尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

『男はつらいよ』第1作と「身分違いの恋」ー『男はつらいよ』シリーズ考①

2025年01月21日 22時20分06秒 |  〃  (旧作日本映画)

 2024年は『男はつらいよ』シリーズが始まって55年ということで、幾つかイヴェントも行われた。それには行ってないんだけど、2025年になって池袋・新文芸座で4本上映しているので、見てきた。(下の画像にあるクリアファイルをくれた。)今年最初に書いた記事で指摘したが、『男はつらいよ』シリーズ最終作が公開されたのは1995年12月だった。阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件が起きたあの忘れがたき年は、『男はつらいよ』が終わった年でもあったということにはどんな意味があるんだろうか。僕はそのことをずっと考えている。そこで幾つか再見して感じたことを何回か書いてみたい。

(男はつらいよクリアファイル)

 まず『男はつらいよ』第1作(1969)を取り上げる。まあ第1作と言っても、それは映画版第1作ということである。よく知られているように、それ以前の1968年~69年にフジテレビで全26話のドラマが製作されていた。最終作で寅さんは奄美大島でハブに噛まれて死んでしまった。しかし、終了後に抗議の声が殺到し、それが映画化につながった。渥美清森川信(おいちゃん)は共通するが、さくらは長山藍子、博は井川比佐志、おばちゃんは杉山とく子だった。映画ではさくらは倍賞千恵子、博は前田吟、おばちゃんは三崎千恵子だった。さくらの倍賞千恵子は欠かすことが出来ないキャストとなった。

(第1作)

 第1作を見るのは多分3回目。1970年代半ばに作られたシリーズ10番台に傑作が多くベスト級だと思ってきたが、改めて第1作を見るとこれも素晴らしい傑作だ。もちろん公開当時に見たのではなく、若い頃にどこかの名画座で見たんだろう。その後2019年の50年記念の時に見直したと思う。続けていっぱい見ると、このシリーズは皆同じじゃないかとつい思うんだけど、今回は「公開当時の2本立て再現」という不思議な企画である。だから『喜劇・深夜族』『祭りだお化けだ全員集合!』『思えば遠くへ来たもんだ』等の映画も見たのである。それぞれなかなか面白いけれど、映画の完成度は『男はつらいよ』第1作が飛び抜けている。

 帝釈天のお祭りの日、20年ぶりに寅さんが柴又に帰ってくる。そのお祝いで飲み過ぎて、おいちゃんは次の日二日酔いである。そのため予定されていた妹さくらのお見合いに行けない。さくらは丸の内にある大企業オリエンタル電機の「BG」(当時はOLをビジネスガールと呼び、セリフもそうなっている)で、重役の御曹司がさくらを見初めてお見合いとなったが、さくら本人は実は乗り気ではない。やむを得ずおいちゃんの代わりに寅さんが同行し、その結果無作法な言動を繰り返してしまう。(ここは何度見ても実におかしい傑作シーン。)そして、案の定お見合いは断られてしまうわけである。

(初代マドンナ光本幸子)

 家族が寅さんの所業を責めたてたので、寅はプイッと家を出ていってしまう。そして行方も知れず数ヶ月。突然御前様の娘、坪内冬子から団子屋にハガキが届く。親子で奈良を旅行していたら寅さんに偶然出会ったというのである。冬子を演じたのは光本幸子(みつもと・さちこ、1943~2013)で、若い頃から劇団新派や日本舞踊で活躍してきた人である。これが映画初出演で、結婚・育児で休業した期間が長かったこともあり(その復帰するも舞台が中心だった)、今では知らない人も多いだろう。とても存在感がある演技を披露していて、寅さんならずとも惹かれていってしまうのも無理はない。

 ということで寅は御前様親子にくっついて、そのまま柴又に帰ってきてしまった。その後は何かと用を作っては寺に顔を出す日々。柴又の人々は「寅の寺参り」と呼んでいるという。一方、その頃裏の印刷会社に勤める博がさくらに惹かれていた。しかし、戻ってきた寅さんは「職工風情に妹をやれるか」と暴言を吐き、会社の壁に「寅の暴言を許すな」と書かれる。似顔絵もあって笑える。結局すったもんだがあって寅と博の「川船の決闘」となる。一時は柴又を去ろうとしていた博をさくらが追っていき、帰って来たさくらは「私、博さんと結婚する」と宣言する。結婚式は有名な川魚料理屋「川甚」で行われることになった。

 このように『男はつらいよ』第1作は、「身分違いの恋」をめぐって展開される。妹さくらをめぐる「上司から来たお見合い」と「裏の印刷会社の労働者」、そして「寅さんと冬子さん」である。もちろん戦後日本には「身分」などないわけだが、実質的は「結婚をめぐる家の釣り合い意識」は残り続けた。そしてさくらに関しては、「本人どうしが好き合っていることが第一」という価値観が実現する。一方、寅さんの場合は「学歴も定職もない」男である。実際冬子は大学教授との縁談が進んでいて、これは「身分違い」というのとはちょっと違うけれど、寅さんにとって冬子が「高嶺の花」であることは観客皆が理解している。

(寅さんは家族の会話を聞いてしまう)

 「身分違いの恋」は古今東西を問わず大衆芸能の大きなテーマだった。近世日本の心中もの、あるいは泉鏡花の『婦系図』(おんなけいず)、あるいは洋画の『ローマの休日』など幾つもの物語に変奏されてきた。中でも日本では戦時中に作られた映画『無法松の一生』が思い出される。何度も映画化、舞台化された名作だが、そこでは人力車の車夫が高級軍人の未亡人に憧れてしまう。戦争中は許されない設定として検閲で大事なシーンが削除されてしまった。「車夫風情」が立派な未亡人に懸想するなどあってはならないことだった。『男はつらいよ』はそういう定型的テーマのパロディとして成立している。

 寅さんを演じる渥美清(1928~1996)は浅草のコメディアン出身だが、その前に実際にテキ屋としていたこともあったらしい。50年代末からテレビに出始めて、テレビ勃興期にすごく活躍していた。寅さんをを演じる前にテレビを通して多くの人が知っていて、僕も見た記憶がある。その時は「おかしな顔」で売っていて、よく「ゲタ顔」と言われている。それは三枚目コメディアンにとって大切な資産である。しかし、『男はつらいよ』では無学なテキ屋という設定で、教養ある美人に思いを寄せるから実らないことになる。観客は皆渥美清の芸風を知っていて、実らぬ恋に身を焦がすのを見て面白がるのである。

 第一作で行われるさくらと博の結婚式はとても感動的である。かつて衝突して家を飛び出た過去があり、博の親は来ないと言われていた。しかし、父親の諏訪飈一郎が夫婦で現れたのである。この名前が皆読めず困ってしまう。(「ひょういちろう」である。)志村喬が演じていて、北大名誉教授となっている。その後も8作目と22作目に登場し、なかなか重要な役を果たす。博の父の前に、帝釈天の御前様が寅の幼き日の所業をバラす祝辞を述べる。これは笠智衆が演じているから、小津映画を象徴する笠智衆、黒澤映画を象徴する志村喬がともにスピーチして、『男はつらいよ』船出を祝うという映画史的奇跡なのである。

 ところで、この「身分違い」問題は、リリーシリーズではどのように描かれていくのか。次に考えてみたい。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 映画『アプレンティス ドナ... | トップ |   
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

 〃  (旧作日本映画)」カテゴリの最新記事