尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

やっぱり凄かった!竹本健治「涙香迷宮」

2018年08月05日 22時09分16秒 | 〃 (ミステリー)
 あんまり暑くて外出する気もなくなる。前日に続いて重い記事を書く元気を失せてしまったので、最近読んだまま書いてなかった竹本健治「涙香迷宮」のことを書いておきたい。この小説は2016年の「このミス」1位で、ミステリー界で大評判になった本である。なかなか厚くて買ってなかったんだけど、早くも講談社文庫に入ったので買ってしまった。「空前絶後の謎解き!」と帯にあるが、まったくその通りの大胆不敵な暗号ミステリーである。殺人事件の犯人当てなどを超越した「日本語」そのものと戯れ遊ぶ小説で、ミステリーファン以外の読者を待ち望んでる本だ。

 竹本健治(1954~)は実は初めて読んだ。「匣の中の失楽」や「ウロボロスの偽書」などは持っているが、ポストモダンとか奇想とか難しそうで本も分厚いからつい後回しになった。「囲碁殺人事件」「将棋殺人事件」「トランプ殺人事件」の「ゲーム三部作」でも有名だが、ゲームに関心がないので読んでない。それらの小説では、18歳で本因坊となった天才囲碁棋士・牧場智久が探偵役を務めているという。この「涙香迷宮」も同様で、今回はある意味で「連珠殺人事件」である。

 題名の「涙香」(るいこう)は、近代史に有名な黒岩涙香(1862~1920)のこと。「るいこう」で一発変換できないので困るが、今の知名度的にはそんなものか。明治の大新聞、「萬朝報」(よろずちょうほう)の創刊者である。幸徳秋水、堺利彦、内村鑑三らが論説委員として日露非戦論を展開した。しかし高まる開戦論の中で、萬朝報も非戦論から開戦論に転向し、幸徳らは退社した。

 その話は日露戦争に関してよく出てくるが、黒岩涙香の本領はむしろ「萬朝報」の販促として大衆文化振興を図ったことにある。最近話題の「競技かるた」のルールを統一したり、囲碁将棋欄を作ったのもこの人。スキャンダルをどんどん報道したり、外国の翻案小説をいっぱい載せたのも涙香の手腕である。「モンテクリスト伯」を「巌窟王」、「レ・ミゼラブル」を「ああ無情」と訳したのは涙香だった。ミステリーの翻案も多く、日本の探偵小説の祖とされている。

 涙香の話で長くなっているが、黒岩涙香の実人生の方が面白いぐらいなのである。この小説に直接関係する「いろは歌」や「連珠」を盛んにしたのも涙香の仕事。連珠(れんじゅ)というのは、あの「五目並べ」のことである。ルールを統一し、連珠という偉そうな名前を付けて、囲碁将棋に匹敵する競技に育てるつもりだった。「いろは歌」というのは、「いろはにほへと」である。日本語の文字にある音を一回ずつ組み合わせて意味のある詩にまとめる。「ゐ」と「ゑ」を入れ、昔はなかった「ん」を加えると、48字になる。これは12×4だから、7音+5音の詩句を4つ並べると48になる。そういう風に整理したのが涙香だという。

 ある旅館で碁石が散らばっている中で殺されていた死体が発見される。その事件と別に、黒岩涙香の知られざる別荘跡が茨城県の北部、龍神大吊橋があるあたりで発見された。この別荘を調査しようと、牧場智久を含む数人が難路を出かけてゆく。そこで起きる謎の事件、そして近づく台風の中で孤立し、と一応お約束の展開が待っているが…。でも、この小説に限って言えば、そういう伝統的謎解きよりも涙香別荘で見つかった48首のいろは歌、そこに秘められた暗号のすごさが読みどころ。もちろん作中では涙香が作ったとされるが、実際は作者本人が作っているわけである。

 48文字を一つずつ最初の言葉にして作られたいろは歌。「ん」で始まる歌なんかどう作るのだろう。そして、その中で見つかった暗号いろは歌。それは解けるのか。どうしてもパズル的になってしまう、この手の暗号ものを超えて、日本語の言語としての豊かな可能性に目が見ひらかされる。英語でもアルファベットすべてを使った言葉遊びもあるというが、作りづらい。子音だけの文字はなく、子音と母音が結びついて文字になっているから、これほどの「いろは歌」が作れる。こういうこともできるのかという小説そのものとは別の感動があった。
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