尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

喜んでるのに、なぜ「悲願」と表現するのか?

2024年07月23日 21時56分08秒 | 気になる言葉
 パリ五輪の開会が近づいて来た。開会式は26日(金曜日)で、それに先立ちサッカーや7人制ラグビーの予選が明日(23日)から始まる。東京はものすごい猛暑が連日続いているが、パリの最高気温はなんと20度台半ばほど、最低気温は10度台になっているらしい。快適というより、むしろ観客には冷涼と言うべきか。一方、アメリカ大リーグのオールスター戦も16日に行われ、大谷翔平選手がスリーランホームランを打った。日本のプロ野球でも、ただいま現在オールスター戦第1日をやってる。2回にセリーグが3本のホームランで9点も取って試合的には面白くなくなった。

 他にも多くのスポーツが行われているが、高校野球の地方予選もその一つ。少しずつ代表校が決まりつつある。青森では冬の高校サッカーを制した青森山田が野球でも7年ぶり12回目の出場、秋田では6年前に準優勝した金足農が7回目の出場を決めている。一方、南北海道代表は初出場の札幌日大。ここは北海高校という40回出ている強豪校があり、札幌日大は今まで3回決勝に進出したものの準優勝に終わった。また宮城県代表も初出場の聖和学園。ここも30回出場で2022年に東北勢初優勝を飾った仙台育英、また22回出場の東北(ダルビッシュ有を擁して2002年に準優勝)という強豪校がある地区である。

 というようなスポーツの話を書きたいわけではない。これらのデータは特に知ってたわけじゃなく、今調べて知ったのである。僕はこの札幌日大や聖和学園が「悲願の初優勝」と報道されていることに、突然「なんで?」と気付いたのである。大相撲も今名古屋場所をやってるが、横綱照ノ富士が10連勝している。それに続くのが大関3場所目の琴櫻で2敗と2差が付いている。テレビや新聞では「悲願の初優勝」に向けて「これ以上は落とせません」なんて言っている。
(聖和学園が「悲願」の初優勝)
 僕が思ったのは、優勝して喜んでるのに何で「悲しい願い」なんだという疑問である。悲劇、喜劇というわけだから、悲願じゃなくて「喜願」と言う方が良くないか。大体「願い」というのは、悲しいことにならないようにと願うわけだから、これって反対の言葉がくっついている。言葉に慣れちゃって、今まで何の疑問も持たなかったけど、一体なんで「悲願」と言うんだろう。
(札幌日大も「悲願」の初優勝)
 そこで調べてみたが、結局「仏教用語」だった。仏教から来た言葉が意識せずに日常語になっていることは多い。(安心、挨拶、差別、自由、退屈、利益などなど。)問題の「悲願」は、「仏・菩薩(ぼさつ)がその大慈悲心から発する誓願。阿弥陀仏の四十八願。薬師如来の十二願などの類」ということなのである。ここで「慈悲」という言葉が出て来る。そこで慈悲を調べると、「慈・悲・喜・捨」(じ・ひ・き・しゃ)の内、最初の2つをひとまとめにした用語・概念であり、本来は慈(いつくしみ)、悲(あわれみ)と、別々の用語・概念であると出ている。

 「悲」は願望が実らず残念な状況ではなく、「あわれみ」という意味だった。そして特に浄土系の教えでは「阿弥陀様がすべての人間を救おうと立てた誓い」を意味している。そのように御仏の計らいで願いが叶ったと考えるとき、それは「悲願が成就した」ということになるんだろう。「かなしい」という言葉を「愛しい」とも書けるように、単に「sadness」だけを意味するのではなく、愛しい(いとしい)というようなニュアンスを含んでいる。そういう意味合いで「悲願」というわけである。
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