中公新書の上村剛(うえむら・つよし)著『アメリカ革命』を読んだので、その感想。書評を見て読みたくなったのだが、たまには歴史の本も読まないと。アメリカ史は詳しくないが、やはりきちんと知っておく必要がある。著者の上村剛氏は1988年生まれの若い研究者で、東大大学院博士課程を修了して現在関西学院大法学部准教授。『権力分立論の誕生ーブリテン帝国の「法の精神」受容』(岩波書店)という本で、2021年サントリー学芸賞を受賞したと出ている。
書名のアメリカ革命って何だと思う人もいるだろう。歴史の教科書には「フランス革命」や「ロシア革命」は出て来るが、普通は「アメリカ革命」とは出てない。「アメリカの独立」と書いてあることが多いだろう。「アメリカ独立革命」と呼ぶこともある。代表的な「市民革命」として必ず教科書に出て来るが、これが生徒には理解しにくい。なるほど市民革命なき国に住んでるんだとそのたびに実感したものだ。しかし、この本を読んでも「独裁からの自由」を求めて起ち上がった英雄的人物はほとんど出て来ない。
人物史ではなく制度形成史だという点もあるが、そもそもワシントンとかジェファーソンなどという有名人も今から見れば「限界」だらけで、その限界を見極めることが本書の目的だからでもある。有名な「独立宣言」(1776年7月4日)は「すべての人間は生まれながらにして平等で あり、その創造主によって、生命、自由、および幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられている」と格調高く宣言したが、もちろんその後も黒人奴隷を認めていたし、女性の参政権もなかった。そこら辺は当時も議論した人がいるが、そもそも先住民の土地を奪って「建国」したことなど意識さえしていなかっただろう。
(上村剛氏)
この本で重視されているのは、「憲法制定会議」である。独立戦争は一進一退で決してアメリカ独立軍が圧勝したわけではなかった。しかし、1781年にイギリス軍が降伏し1783年のパリ条約でイギリスも独立を認めた。しかし、その後のことは何も決まっていなかったのである。1787年にフィラデルフィアで連邦憲法制定会議が開かれ、4ヶ月の激論の後に憲法がまとまり、その後建国各州の批准を経て発効した。僕たちはアメリカには大統領がいて、上下両院、最高裁もあると「常識」で知っている。しかし、同時代にはそういう国は世界のどこにもなかったんだから、「アメリカ合衆国」は「発明」だったのである。
(アメリカ独立宣言=ジョン・トランブル作1818年)
それも妥協に次ぐ妥協の末に作られたのが合衆国憲法だった。そもそも会議に代表を送ってこない州(ロングアイランド)もあれば、すぐに帰ってしまった州(ニューヨーク)もあった。イギリス国王から離脱したのに、「大統領」という独裁者を作るのは大反対という人も結構いた。議会制度ももめたあげく、上院は各州から2名ずつ、下院は人口比でと決まった。これも大きな州(ペンシルバニアやヴァージニア)と小さな州との対立の末の妥協だった。今では「巧みな知恵」に思われて誰も疑わないシステムも、妥協で作られていった。「人口比」も「黒人どれいのカウント」をめぐって揉めた。奴隷も「一人の人間」としてカウントすると、南部の代表が多くなってしまう。参政権は有産階級の男性だけが持つのが自明だったから、奴隷賛成派の勢力が増えてしまうのである。
(建国13州から西部へ)
そして19世紀になって、ヨーロッパ列強(イギリス、フランス、スペインなど)と戦争、交渉などを経て、西部へ勢力を広げていく、先住民を虐殺、追放しながら、太平洋岸にまで至る「帝国」を築いていった。そして現在の民主、共和両党につながる「党派」が成立していく。そういう19世紀半ばまでを扱っている。長いスパンで見ると、植民地時代から19世紀半ばまでを「アメリカ革命」ととらえている。これは「明治維新」だったら、江戸時代中期から日清日露戦争まで長くとらえるというようなものだろう。
本書は歴史の中で「小さな発明」として作られた「アメリカ建国」がいかにして「超大国」になっていったか、その「種」を建国当初にさかのぼって検証した本だ。その当時は女性、どれい、先住民を排除して作られた国だった。そういうアメリカが世界的超大国になって、大統領選挙は全世界が見つめる関心事になっている。いま「大統領」がいる共和国は世界にいくつもあるが、もとは18世紀末のアメリカが「発明」したものだった。なお、人物史にはほとんど触れられないが、『コモンセンス』で独立を主張したトマス・ペインが後にフランスで言論活動を行い、革命中に囚われるなど波瀾万丈の人生を送ったことが興味深かった。
書名のアメリカ革命って何だと思う人もいるだろう。歴史の教科書には「フランス革命」や「ロシア革命」は出て来るが、普通は「アメリカ革命」とは出てない。「アメリカの独立」と書いてあることが多いだろう。「アメリカ独立革命」と呼ぶこともある。代表的な「市民革命」として必ず教科書に出て来るが、これが生徒には理解しにくい。なるほど市民革命なき国に住んでるんだとそのたびに実感したものだ。しかし、この本を読んでも「独裁からの自由」を求めて起ち上がった英雄的人物はほとんど出て来ない。
人物史ではなく制度形成史だという点もあるが、そもそもワシントンとかジェファーソンなどという有名人も今から見れば「限界」だらけで、その限界を見極めることが本書の目的だからでもある。有名な「独立宣言」(1776年7月4日)は「すべての人間は生まれながらにして平等で あり、その創造主によって、生命、自由、および幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられている」と格調高く宣言したが、もちろんその後も黒人奴隷を認めていたし、女性の参政権もなかった。そこら辺は当時も議論した人がいるが、そもそも先住民の土地を奪って「建国」したことなど意識さえしていなかっただろう。
(上村剛氏)
この本で重視されているのは、「憲法制定会議」である。独立戦争は一進一退で決してアメリカ独立軍が圧勝したわけではなかった。しかし、1781年にイギリス軍が降伏し1783年のパリ条約でイギリスも独立を認めた。しかし、その後のことは何も決まっていなかったのである。1787年にフィラデルフィアで連邦憲法制定会議が開かれ、4ヶ月の激論の後に憲法がまとまり、その後建国各州の批准を経て発効した。僕たちはアメリカには大統領がいて、上下両院、最高裁もあると「常識」で知っている。しかし、同時代にはそういう国は世界のどこにもなかったんだから、「アメリカ合衆国」は「発明」だったのである。
(アメリカ独立宣言=ジョン・トランブル作1818年)
それも妥協に次ぐ妥協の末に作られたのが合衆国憲法だった。そもそも会議に代表を送ってこない州(ロングアイランド)もあれば、すぐに帰ってしまった州(ニューヨーク)もあった。イギリス国王から離脱したのに、「大統領」という独裁者を作るのは大反対という人も結構いた。議会制度ももめたあげく、上院は各州から2名ずつ、下院は人口比でと決まった。これも大きな州(ペンシルバニアやヴァージニア)と小さな州との対立の末の妥協だった。今では「巧みな知恵」に思われて誰も疑わないシステムも、妥協で作られていった。「人口比」も「黒人どれいのカウント」をめぐって揉めた。奴隷も「一人の人間」としてカウントすると、南部の代表が多くなってしまう。参政権は有産階級の男性だけが持つのが自明だったから、奴隷賛成派の勢力が増えてしまうのである。
(建国13州から西部へ)
そして19世紀になって、ヨーロッパ列強(イギリス、フランス、スペインなど)と戦争、交渉などを経て、西部へ勢力を広げていく、先住民を虐殺、追放しながら、太平洋岸にまで至る「帝国」を築いていった。そして現在の民主、共和両党につながる「党派」が成立していく。そういう19世紀半ばまでを扱っている。長いスパンで見ると、植民地時代から19世紀半ばまでを「アメリカ革命」ととらえている。これは「明治維新」だったら、江戸時代中期から日清日露戦争まで長くとらえるというようなものだろう。
本書は歴史の中で「小さな発明」として作られた「アメリカ建国」がいかにして「超大国」になっていったか、その「種」を建国当初にさかのぼって検証した本だ。その当時は女性、どれい、先住民を排除して作られた国だった。そういうアメリカが世界的超大国になって、大統領選挙は全世界が見つめる関心事になっている。いま「大統領」がいる共和国は世界にいくつもあるが、もとは18世紀末のアメリカが「発明」したものだった。なお、人物史にはほとんど触れられないが、『コモンセンス』で独立を主張したトマス・ペインが後にフランスで言論活動を行い、革命中に囚われるなど波瀾万丈の人生を送ったことが興味深かった。
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