猛暑の頃はミステリーで涼んでいたんだけど、『気流の鳴る音』以後はもっと硬い本を片付けようかという感じ。と言っても読まずに残っている専門書に挑む気まではなく、まずは溜め込んだ新書の処理。2022年は「日本共産党結党100年」ということになっている。ちょうど合わせたように5月に中公新書から中北浩爾『日本共産党 「革命」を夢見た100年』が出た。波乱の100年だけに、400頁もあって新書らしからぬ厚さである。戦前の「秘密結社」時代から現在の野党共闘まで論じているので、やむを得ない。でも読みやすく判りやすい。共産党に関しては、読む前に様々な評価が付きまとうと思うが、まずは公平なスタンスで書かれた本だろう。
著者の中北浩爾氏は、1968年生まれの政治学者で、一橋大学大学院社会学研究科教授。東大を卒業後、東大、大阪市大、立教大を経て、2011年から現職と出ている。近年一般書の刊行が多く、名前は僕も知っていた。今までは自民党の研究が中心で、『自民党ー「一強」の構造』(2017、中公新書)、『自公政権とは何か』(2019、ちくま新書)などがあるが、読んでなかった。著者は自公政権を論じた後に、では野党の連合政権は可能か、日本共産党はどう考えているのかというような問題意識から、戦前にさかのぼって共産党の研究を始めたようである。歴史的視野から現在まで見通した本で、データも豊富。
(中北浩爾氏)
今はどうだか知らないが、僕の世代だと(特に歴史を専攻するとなれば)、「共産主義(あるいは共産党)をどう考えるか」は避けて通れない問題だった。もちろん『共産党宣言』や『空想から科学へ』ぐらいは大体の人が読んでただろう。(この「大体」の分母は全国民ではなく、文系大学生だが。)しかし、自分の思い出や考えから書いていると、ものすごく長くなってしまう。ここは本を中心にして、論点をいくつかに絞って書くことにしたい。
この本を読んだ最初の感想は「懐かしさ」だった。戦前の社会運動史は研究テーマそのものではなかったけれど、関心はずっとあって良く読んでいた。70年代ぐらいまでなら、この本に出てくる出来事はほぼ知っている。だから懐かしかったのである。最初に今年は日本共産党結党100年「ということになっている」と書いたが、僕は「第一次共産党」は今の共産党に直接つながるという評価は出来ないと考えている。弾圧されて壊滅したというではなく、中心人物の多くが後の共産党史に関わって来ない。むしろ戦後の日本社会党左派につながる人々が多い。だから、名前だけで「結党100年」ということに意味はないと思う。
もう一つ、序章で「ユーロ・コミュニズム」が論じられているのも懐かしかった。今ではこの言葉自体を知らないだろう。ソ連を批判して、西欧独自の「社会主義への道」を追求したイタリア、フランス、スペインなどの共産党のあり方を指す。フランス共産党は結局ソ連寄りに回帰し、左派の中の小党派になってしまった。イタリア共産党は社会民主主義に転じて、党名も「左派民主党」、さらに「民主党」に変えて、政権を担ったこともある。日本共産党はソ連・中国を批判し「議会主義」を取るなど西欧諸党と似たような問題意識を持っていた。しかし、社会民主主義は採用せず、党名も変えなかった。一番大きいのはイタリア党がNATOを認めたのに対し、日本では日米安保条約を廃棄する方針を堅持したことである。このような差がどうして生まれたかは興味深い。
戦前の日本共産党は、「コミンテルン日本支部」である。「コミンテルン」は「共産主義インターナショナル」で、とっくの昔(1943年)に解散しているのに、未だに「国際共産党の陰謀」などと言う人がいる。綱領(「27年テーゼ」とか「32年テーゼ」など)も国外指導部から「与えられた」ものだった。しかし、僕はそれをナショナリズム的な立場からおかしいという立場は取らない。当時は「世界革命」を目指していたんだし、「世界で初めて社会主義国家を建設した」ソ連の威信は大きかった。しかし、自国の革命への道も自分で決められないで、革命を語るなどおこがましい。その後、獄中で「転向」が相次いだのも当然だろう。だが、その獄中でも「非転向を貫いた」人がいたのである。侵略戦争の無惨な敗北の後、出獄した人々の存在がいかに輝いて見えたか。そのことへの想像力を持つことも必要だ。その代表が「獄中18年」の徳田球一や志賀義雄である。
(徳田球一)
日本共産党史を彩る多くの人々から、最重要の「トップ10」を選ぶとすれば誰になるだろう。まず間違いなくトップは宮本顕治で、2位が徳田球一だと思う。3位は野坂参三、4位が不破哲三かなと考える。その後は人により違ってくるだろうが、志位和夫、志賀義雄、袴田里見、伊藤律らは、好悪、評価レベルは別にして、10人の中に入って来るように思う。存命の不破、志位を除き、この中で死亡時に党籍を保持していたのは、宮本と徳田だけである。徳田球一は「50年問題」で党が分裂したときに、地下に潜って秘かに中国に逃れ、1953年に北京で死んだ。その後、家父長制的指導を糾弾され党史では否定されているが、死後に除名などは出来ない。(妻の徳田たつは除名されているが。)
(宮本顕治)
「50年問題」を書き出すと長くなるから止める。聞いたこともないという人は、この本を読まないだろう。「分裂」から、党を再建し、ソ連、中国との対立を「自主独立」路線で乗り切ったのは、宮本顕治の功績である。評価はともかく、作家宮本百合子の夫である元文芸評論家・宮本顕治が、現在に至る「国会に一定の議席を有する政党」を作り上げたのは間違いない。しかし、党の路線をめぐる争いの中で、多くの元同志が去って行った。「官僚的」などの批判が強い。また元々は路線を異にした不破哲三、上田耕一郎兄弟を重用し、古参党員の不満が強かったとも言われる。だが、二人の理論家がいてこそ、今の共産党があるのも間違いない。
その中で路線問題としては「日本の革命をどう進めるか」という最大の論点で、二段階路線、アメリカからの独立をずっと主張してきたことの是非がある。その問題は大きすぎるのでパスして、もう一つ「民主集中制」をどう考えるかを簡単に。これは「みんなで決めたことはみんなで守る」、どの党にも必要なことだなどと言うことが多い。しかし、武力による暴力革命を綱領で放棄した以上、国会議員選挙をどう勝ち抜くか、党内で自由闊達な議論が出来なければおかしいのではないか。「みんなで決める」ためには、党内外の自由な言論活動、結社の自由がなければならない。
党内で「分派」が出来てはまずいというのは、「敵」との暴力的対決を控えている場合だろう。党内で公然と「分派」を作って指導部引き下ろし運動を行える自由民主党の方が、国民的なエネルギーを結集できているのである。現行憲法制定時に、ただ一党本格的に反対した共産党も、いまや「護憲」の党である。であるならば、国民すべてが保持する言論、結社の自由が党員だけに認められないという、そのような党のありかたには疑問を覚える。他にもたくさんの論点があるが、特に共産党に関心がないという人も、「歴史ファン」を自認するならば読んでおく必要がある。評価の問題以前に、多くの事実を知っておくことが大事だろう。
著者の中北浩爾氏は、1968年生まれの政治学者で、一橋大学大学院社会学研究科教授。東大を卒業後、東大、大阪市大、立教大を経て、2011年から現職と出ている。近年一般書の刊行が多く、名前は僕も知っていた。今までは自民党の研究が中心で、『自民党ー「一強」の構造』(2017、中公新書)、『自公政権とは何か』(2019、ちくま新書)などがあるが、読んでなかった。著者は自公政権を論じた後に、では野党の連合政権は可能か、日本共産党はどう考えているのかというような問題意識から、戦前にさかのぼって共産党の研究を始めたようである。歴史的視野から現在まで見通した本で、データも豊富。
(中北浩爾氏)
今はどうだか知らないが、僕の世代だと(特に歴史を専攻するとなれば)、「共産主義(あるいは共産党)をどう考えるか」は避けて通れない問題だった。もちろん『共産党宣言』や『空想から科学へ』ぐらいは大体の人が読んでただろう。(この「大体」の分母は全国民ではなく、文系大学生だが。)しかし、自分の思い出や考えから書いていると、ものすごく長くなってしまう。ここは本を中心にして、論点をいくつかに絞って書くことにしたい。
この本を読んだ最初の感想は「懐かしさ」だった。戦前の社会運動史は研究テーマそのものではなかったけれど、関心はずっとあって良く読んでいた。70年代ぐらいまでなら、この本に出てくる出来事はほぼ知っている。だから懐かしかったのである。最初に今年は日本共産党結党100年「ということになっている」と書いたが、僕は「第一次共産党」は今の共産党に直接つながるという評価は出来ないと考えている。弾圧されて壊滅したというではなく、中心人物の多くが後の共産党史に関わって来ない。むしろ戦後の日本社会党左派につながる人々が多い。だから、名前だけで「結党100年」ということに意味はないと思う。
もう一つ、序章で「ユーロ・コミュニズム」が論じられているのも懐かしかった。今ではこの言葉自体を知らないだろう。ソ連を批判して、西欧独自の「社会主義への道」を追求したイタリア、フランス、スペインなどの共産党のあり方を指す。フランス共産党は結局ソ連寄りに回帰し、左派の中の小党派になってしまった。イタリア共産党は社会民主主義に転じて、党名も「左派民主党」、さらに「民主党」に変えて、政権を担ったこともある。日本共産党はソ連・中国を批判し「議会主義」を取るなど西欧諸党と似たような問題意識を持っていた。しかし、社会民主主義は採用せず、党名も変えなかった。一番大きいのはイタリア党がNATOを認めたのに対し、日本では日米安保条約を廃棄する方針を堅持したことである。このような差がどうして生まれたかは興味深い。
戦前の日本共産党は、「コミンテルン日本支部」である。「コミンテルン」は「共産主義インターナショナル」で、とっくの昔(1943年)に解散しているのに、未だに「国際共産党の陰謀」などと言う人がいる。綱領(「27年テーゼ」とか「32年テーゼ」など)も国外指導部から「与えられた」ものだった。しかし、僕はそれをナショナリズム的な立場からおかしいという立場は取らない。当時は「世界革命」を目指していたんだし、「世界で初めて社会主義国家を建設した」ソ連の威信は大きかった。しかし、自国の革命への道も自分で決められないで、革命を語るなどおこがましい。その後、獄中で「転向」が相次いだのも当然だろう。だが、その獄中でも「非転向を貫いた」人がいたのである。侵略戦争の無惨な敗北の後、出獄した人々の存在がいかに輝いて見えたか。そのことへの想像力を持つことも必要だ。その代表が「獄中18年」の徳田球一や志賀義雄である。
(徳田球一)
日本共産党史を彩る多くの人々から、最重要の「トップ10」を選ぶとすれば誰になるだろう。まず間違いなくトップは宮本顕治で、2位が徳田球一だと思う。3位は野坂参三、4位が不破哲三かなと考える。その後は人により違ってくるだろうが、志位和夫、志賀義雄、袴田里見、伊藤律らは、好悪、評価レベルは別にして、10人の中に入って来るように思う。存命の不破、志位を除き、この中で死亡時に党籍を保持していたのは、宮本と徳田だけである。徳田球一は「50年問題」で党が分裂したときに、地下に潜って秘かに中国に逃れ、1953年に北京で死んだ。その後、家父長制的指導を糾弾され党史では否定されているが、死後に除名などは出来ない。(妻の徳田たつは除名されているが。)
(宮本顕治)
「50年問題」を書き出すと長くなるから止める。聞いたこともないという人は、この本を読まないだろう。「分裂」から、党を再建し、ソ連、中国との対立を「自主独立」路線で乗り切ったのは、宮本顕治の功績である。評価はともかく、作家宮本百合子の夫である元文芸評論家・宮本顕治が、現在に至る「国会に一定の議席を有する政党」を作り上げたのは間違いない。しかし、党の路線をめぐる争いの中で、多くの元同志が去って行った。「官僚的」などの批判が強い。また元々は路線を異にした不破哲三、上田耕一郎兄弟を重用し、古参党員の不満が強かったとも言われる。だが、二人の理論家がいてこそ、今の共産党があるのも間違いない。
その中で路線問題としては「日本の革命をどう進めるか」という最大の論点で、二段階路線、アメリカからの独立をずっと主張してきたことの是非がある。その問題は大きすぎるのでパスして、もう一つ「民主集中制」をどう考えるかを簡単に。これは「みんなで決めたことはみんなで守る」、どの党にも必要なことだなどと言うことが多い。しかし、武力による暴力革命を綱領で放棄した以上、国会議員選挙をどう勝ち抜くか、党内で自由闊達な議論が出来なければおかしいのではないか。「みんなで決める」ためには、党内外の自由な言論活動、結社の自由がなければならない。
党内で「分派」が出来てはまずいというのは、「敵」との暴力的対決を控えている場合だろう。党内で公然と「分派」を作って指導部引き下ろし運動を行える自由民主党の方が、国民的なエネルギーを結集できているのである。現行憲法制定時に、ただ一党本格的に反対した共産党も、いまや「護憲」の党である。であるならば、国民すべてが保持する言論、結社の自由が党員だけに認められないという、そのような党のありかたには疑問を覚える。他にもたくさんの論点があるが、特に共産党に関心がないという人も、「歴史ファン」を自認するならば読んでおく必要がある。評価の問題以前に、多くの事実を知っておくことが大事だろう。
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