岩波新書の吉見俊哉著『アメリカ・イン・ジャパン』を読んだ。ミステリーばかりずっと読んできたが、そろそろ歴史本を読みたくなってきたので。副題に「ハーバード講義録」とあるように、著者が2018年にハーバード大学教養学部で行った講義の記録。その頃のアメリカ体験は『トランプのアメリカに住む』(岩波新書)などすでに発表してきたが、この講義録の書籍化は遅れていたという。吉見氏は一般向けの本をたくさん書いているが、僕はあまり読んでない。当時の吉見氏は東京大学に勤務していたが、本書を見たら現職は國學院大學観光まちづくり学部教授になっていた。そういう学部があったのか。
今回読んでみたのは、講義録だから読みやすそうだったのと、アメリカと日本の関係を通観してみたかったからだ。吉見氏は社会学者で、歴史学者ではない。従って、本書で取り上げられた内容も様々な先行研究を利用したものである。それぞれ部分的に見れば、もっと詳しい人もいるだろう。僕だって引用されている研究書を読んでいることも多く、近代日本史に詳しい人なら知ってる話も多いはず。だけど、こういう風に「ペリーからディズニーランドまで」を簡潔にまとめた本はないのではないか。
「イントロダクション」として「アメリカ・イン・ジャパンー非対称的なクラインの壺」が冒頭に置かれ、その後9講が続いている。(「クラインの壺」というのは、境界も表裏も持たない曲面で「位相幾何学」の概念だという。)
その後の章名を挙げていくと、次のようになる。
第1講『ペリーの「遠征」と黒船の「来航」ー転位する日本列島』
第2講『捕鯨船と漂流者たちー太平洋というコンタクトゾーン』
第3講『宣教師と教育の近代ーアメリカン・ボードと明治日本』
第4講『反転するナショナリズムーモダンガールとスクリーン上の自己』
第5講『空爆する者 空爆された者ー野蛮人どもを殺戮する』
第6講『マッカーサーと天皇ー占領というパフォーマンス』
第7講『アトムズ・フォー・ドリームー被爆国日本に〈核〉の光を』
第8講『基地から滲みだすアメリカーコンタクトゾーンとしての軍都』
第9講『アメリカに包まれた日常ー星条旗・自由の女神・ディズニーランド』
面倒くさいと思うけど、いちいち各講義を副題まで書いたのは、これで大体中身がわかるはずだからだ。ペリー来航やマッカーサーをめぐる問題は、特に歴史学ではずいぶん研究されてきた。僕もまあ知ってる話が多かったが、この講義はアメリカの大学で現地の学生向けに行われたものだ。(予想よりアジア系学生が多かったというが。)そうすると、ベリーは「来た人」ではなく、「行った人」としてとらえられる。発想の転換というほどの驚きじゃないが、逆に見てみる意味は大きい。
僕が興味深かったのは、第7講の「核の平和利用」の問題と第8講の基地問題。前者は原発事故後にかなり言及されたが、最近は触れられていないのではないか。「唯一の被爆国」だからこそ、日本は「核の平和利用」を推進していくべきだという発想は、今では信じがたいだろう。保守勢力や経済界ばかりでなく、「進歩的」と自称する「革新」陣営にもそういう発想は根強かった。日本が戦争に負けたのは「科学的精神」が足りなかったからで、だからこそこれからは「科学立国」を推進しなければならない。世界の最新技術は「原子力」で、その平和利用(つまり発電などのエネルギー源にする)を推進せよと言ってる人はずいぶんいた。
第8講の基地問題では、戦後すぐには(沖縄県を除く)「本土」にも多くのアメリカ軍基地があったことはよく知られている。驚くような事件がいっぱいあり、驚くような経過をたどった。1957年に群馬県で起きた「ジラード事件」ぐらい紹介して欲しかったと思う。(知らない人はぜひ調べてください。)東京都の砂川基地拡張反対闘争(「土地に杭は打たれても心に杭は打たれない」の名言で知られた)や石川県の「内灘闘争」など、50年代には各地に米軍基地反対運動が起こっていた。左翼陣営(共産党など)は「反米愛国」をスローガンにしていたのである。「50年代」はもう忘れている人が多いが、記憶すべき現代史だと思う。
と言っても僕も当時の実情をそんなに詳しく知っているわけじゃない。特に神奈川県が本土で一番米軍基地が多かったということは知らなかった。もちろん現在でも横浜港には米軍専用埠頭(瑞穂埠頭=横浜ノースドック)があるし、座間や厚木の飛行場、横須賀の海軍基地などがあるのは知っている。それでも50年代には湘南海岸に広く米軍施設があったことは意識していなかった。中平康監督の『狂った果実』(1956)というフランスのヌーヴェルヴァーグの影響を与えたと言われる映画がある。石原慎太郎原作で、石原裕次郎が本格的に出演したことで知られる。
その映画では湘南海岸を舞台に、すでに敗戦の影を脱した若い世代が「自由」な青春を謳歌している。しかし、その映画のヒロインである北原三枝(後の石原裕次郎夫人)はアメリカ人の「オンリー」だった。そこには湘南海岸に米軍施設が集中していた事実が背景として存在してのである。当時の人には当然だったからか、あるいはあえて隠しているのか、占領が終了したあとも日本映画のロケ風景には米軍関係は出て来ないことが多い。石原慎太郎が『太陽の季節』以後にたくさん書いた青春小説は、日活などで続々と映画化され「太陽族」映画と言われた。暴力とセックスで非難されたが、改めて米軍との関係で見直す必要がある。
まあおよそ日米関係の様々な出来事に触れられている本だけど、あえて出て来ないテーマを探してみると「戦後日本企業とアメリカ経営学の影響」というのがあるかもしれない。「遅れた」日本企業はアメリカの「近代的経営」に学ばなければならない。そういうことを言ってた人は多いと思う。そこで「能力主義」を社会的背景を無視して導入して失敗した会社も多い。戦後日本の大企業はアメリカ企業の影響が強く、またアメリカ市場に進出して現地に適応するのに苦労してきたと思う。
もう一つは「ハリウッドスター」と日本人というテーマ。アメリカ大衆文化の問題は第4講、第9講で扱われているが、何と言っても20世紀は映画の時代だった。戦前から日本人の愛するスターは、ほぼアメリカの大スターだったが、好みは少し本国とは違っていたと考えられる。映画雑誌やブロマイドなどで史料的に確認できると思うが、フランスのアラン・ドロンなど一部ヨーロッパ人もいたが、大部分はアメリカの白人スターが人気だった。テレビ放送初期にはアメリカのドラマもいっぱい放映され大人気だった。何でそんなに若者がアメリカのスターに憧れたのかは大きな問題だ。
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