ガルシア=マルケスを読むシリーズは、『百年の孤独』で終わったようなものだが、もう一つ『出会いはいつも八月』(En agosto nos vemos)を読んだので簡単に紹介しておきたい。この本はガルシア=マルケスが生前最後に書いていた作品とされる。作家は晩年に認知症を患い、結局発表されることなく終わった。2014年に亡くなった後、原稿が整備され発表されるはずだったが、やはり完成度に問題があるとして中止になったらしい。しかし、家族には残念な思いが残り、没後10年を迎える前に改めて刊行されることになったという。日本では2024年3月に旦敬介訳で刊行されたという「新作」なのである。
ガブリエル・ガルシア=マルケスは重要な作家だから、このような「遺作」も読んでいいかなと思って思わず買ってしまった。本文だけなら90頁ほどという中編というべき作品に定価2200円というのは、一般的には高すぎるだろう。まあはっきり言えば、他に読むべき本がいっぱいある中で、あえてこの本を読む必要もない。それでも読めば面白いし、一番最後にこんなことを書いてたんだという感慨はある。今までは「過去」を描くことが多かったが(19世紀から20世紀半ば頃)、この作品は島に観光用リゾートホテルが建ち並んでいるので明らかに現代。その意味では貴重な作品ではある。
さらに今まではどちらかというと、男性の目から「愛と性」を描くことが多かったが、今回は女性の目から描いているのも珍しい。コロンビアのカリブ海沿岸地域(と思われる)に、アナ・マグダレーナ・バッハという46歳の女性がいる。(ちなみに、この名前は作曲家のバッハの二度目の妻と同じ名前。20歳で16歳年上の作曲家に嫁ぎ、13人の子どもをなしたという人である。ストローブ=ユイレ夫妻によって映画化され、日本でもかつて話題になった。)この命名はジョークなのか、作中のアナ・マグダレーナの夫も音楽家である。母親を亡くし、遺言で母は街から離れた島に葬られた。
(英語版=Until AUGUST)
彼女は八月の命日に船で島に墓参に出掛ける。そして、ある年たまたま見知らぬ男と出会って結ばれたのである。名前も職業もわからぬ男との一夜が妙に忘れられず、翌年も八月になると見知らぬ男に抱かれたいという願望を抱くようになった。ということで、翌年はどうなったか。翌々年はどうなったか。毎年島は少しずつ開発が進んで変わっていく。その変化の中で、毎年八月だけ島に出掛ける数年間を描いている。この間に夫や二人の子どもの様子も触れられるが、基本的には「アナ・マグダレーナ・バッハの八月」だけを事細かに描いている。そして50歳の年、島では開発のため母の墓も改葬されたのだった。
この小説はこれで終わりなんだろうか。多分そうなんだろう。もっと面白くなりそうな手前で終わりになっちゃう感じがしてしまう。でも作家の創作力はここまでしか描けなかったんだと思う。興味深い設定だし、毎年どうなるかは一種のミステリーみたいな興趣がある。だけど今ひとつ薄いのは、女性を描いたからか、あるいは現代を描く難しさか。いや『百年の孤独』や『コレラの時代の愛』を思い浮かべれば、ガルシア=マルケスはもっと長大で、女性心理にも細かく分け入る小説を書いていた。やはり体力的、精神的な衰えによって、ここまでの淡彩に終わったと思う。
ということで、この小説はファン向けのボーナス・トラックみたいなものだろう。ガルシア=マルケスに取り組んでみようというときに、これは抜いても構わないと僕は思う。もちろんそれでも十分面白いし、最後まで「愛」をテーマにしていたことも判る。ガルシア=マルケスの重要作品では『族長の秋』(1975)が残っているが、これは止めておく。集英社のラテンアメリカ文学全集の第1回配本として、1983年に発売された。その時に読んだけれど、全集を探し出すのも億劫。短編で読んでないのもあるし、ノンフィクションでは自伝、紀行などずいぶん翻訳されている。地元の図書館にあるのを確認しているが、いささか飽きてしまった。読みやすい日本の小説を読みたい気分。同時にラテンアメリカの歴史に興味が出て来た状態。
ガブリエル・ガルシア=マルケスは重要な作家だから、このような「遺作」も読んでいいかなと思って思わず買ってしまった。本文だけなら90頁ほどという中編というべき作品に定価2200円というのは、一般的には高すぎるだろう。まあはっきり言えば、他に読むべき本がいっぱいある中で、あえてこの本を読む必要もない。それでも読めば面白いし、一番最後にこんなことを書いてたんだという感慨はある。今までは「過去」を描くことが多かったが(19世紀から20世紀半ば頃)、この作品は島に観光用リゾートホテルが建ち並んでいるので明らかに現代。その意味では貴重な作品ではある。
さらに今まではどちらかというと、男性の目から「愛と性」を描くことが多かったが、今回は女性の目から描いているのも珍しい。コロンビアのカリブ海沿岸地域(と思われる)に、アナ・マグダレーナ・バッハという46歳の女性がいる。(ちなみに、この名前は作曲家のバッハの二度目の妻と同じ名前。20歳で16歳年上の作曲家に嫁ぎ、13人の子どもをなしたという人である。ストローブ=ユイレ夫妻によって映画化され、日本でもかつて話題になった。)この命名はジョークなのか、作中のアナ・マグダレーナの夫も音楽家である。母親を亡くし、遺言で母は街から離れた島に葬られた。
(英語版=Until AUGUST)
彼女は八月の命日に船で島に墓参に出掛ける。そして、ある年たまたま見知らぬ男と出会って結ばれたのである。名前も職業もわからぬ男との一夜が妙に忘れられず、翌年も八月になると見知らぬ男に抱かれたいという願望を抱くようになった。ということで、翌年はどうなったか。翌々年はどうなったか。毎年島は少しずつ開発が進んで変わっていく。その変化の中で、毎年八月だけ島に出掛ける数年間を描いている。この間に夫や二人の子どもの様子も触れられるが、基本的には「アナ・マグダレーナ・バッハの八月」だけを事細かに描いている。そして50歳の年、島では開発のため母の墓も改葬されたのだった。
この小説はこれで終わりなんだろうか。多分そうなんだろう。もっと面白くなりそうな手前で終わりになっちゃう感じがしてしまう。でも作家の創作力はここまでしか描けなかったんだと思う。興味深い設定だし、毎年どうなるかは一種のミステリーみたいな興趣がある。だけど今ひとつ薄いのは、女性を描いたからか、あるいは現代を描く難しさか。いや『百年の孤独』や『コレラの時代の愛』を思い浮かべれば、ガルシア=マルケスはもっと長大で、女性心理にも細かく分け入る小説を書いていた。やはり体力的、精神的な衰えによって、ここまでの淡彩に終わったと思う。
ということで、この小説はファン向けのボーナス・トラックみたいなものだろう。ガルシア=マルケスに取り組んでみようというときに、これは抜いても構わないと僕は思う。もちろんそれでも十分面白いし、最後まで「愛」をテーマにしていたことも判る。ガルシア=マルケスの重要作品では『族長の秋』(1975)が残っているが、これは止めておく。集英社のラテンアメリカ文学全集の第1回配本として、1983年に発売された。その時に読んだけれど、全集を探し出すのも億劫。短編で読んでないのもあるし、ノンフィクションでは自伝、紀行などずいぶん翻訳されている。地元の図書館にあるのを確認しているが、いささか飽きてしまった。読みやすい日本の小説を読みたい気分。同時にラテンアメリカの歴史に興味が出て来た状態。