケしたことで有名)で一端退き、次の「女王陛下の007」(1969)ではジョージ・レーゼンビーに代わった。しかし評判が今ひとつで1971年の「007 ダイヤモンドは永遠に」は再びコネリーが主演した。その後、1983年の「ネバーセイ・ネバーアゲイン」でもボンドを演じたが、これは007シリーズを製作しているイオンプロではないので、ノン・シリーズ扱いとなっている。ボンド俳優は6人いるが、ロジャー・ムーアや今のダニエル・クレイグを超えて、やはり一番有名なのはショーン・コネリーだろう。
(ボンド役のコネリー)
僕は007シリーズをそんなに見ているわけじゃなくて、以上のことは今検索して調べたのである。便利なものだ。その後、「オリエント急行殺人事件」や「風とライオン」(モロッコの首長役)などで活躍しているが、なんと言っても1986年の「薔薇の名前」が素晴らしかった。世界的ベストセラーの映画化を支えた渋い演技が圧倒的。それは1987年の「アンタッチャブル」で最高の達成を見たと思う。その路線で「インディ・ジョーンズ/最後の聖戦」や「レッド・オクトーバーを追え」などで活躍した。そして段々姿を見なくなり、2006年に引退を表明した。
スコットランドのエディンバラ生まれで、スコットランド生まれに誇りを持っていて、アクセントを直さないことをボンド役出演の条件にしたという。そのため、後になってボンドはスコットランド生まれということになったのだという。その他の役でも同じようなことがあったというから、すごいものだ。僕の若い頃に「憧れる中高年」を演じていたのだが、「アンタッチャブル」は57歳だった。いつの間にか自分の方がその年齢を超えているではないか。時間の流れに驚くしかない。
ファッションデザイナーの高田賢三が4日にパリで死去、81歳。死因は新型コロナウイルス感染症だった。1939年に姫路で生まれ、文化服装学院でコシノ・ジュンコらの「花の9期生」だった。1960年に装苑賞、1965年にフランスに渡り、1970年に独立。フランス文化相が追悼声明を出したが、「パリで最初に頭角を現した日本人」と呼んだ。また「文化の結合が特徴だった」という。高級既製服の草分けで、「西洋と東洋の融合」と評された。というんだけど、もちろん名前は知っていたけど、全然中味は知らなかったなあと思う。
(2016年、レジオンドヌール勲章を受章した高田賢三)
ロックバンド「ヴァン・ヘイレン」のギタリスト、エディ・ヴァン・ヘイレンが6日死去、65歳。オランダ生まれで、家族で渡米後に兄のアレックス(ドラマー)とバンドを結成した。ギターの弦を右手で押さえて演奏する「ライトハンド奏法」で知られ、多くの影響を与えた。(ウィキペディアを見ると、この奏法の呼び方は日本独自だとある。)92年にグラミー賞、2007年にロックの殿堂入り。ローリングストーン誌選出「最も偉大な100人のギタリスト」で2003年は70位、2011年は8位と出ている。
(エディ・ヴァン・ヘイレン)
日本の音楽界では「歌謡曲」の不滅の作曲家、筒美京平が亡くなった。それは別に書いたが、テレビ等でも追悼特集が相次いで、この曲も筒美京平だったかという思いになる。
ジャズ・トランペッターの近藤等則(としのり)の訃報もあった。10月17日没、71歳。僕は多分どこかで一回聞いていると思う。ジャズの演奏会にはほとんど行ってないので、多分何かのイヴェントなんだと思うけど、ずいぶんいろんな人とセッションするなどある時期とても注目されていた。ニューヨークで活躍した後、80年代は自分のバンド「IMA」で活動した。93年からオランダに活動の場を移し、「地球を吹く」プロジェクトを行った。僕が聞いたのは、「Tibetan Blue Air Liquid Band」と言ってた頃だ。「チベット」に反応したんだと思う。山本政志監督の「てなもんやコネクション」に出演するなどして、僕も名前を知ってたんだろう。
(近藤等則)
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ショーン・コネリーは1962年に「007シリーズ」の第1作「007 ドクター・ノオ」の主演して世界的に人気を得た。30歳である。第5作の「007は二度死ぬ」(1967、日本ロケしたことで有名)で一端退き、次の「女王陛下の007」(1969)ではジョージ・レーゼンビーに代わった。しかし評判が今ひとつで1971年の「007 ダイヤモンドは永遠に」は再びコネリーが主演した。その後、1983年の「ネバーセイ・ネバーアゲイン」でもボンドを演じたが、これは007シリーズを製作しているイオンプロではないので、ノン・シリーズ扱いとなっている。ボンド俳優は6人いるが、ロジャー・ムーアや今のダニエル・クレイグを超えて、やはり一番有名なのはショーン・コネリーだろう。
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僕は007シリーズをそんなに見ているわけじゃなくて、以上のことは今検索して調べたのである。便利なものだ。その後、「オリエント急行殺人事件」や「風とライオン」(モロッコの首長役)などで活躍しているが、なんと言っても1986年の「薔薇の名前」が素晴らしかった。世界的ベストセラーの映画化を支えた渋い演技が圧倒的。それは1987年の「アンタッチャブル」で最高の達成を見たと思う。その路線で「インディ・ジョーンズ/最後の聖戦」や「レッド・オクトーバーを追え」などで活躍した。そして段々姿を見なくなり、2006年に引退を表明した。
スコットランドのエディンバラ生まれで、スコットランド生まれに誇りを持っていて、アクセントを直さないことをボンド役出演の条件にしたという。そのため、後になってボンドはスコットランド生まれということになったのだという。その他の役でも同じようなことがあったというから、すごいものだ。僕の若い頃に「憧れる中高年」を演じていたのだが、「アンタッチャブル」は57歳だった。いつの間にか自分の方がその年齢を超えているではないか。時間の流れに驚くしかない。
ファッションデザイナーの高田賢三が4日にパリで死去、81歳。死因は新型コロナウイルス感染症だった。1939年に姫路で生まれ、文化服装学院でコシノ・ジュンコらの「花の9期生」だった。1960年に装苑賞、1965年にフランスに渡り、1970年に独立。フランス文化相が追悼声明を出したが、「パリで最初に頭角を現した日本人」と呼んだ。また「文化の結合が特徴だった」という。高級既製服の草分けで、「西洋と東洋の融合」と評された。というんだけど、もちろん名前は知っていたけど、全然中味は知らなかったなあと思う。
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ロックバンド「ヴァン・ヘイレン」のギタリスト、エディ・ヴァン・ヘイレンが6日死去、65歳。オランダ生まれで、家族で渡米後に兄のアレックス(ドラマー)とバンドを結成した。ギターの弦を右手で押さえて演奏する「ライトハンド奏法」で知られ、多くの影響を与えた。(ウィキペディアを見ると、この奏法の呼び方は日本独自だとある。)92年にグラミー賞、2007年にロックの殿堂入り。ローリングストーン誌選出「最も偉大な100人のギタリスト」で2003年は70位、2011年は8位と出ている。
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日本の音楽界では「歌謡曲」の不滅の作曲家、筒美京平が亡くなった。それは別に書いたが、テレビ等でも追悼特集が相次いで、この曲も筒美京平だったかという思いになる。
ジャズ・トランペッターの近藤等則(としのり)の訃報もあった。10月17日没、71歳。僕は多分どこかで一回聞いていると思う。ジャズの演奏会にはほとんど行ってないので、多分何かのイヴェントなんだと思うけど、ずいぶんいろんな人とセッションするなどある時期とても注目されていた。ニューヨークで活躍した後、80年代は自分のバンド「IMA」で活動した。93年からオランダに活動の場を移し、「地球を吹く」プロジェクトを行った。僕が聞いたのは、「Tibetan Blue Air Liquid Band」と言ってた頃だ。「チベット」に反応したんだと思う。山本政志監督の「てなもんやコネクション」に出演するなどして、僕も名前を知ってたんだろう。
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