2023年8月の訃報特集。「布川事件」冤罪被害者だった桜井昌司さんを別に書いた。その布川事件の共同被告人二人を追った記録映画『ショージとタカオ』を作った映画監督、井出洋子も13日に亡くなった。68歳。その映画は2010年の記録映画賞を独占し、本にもなった。もとは羽田澄子の助監督だった人で、その後の作品に『ゆうやけ子どもクラブ!』(2019)がある。
8月はあまり大きな訃報がなかったので内外を1回で。映画監督のウィリアム・フリードキンが7日死去、87歳。僕の若い頃は有名な監督だった。『フレンチ・コネクション』(1971)でアカデミー賞作品賞、監督賞などを受賞して、その次が世界的メガヒットになったホラー『エクソシスト』(1973)である。ところでこの両作品はキネ旬ベストテンでともに10位だが、72年に6位になったのが『真夜中のパーティ』(1970)だった。これはヒットした舞台劇の映画化で、ゲイ・パーティを舞台に、「同性愛者の苦悩」をテーマにしていた。全編を強い緊張感が漂う映画だったが、その後見る機会が無いのが残念。この問題に初めて気付かされた映画だった。77年に作った『恐怖の報酬』のリメイクがコケて、その後はエンタメ系に徹した普通の監督になった感じがある。
(ウィリアム・フリードキン)
書く直前に飛び込んできたのが、資生堂名誉会長福原義春の訃報。30日没、92歳。資生堂創業家に生まれ、1987年に社長、97年会長、2001年から名誉会長を務めた。財界きっての文化人として知られ、「メセナ」(企業による文化・芸術支援活動)という言葉を日本に定着させた功績は大きい。企業メセナ協議会に深く関わり、その関係の著書も多い。2000年から2016年まで東京都写真美術館館長として、「写美」を支えたことで知られている。文化功労者に選定。
(福原義春)
アメリカ文学者の亀井俊介が18日死去、91歳。東大名誉教授でホイットマンなどアメリカ文学研究が本業だが、アメリカ大衆文化全般に詳しく、何冊もの一般書を書いた。読書家にはよく知られていた人だが訃報が小さかったのが残念。『サーカスが来た! アメリカ大衆文化覚書』(1976)で、エッセイストクラブ賞。書評で読んで買ったが、ものすごく面白かった。その後も岩波新書『マリリン・モンロー』(1987)、大佛次郎賞受賞の『アメリカン・ヒーローの系譜』(1993)、ミネルヴァ評伝選『有島武郎』(2013、和辻哲郎文化賞)など、著書多数。こういう人がいてくれて、外国文化の奥深さを学べたのである。
(亀井俊介)
指揮者の飯守泰次郎(いいもり・たいじろう)が15日死去、82歳。文化功労者だけど、僕はこの人を知らなかった。ワーグナーの指揮者として有名で、バイロイト音楽祭で音楽助手を長く務めた。日本のワーグナー演奏史に大きな足跡を残し、多くの賞を受けている。日本芸術院会員。ただ僕はワーグナーの音楽、オペラをCDやテレビでも聞いたことがないのである。ところで、この人をウィキペディアで見てみると、飯守重任(しげとう)元裁判官の息子として、「満州国・新京」で生まれたと出ていた。その人こそ知らないと言われるだろうが。
(飯守泰次郎)
劇作家の岡部耕大(こうだい)が、25日死去、78歳。長崎県松浦市出身で、長崎を舞台にした作品が多い。1970年に劇団「空間演技」を立ち上げ、演出も行った。1979年『肥前松浦兄妹心中』で岸田国士戯曲賞を受賞した。今村昌平監督の映画『女衒』(ぜげん)の脚本も担当。最近も東京で『精霊流し』が上演されたが、風土を反映した作品で評価された劇作家だった。
(岡部耕大)
アニメーション美術監督の山本二三(にぞう)が19日死去、70歳。宮崎駿監督のテレビアニメ『未来少年コナン』で初めて美術監督を務めた。その後『ルパン三世 カリオストロの城』の背景などを担当した後、1985年にスタジオジブリに移って『天空の城ラピュタ』の美術監督を務めた。他に『火垂るの墓』『もののけ姫』『時をかける少女』などの美術監督を務めた。迫力のある雲の描写が特に「二三雲」とファンから呼ばれていたという。故郷である長崎県の五島列島福江島に山本二三美術館がある。
(山本二三)
・作家の森内俊雄が5日死去、86歳。代表作に『幼きものは驢馬に乗って』(芥川賞候補)、『翔ぶ影』(泉鏡花賞)、『氷河が来るまでに』(読売文学賞)など。芥川賞候補に5回なったが受賞出来なかった。SF作家で評論でも知られた石川喬司が7月9日に死去していた。92歳。評論『SFの時代』で1978年に日本推理作家協会賞。
・吉本新喜劇座員の桑原和男が10日死去、87歳。新喜劇では「和子ばあちゃん」役で親しまれた。奇術師の松旭斎すみえが12日死去、85歳。日本を代表する女性奇術師と呼ばれた。古今亭志ん生の娘として一家を描く著書も書いた美濃部美津子が26日死去、99歳。金原亭馬生、古今亭志ん朝の姉にあたる。
・元検事総長の土肥孝治が1日死去、90歳。大阪地検検事正時代にイトマン事件を担当し、検事総長時代には薬害エイズ事件や旧大蔵省汚職事件などを担当した。元衆議院議員の畑英次郎が4日死去、94歳。1979年に旧大分1区から衆院議員に当選し、7期務めた。最初は自民党だが、93年に離党して新生党に参加、以後新進党、太陽党、民政党、民主党と移った。細川内閣で農水相、羽田内閣で通産相を務めた。発音が同じ羽田元首相の側近だった。
・戦時中の言論弾圧事件である「横浜事件」で、元被告木村亨の妻として再審請求を引き継いだ木村まきが14日に死去、74歳。
・「ダイヤモンドサッカー」の実況アナを20年間担当して世界のサッカー事情を伝えた金子勝彦が20日死去、88歳。日本サッカー殿堂入り。
・アメリカの歌手シクスト・ロドリゲスが8日死去、81歳。記録映画『シュガーマン』の題材となった歌手で、南アフリカで大ヒットしながら自国でヒットせず引退。死亡説が流れていたが、インターネット時代に「発見」された。ザ・バンドのギタリスト、ロビー・ロバートソンが9日死去、80歳。『レイジング・ブル』などの映画音楽も担当した。
・フランスの歴史家エレーヌ・カレール=ダンコースが5日死去、94歳。ソ連・ロシア史の世界的権威で、『崩壊した帝国』(1978、邦訳1990)で、諸民族の反乱でソ連が解体すると「予言」したことで知られる。
・そのロシアでは、民間軍事会社ワグネルのリーダー、エフゲニー・プリゴジンとドミトリー・ウトキンが乗ったビジネスジェット機が23日にモスクワ北西部トベリ州で墜落した。プリゴジン死亡かと世界的にトップ記事となった。その後DNA鑑定で死亡が確認されたとロシア側は言っているが、それでも生存説も絶えない。プリゴジンは62歳、ウトキンは53歳。「ワグネル反乱」は許されたことになっていたが、遠からずこういうニュースが聞かれることは世界の誰もが予測していただろう。その意味ではプーチンによる「公開処刑」説に説得力がある。だが、それでも身代わり説、替え玉説が流れるところにロシア政治の闇がある。特にウトキンは紛れもないネオナチで、こういう組織が政府に代わってアフリカで利権漁りをしていたことに唖然とする。
(プリゴジン)
8月はあまり大きな訃報がなかったので内外を1回で。映画監督のウィリアム・フリードキンが7日死去、87歳。僕の若い頃は有名な監督だった。『フレンチ・コネクション』(1971)でアカデミー賞作品賞、監督賞などを受賞して、その次が世界的メガヒットになったホラー『エクソシスト』(1973)である。ところでこの両作品はキネ旬ベストテンでともに10位だが、72年に6位になったのが『真夜中のパーティ』(1970)だった。これはヒットした舞台劇の映画化で、ゲイ・パーティを舞台に、「同性愛者の苦悩」をテーマにしていた。全編を強い緊張感が漂う映画だったが、その後見る機会が無いのが残念。この問題に初めて気付かされた映画だった。77年に作った『恐怖の報酬』のリメイクがコケて、その後はエンタメ系に徹した普通の監督になった感じがある。
(ウィリアム・フリードキン)
書く直前に飛び込んできたのが、資生堂名誉会長福原義春の訃報。30日没、92歳。資生堂創業家に生まれ、1987年に社長、97年会長、2001年から名誉会長を務めた。財界きっての文化人として知られ、「メセナ」(企業による文化・芸術支援活動)という言葉を日本に定着させた功績は大きい。企業メセナ協議会に深く関わり、その関係の著書も多い。2000年から2016年まで東京都写真美術館館長として、「写美」を支えたことで知られている。文化功労者に選定。
(福原義春)
アメリカ文学者の亀井俊介が18日死去、91歳。東大名誉教授でホイットマンなどアメリカ文学研究が本業だが、アメリカ大衆文化全般に詳しく、何冊もの一般書を書いた。読書家にはよく知られていた人だが訃報が小さかったのが残念。『サーカスが来た! アメリカ大衆文化覚書』(1976)で、エッセイストクラブ賞。書評で読んで買ったが、ものすごく面白かった。その後も岩波新書『マリリン・モンロー』(1987)、大佛次郎賞受賞の『アメリカン・ヒーローの系譜』(1993)、ミネルヴァ評伝選『有島武郎』(2013、和辻哲郎文化賞)など、著書多数。こういう人がいてくれて、外国文化の奥深さを学べたのである。
(亀井俊介)
指揮者の飯守泰次郎(いいもり・たいじろう)が15日死去、82歳。文化功労者だけど、僕はこの人を知らなかった。ワーグナーの指揮者として有名で、バイロイト音楽祭で音楽助手を長く務めた。日本のワーグナー演奏史に大きな足跡を残し、多くの賞を受けている。日本芸術院会員。ただ僕はワーグナーの音楽、オペラをCDやテレビでも聞いたことがないのである。ところで、この人をウィキペディアで見てみると、飯守重任(しげとう)元裁判官の息子として、「満州国・新京」で生まれたと出ていた。その人こそ知らないと言われるだろうが。
(飯守泰次郎)
劇作家の岡部耕大(こうだい)が、25日死去、78歳。長崎県松浦市出身で、長崎を舞台にした作品が多い。1970年に劇団「空間演技」を立ち上げ、演出も行った。1979年『肥前松浦兄妹心中』で岸田国士戯曲賞を受賞した。今村昌平監督の映画『女衒』(ぜげん)の脚本も担当。最近も東京で『精霊流し』が上演されたが、風土を反映した作品で評価された劇作家だった。
(岡部耕大)
アニメーション美術監督の山本二三(にぞう)が19日死去、70歳。宮崎駿監督のテレビアニメ『未来少年コナン』で初めて美術監督を務めた。その後『ルパン三世 カリオストロの城』の背景などを担当した後、1985年にスタジオジブリに移って『天空の城ラピュタ』の美術監督を務めた。他に『火垂るの墓』『もののけ姫』『時をかける少女』などの美術監督を務めた。迫力のある雲の描写が特に「二三雲」とファンから呼ばれていたという。故郷である長崎県の五島列島福江島に山本二三美術館がある。
(山本二三)
・作家の森内俊雄が5日死去、86歳。代表作に『幼きものは驢馬に乗って』(芥川賞候補)、『翔ぶ影』(泉鏡花賞)、『氷河が来るまでに』(読売文学賞)など。芥川賞候補に5回なったが受賞出来なかった。SF作家で評論でも知られた石川喬司が7月9日に死去していた。92歳。評論『SFの時代』で1978年に日本推理作家協会賞。
・吉本新喜劇座員の桑原和男が10日死去、87歳。新喜劇では「和子ばあちゃん」役で親しまれた。奇術師の松旭斎すみえが12日死去、85歳。日本を代表する女性奇術師と呼ばれた。古今亭志ん生の娘として一家を描く著書も書いた美濃部美津子が26日死去、99歳。金原亭馬生、古今亭志ん朝の姉にあたる。
・元検事総長の土肥孝治が1日死去、90歳。大阪地検検事正時代にイトマン事件を担当し、検事総長時代には薬害エイズ事件や旧大蔵省汚職事件などを担当した。元衆議院議員の畑英次郎が4日死去、94歳。1979年に旧大分1区から衆院議員に当選し、7期務めた。最初は自民党だが、93年に離党して新生党に参加、以後新進党、太陽党、民政党、民主党と移った。細川内閣で農水相、羽田内閣で通産相を務めた。発音が同じ羽田元首相の側近だった。
・戦時中の言論弾圧事件である「横浜事件」で、元被告木村亨の妻として再審請求を引き継いだ木村まきが14日に死去、74歳。
・「ダイヤモンドサッカー」の実況アナを20年間担当して世界のサッカー事情を伝えた金子勝彦が20日死去、88歳。日本サッカー殿堂入り。
・アメリカの歌手シクスト・ロドリゲスが8日死去、81歳。記録映画『シュガーマン』の題材となった歌手で、南アフリカで大ヒットしながら自国でヒットせず引退。死亡説が流れていたが、インターネット時代に「発見」された。ザ・バンドのギタリスト、ロビー・ロバートソンが9日死去、80歳。『レイジング・ブル』などの映画音楽も担当した。
・フランスの歴史家エレーヌ・カレール=ダンコースが5日死去、94歳。ソ連・ロシア史の世界的権威で、『崩壊した帝国』(1978、邦訳1990)で、諸民族の反乱でソ連が解体すると「予言」したことで知られる。
・そのロシアでは、民間軍事会社ワグネルのリーダー、エフゲニー・プリゴジンとドミトリー・ウトキンが乗ったビジネスジェット機が23日にモスクワ北西部トベリ州で墜落した。プリゴジン死亡かと世界的にトップ記事となった。その後DNA鑑定で死亡が確認されたとロシア側は言っているが、それでも生存説も絶えない。プリゴジンは62歳、ウトキンは53歳。「ワグネル反乱」は許されたことになっていたが、遠からずこういうニュースが聞かれることは世界の誰もが予測していただろう。その意味ではプーチンによる「公開処刑」説に説得力がある。だが、それでも身代わり説、替え玉説が流れるところにロシア政治の闇がある。特にウトキンは紛れもないネオナチで、こういう組織が政府に代わってアフリカで利権漁りをしていたことに唖然とする。
(プリゴジン)
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