ジェーン・カンピオン監督の12年ぶりの新作「パワー・オブ・ザ・ドッグ」が上映されている。しかし、12月1日からNetflixで配信されるため、限定的な公開に止まっている。今年のヴェネツィア映画祭で銀獅子賞(監督賞)を得た作品で、アメリカのモンタナ州の広大、荒涼たる風景を大画面で見る機会を逃してはもったいない。ジェーン・カンピオン(Jane Campion)はニュージーランド出身の女性監督で、「ピアノ・レッスン」(1993)で女性で初めてカンヌ映画祭のパルムドールを受賞した人である。
ヴェネツィア映画祭のニュースを見たときには、「パワー・オブ・ザ・ドッグ」(The Power of the Dog)はドン・ウィンズロウの傑作「犬の力」(角川文庫)の映画化なのかと思った。あれはメキシコの麻薬カルテルを描いた超大作クライムノヴェルだった。しかし、こちらはトーマス・サヴェージという人の原作を映画化した全く違う作品だった。同じ題名だが、そもそもが詩編の22から取られた言葉で、サヴェージの方が先に書かれたという。一種のウェスタン小説だが、牧場を舞台に兄弟の相克を心苦しくなるほどに描き出している。モンタナ州南部らしいが、荒れた山を背景にした風景が凄まじいまでの魅力を放っている。
牧場をやっているのは、フィル(ベネディクト・カンバーバッチ)とジョージ(ジェシー・プレモンズ)のバンバーク兄弟。時代は1925年というから、日本で言えば大正14年である。もう自動車もある時代だが、育てた牛を近くの街まで連れて行く。ハワード・ホークス監督の「赤い河」のようなロングドライブをその時代でもやっている。街へ着くと宿屋に泊まるが、弟のジョージが夕食の手配などをしていて、兄のフィルは周囲に威圧的に接している。
宿を経営しているローズ(キルステン・ダンスト)には、華奢でおとなしめの息子ピーター(コディ・スミット=マクフィー)がいる。彼は造花を作ってテーブルを飾るが、フィルは給仕するピーターの態度を事ごとに嘲笑する。そんな兄を心苦しく思ってか、弟のジョージはローズに詫びに行く。そのうちに二人は接近していき、ついに結婚してしまった。フィルはローズ親子が牧場に来るのを警戒するが、今さら拒めない。ジョージは妻のためにピアノを買い込み、知事夫妻を招いて食事会を開く。ローズはかつて映画館でピアノを弾いていたというが、練習中にフィルがジャマをしてくるので上達出来ない。そのうち、ローズは居場所をなくしていき、家のあちこちに酒を隠して常に飲んでいるようになった。
やがて夏休みになって、ピーターが街の大学から戻ってきた。当初はフィルを中心にカウボーイたちはピーターを男らしくないと軽蔑している。フィルはもともとエール大学で古典を学んだインテリだが、なぜか今は典型的なカウボーイになっていて、経営は弟が中心になっているらしい。フィルはピーターに乗馬などを教えようとするが、予想に反してピーターはフィルに興味を持って付いていく。フィルは昔牧場経営を教えてくれたブロンコ・ヘンリーという今は亡き人物を崇拝しているらしい。フィルのブロンコへの思いの底にあるものに気付いていく。壮大な家族対立映画かと思うと、突然終わってしまう感が消えないラストだが、マッチョな西部の風土の中に繊細な心理を見つめていく様は見どころがある。
(ジェーン・カンピオン監督)
ジェーン・カンピオン(1954~)はニュージーランドでいち早く世界に認められた映画人だった。僕は「ピアノ・レッスン」以上に、ヴェネツィア映画祭審査員特別賞の「エンジェル・アット・マイ・テーブル」(1990)が好きだった。その後は母国を離れてヘンリー・ジェイムズ原作の「ある貴婦人の肖像」やイギリスの詩人キーツを描く「ブライト・スター」など文学的な作品を作った。今回の作品はそれに比べて、人間関係の相克を大自然に中に追求する点で「ピアノ・レッスン」に匹敵するような重要作だ。
ベネディクト・カンバーバッチの存在感が画面を圧倒し、ただならぬ吸引力が弱々しかったピーターも引きつけてしまう。「フィルの謎」を解く鍵がブロンヘンヘンリーにありそうだが、そこに何があったのか。世俗的な安定を求める弟のジョージはフィルとは性格や生き方だけでなく、風貌や体格も全然違う。単なるキャスティングの都合なのかどうか、もっとワケありの事情があるのか、それが気になった。今では西部を舞台にしても、単純な勧善懲悪的エンタメ映画は作れない。この映画はアン・リー監督「ブロークバック・マウンテン」を思わせる点があると思ったが、踏み込まない点が多いので謎を残して終わる。
なお、ヴェネツィア映画祭で審査員大賞を受賞したパオロ・ソレンティーノ監督の「Hand of God -神の手が触れた日-」もNetflix配信を前に、12月3日から特別に一部で映画館で上映されるという。 80年代のナポリ、ディエゴ・マラドーナがナポリで活躍した時代を描く映画だという。これも見逃せない映画だ。
ヴェネツィア映画祭のニュースを見たときには、「パワー・オブ・ザ・ドッグ」(The Power of the Dog)はドン・ウィンズロウの傑作「犬の力」(角川文庫)の映画化なのかと思った。あれはメキシコの麻薬カルテルを描いた超大作クライムノヴェルだった。しかし、こちらはトーマス・サヴェージという人の原作を映画化した全く違う作品だった。同じ題名だが、そもそもが詩編の22から取られた言葉で、サヴェージの方が先に書かれたという。一種のウェスタン小説だが、牧場を舞台に兄弟の相克を心苦しくなるほどに描き出している。モンタナ州南部らしいが、荒れた山を背景にした風景が凄まじいまでの魅力を放っている。
牧場をやっているのは、フィル(ベネディクト・カンバーバッチ)とジョージ(ジェシー・プレモンズ)のバンバーク兄弟。時代は1925年というから、日本で言えば大正14年である。もう自動車もある時代だが、育てた牛を近くの街まで連れて行く。ハワード・ホークス監督の「赤い河」のようなロングドライブをその時代でもやっている。街へ着くと宿屋に泊まるが、弟のジョージが夕食の手配などをしていて、兄のフィルは周囲に威圧的に接している。
宿を経営しているローズ(キルステン・ダンスト)には、華奢でおとなしめの息子ピーター(コディ・スミット=マクフィー)がいる。彼は造花を作ってテーブルを飾るが、フィルは給仕するピーターの態度を事ごとに嘲笑する。そんな兄を心苦しく思ってか、弟のジョージはローズに詫びに行く。そのうちに二人は接近していき、ついに結婚してしまった。フィルはローズ親子が牧場に来るのを警戒するが、今さら拒めない。ジョージは妻のためにピアノを買い込み、知事夫妻を招いて食事会を開く。ローズはかつて映画館でピアノを弾いていたというが、練習中にフィルがジャマをしてくるので上達出来ない。そのうち、ローズは居場所をなくしていき、家のあちこちに酒を隠して常に飲んでいるようになった。
やがて夏休みになって、ピーターが街の大学から戻ってきた。当初はフィルを中心にカウボーイたちはピーターを男らしくないと軽蔑している。フィルはもともとエール大学で古典を学んだインテリだが、なぜか今は典型的なカウボーイになっていて、経営は弟が中心になっているらしい。フィルはピーターに乗馬などを教えようとするが、予想に反してピーターはフィルに興味を持って付いていく。フィルは昔牧場経営を教えてくれたブロンコ・ヘンリーという今は亡き人物を崇拝しているらしい。フィルのブロンコへの思いの底にあるものに気付いていく。壮大な家族対立映画かと思うと、突然終わってしまう感が消えないラストだが、マッチョな西部の風土の中に繊細な心理を見つめていく様は見どころがある。
(ジェーン・カンピオン監督)
ジェーン・カンピオン(1954~)はニュージーランドでいち早く世界に認められた映画人だった。僕は「ピアノ・レッスン」以上に、ヴェネツィア映画祭審査員特別賞の「エンジェル・アット・マイ・テーブル」(1990)が好きだった。その後は母国を離れてヘンリー・ジェイムズ原作の「ある貴婦人の肖像」やイギリスの詩人キーツを描く「ブライト・スター」など文学的な作品を作った。今回の作品はそれに比べて、人間関係の相克を大自然に中に追求する点で「ピアノ・レッスン」に匹敵するような重要作だ。
ベネディクト・カンバーバッチの存在感が画面を圧倒し、ただならぬ吸引力が弱々しかったピーターも引きつけてしまう。「フィルの謎」を解く鍵がブロンヘンヘンリーにありそうだが、そこに何があったのか。世俗的な安定を求める弟のジョージはフィルとは性格や生き方だけでなく、風貌や体格も全然違う。単なるキャスティングの都合なのかどうか、もっとワケありの事情があるのか、それが気になった。今では西部を舞台にしても、単純な勧善懲悪的エンタメ映画は作れない。この映画はアン・リー監督「ブロークバック・マウンテン」を思わせる点があると思ったが、踏み込まない点が多いので謎を残して終わる。
なお、ヴェネツィア映画祭で審査員大賞を受賞したパオロ・ソレンティーノ監督の「Hand of God -神の手が触れた日-」もNetflix配信を前に、12月3日から特別に一部で映画館で上映されるという。 80年代のナポリ、ディエゴ・マラドーナがナポリで活躍した時代を描く映画だという。これも見逃せない映画だ。
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