尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

『台北プライベートアイ』、台湾ハードボイルドの傑作

2025年01月28日 22時41分17秒 | 〃 (ミステリー)

 年末にカフカを読んで2回ほど書いたが、その後もずっと短編やノートを読み続けた。この機会に読まない限り絶対に読まずに終わると確信するほど、実につまらない体験だった。途中で中断した断片が多いし、不条理文学は20世紀後半に大発展して、もっと優れた面白い作品は山のように書かれていると思った。100年前のヨーロッパはもう古めかしくて、最後の頃は読むのが苦痛だった。でも途中で止めずに読み切ったが、ここで書く必要もないだろう。

 そこで正月になったが、今度は純粋に面白い本が読みたい。もう体内にそういう欲求が満ちてきて、僕の場合はそう言う時に溜まってるミステリーを読みふける。今はミステリーも長くて複雑だから、結構時間がかかる。ホントは1月で終わりにしたかったが、どうも2月に続きそうだ。そろそろ体は歴史、社会系のマジメ本を欲し始めているけれど。

 

 そこでミステリー本の話を少し書きたいと思う。まずは紀蔚然台北プライベートアイ』(原題『私家偵探』、文春文庫、船山むつみ訳)。題名は「タイペイ」とルビが振られているが、作者は「き・うつぜん」で良いようだ。一応中国語表記も出ていて「ジー・ウェイラン」とある。2011年に出た本で、単行本は2021年に刊行され、2024年5月に文庫になった。著者紀蔚然は1954年生まれで、国立台湾大学演劇学部名誉教授。劇作家として多くの戯曲を書き、論文も多いという。

(紀蔚然氏)

 近年中華圏のミステリー、SFなどが大流行していて、世界的に評価されている。例えば去年の「このミステリーがすごい!」ベスト1は馬伯庸両京十五日』(ハヤカワ・ミステリ)という本だった。なかなか分厚い2巻本なので、まだ読んでない(買ったり借りたりする気になれない)。今まで読んだのは、香港の『陳浩基「13・67」、驚愕の香港ミステリー』だけである。あれは警察小説の傑作にして、香港現代史でもあった。僕は比較的ハードボイルド系が好きなんだけど、アジアの町は(東京も含めて)純粋のハードボイルド、つまり探偵が「卑しい街」を走り回るような小説が書きにくい。

 まず主人公が独自に動き回れる「自由な都市」が必要だが、それが少ない。また銃犯罪も少なく、警察の捜査力が強くて、私立探偵が成り立ちにくい。ということで、日本でもハードボイルド系のほとんどは、一匹狼の警官や新聞記者などが主人公のことが多い。そこへ台湾から突如現れたのが、この『台北プライベートアイ』である。今まで数多くのミステリーが書かれてきたが、この小説の後半の事件、展開は今まで読んだことがないものだ。インターネット携帯電話、それに防犯カメラなど、現代社会の調査システムをフル稼働させているが、ベースの発想は非常に深刻かつ深遠で宗教的なものだ。

(信義署)

 後半では主人公が事件に巻き込まれる展開になり、それも新味がある。今まで読んだことがないような設定だ。ミステリーだから、詳しく書けないのが残念だけど、これはこれはと思わせられる。主人公呉誠(ウー・チェン)は作者本人とほぼ同じらしい。台湾演劇界で知らぬ人がいない大物だが、他人にも自分にも厳しく攻撃性が強い。暴言を吐きまくり、ついには妻も去り自分も大学教授の職を捨てて、街の片隅に探偵事務所の看板を掲げた。興信所の資格もなく、公式な「私立探偵」なんてものじゃない。要するにただ「調査します」というだけのことである。ほとんど仕事はなく、毎日散歩するばかり。

(よく散歩する富陽自然生態公園)

 そんな中で、ある依頼が舞い込む。ある日から娘が父親と一切口をきかなくなってしまった。その理由を探って欲しいというものである。まあ、そういうことがあるとすれば、大方は父親が愛人といるところを偶然見たとかそんなものだろうと調査を開始するが…。それが父親はほぼ動きもなく普通に仕事しているじゃないか。一応動きが出て来て、調査らしくなって、真相も見えてくる。ところが、それは前置きみたいなもので、後半から台湾に珍しいシリアルキラー(連続殺人犯)ものになっていく。

 台北の街の描写も興味深いが、それ以上に面白いのが主人公の人生観や映画、小説などの批評。チャンドラーなんかも小説内でけっこう文明評のおしゃべりをしているが、ハードボイルドの興趣を高めるのは主人公の生き方、世界観である。この自分を基にしつつ、相当誇張して独善的になった主人公が、やがて下町に知人を増やしていき、本格的に考えて行く。さすがに現代では捜査そのものは警察力なくして不可能だが、主人公は「考察」するのである。家に閉じこもって、ついに『戦争と平和』を初めて読破しながら、主人公に迫る敵を一生懸命見つけ出す。

 ちょっと独自色の強いミステリーだが、日本に関する叙述も豊富。特に仏教に関心がある人に読んで欲しいミステリー。もちろん台湾に関心がある人にも。2021年に続編が出たということで、早めの邦訳を期待したい。


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