尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

猛暑の迎賓館を見に行くー50周年記念で「羽衣の間」の写真を撮る

2024年07月30日 22時44分16秒 | 東京関東散歩
 関東以西は毎日ものすごい猛暑が続いている。とても散歩どころではないんだけど、昨日(7月29日)「迎賓館赤坂離宮」に行ってきた。JR、東京メトロ四ツ谷駅から徒歩7分(とホームページに出てる)と、それほど遠くもない。でも余りにも暑くて(東京でも38度になった)、何で来ちゃったんだと思ってしまった。まあ今日無事に書いてるぐらいだから、大丈夫だったわけだが。

 迎賓館は国宝に指定されている。国宝指定建築物は是非見るようにしているが、迎賓館に今まで来なかったのは「内部で写真が撮れない」からだ。外観だけに1500円の参観料は高いかもと思っていた。(事前予約して和風別館も見ると、2千円。)しかし、今年は「迎賓館」(として整備されてから)50周年として、7月は特別に「羽衣の間」の写真撮影可だった(8月は「東の間」、9月は「花鳥の間」の撮影可)。ということで、「羽衣の間」は7月中に行かないと写真を撮れないから行ってみたわけ。

 迎賓館はよく正面からの写真が使われるので、僕も「主庭」から見た外観を知らなかった。内部を見た後、庭を見ることになるが、写真的にはこっち側の方が見ごたえがある。噴水があったり、松の木がアクセントになっている。迎賓館はもともとは1909年に「東宮御所」、つまり皇太子(大正天皇)の居所として建てられた。しかし、大正天皇はほとんど使わずに「離宮」となった。あまりにも壮大なネオ・バロック様式で使い勝手が悪かったともいう。だけど、やはり近代日本洋館建築の最高峰ではある。
   
 受付を済ませて中へ入ると、いろいろとグルグル回って行く。広いのでどこがどうやら判らないし、写真を撮れない。羽衣の間ってどこだと思う頃、出て来た。全景はホームページからコピーする方が理解しやすい。
(羽衣の間)
 ここは広さ約330平方メートルで、典型的なロココ様式なんだという。名前は天井に謡曲「羽衣」の壁画(フレスコ画)があるから。もともと舞踏会場として設計され、迎賓館で一番大きなシャンデリアがある。
   
 実際に撮ったのがこんな写真だが、やはり観客がいるから難しい。つい大きなシャンデリアに目が行くわけ。ここは今は晩餐会の招待客に食前酒、食後酒を提供する場になっているという。こうしてみると、誰が見てもヴェルサイユ宮殿の影響というか模倣。昨日書いたハイチ(サン=ドマング)で大もうけをしたブルボン王朝が建てた宮殿を、アジアの後発帝国主義国が精一杯マネした。複雑な感慨もあるが、ここまでやれば立派とも思う。内部には日本風の装飾も施されている。見終わると、外へ出て主庭へ回る。ものすごく暑くて、行きたくないけど、せっかく来たんだから。
   
 横から見るのもなかなか面白い。4枚目の樹木はゴルバチョフ「お手植え」の記念植樹である。そしてもとへ戻ると、前庭に行ける。こちらがよく写真で見る正面側になる。そこではパラソルと椅子があって、お茶が飲めるところがある。暑くて休みたいを通り越えて、早く駅に戻りたいという気持ちで寄らなかった。
   
 ここはもともと片山東熊が設計した。近代建築史に名高いジョサイア・コンドルの弟子で、宮内省に勤務して多くの建築に携わった。京都国立博物館奈良国立博物館東京国立博物館表慶館新宿御苑御休所などが残っている。戦後になって国に移管され、国会図書館や東京オリンピック組織委員会などが置かれたこともある。当時の迎賓館は旧朝香宮邸(現・東京都庭園美術館)だったが、狭すぎるとして赤坂離宮を迎賓館に改修した。その「昭和の大改修」は村野藤吾が担当し、1974年に完成。その時谷口吉郎設計による「和風別館・洗心亭」も作られた。

 現在も迎賓館として使用されているので、外国からの賓客があるときは非公開となる。2016年からそれ以外の日は公開されている。観光立国をめざすとした菅官房長官が残した恐らく唯一の「善政」だろう。外国人観光客は確かに多かった。また行くかどうかは微妙だが、国宝なんだし一度は見ても良いのかなと思う。「権力者の館」ではあるが、それはお城だって同じだし。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする